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私の挫折と原点

はじめに

久しぶりにnoteを書くし、これから書こうとしていることはただのエッセイである。

私の25年間という人生を振り返ったときに挫折と克服の繰り返しであり、最後に原点を見つけ、今を歩んでいるなと思う。きっとこれからも挫折しては克服し、歩んでいくのだなと思う。

執筆の背景は、今日6年ぶりくらいに私の原点を共に歩んできた仲間と会う機会があったからで、みんなと話せて涙が出そうなくらい嬉しかった。

そして久しぶりに思い返すの辛い自分の挫折と原点についても思い出すことができた。

サラッとはインタビュー記事や社内の会話の中でも出したことはあったが、当時の感情まで自分の気持ちを戻して語ったことはこの6年間なかったと思う。

今日、大好きな仲間たちに会って過去にお世話になった人や、友人、仲間に対してできる恩返しとは何だろうかと考えさせられるきっかけにもなった。

考えれば色々出てくるのかもしれないが、私にとっては一つである。

私が死ぬ瞬間まで、私が私であることこそがこれまで、そしてこれからも関わる人すべてにできる私からの恩返しだと思っている。

だからこそ、私がすることは一つしかない。

どんなに世の中が暗くても、どんなに自分が辛い状況でも、前に進み続ける姿勢を見せることである。

無理をしないでほしいという声も出るかもしれない。

でも無理とかじゃない、これが自分自身の人生に課せられた宿命だと思っている。本当に心から。

そんな私の原点について挫折とともに振り返る。

今日は誰のためでもなく、自分のために人生の振り返りの時間としたい。

小学〜高校時代を振り返って

自分がどんな小学生だったのか、どんな中学生だったのかもはや覚えていない。

どうしても刺激の強い記憶ばかりで当時自分は周りからどう思われていたのかも全く思い出すことができない。

覚えている記憶といえば、(決してあってはならないことだが)同級生をいじめてしまったことや先生に反抗して授業をボイコットしたことなど刺激的なことばかりが多く、自分は悪い学生だったような気ばかりしてしまう。

しかしある友人からは「運動会で優勝を引っ張ってくれたのは小泉だった」という声をもらうこともあるし、「人のことはいじるけど、優しいやつだと思う」と言われることもあって、結局どんな小中学生だったのかはわからないままだ。

そんな過去の自分に触れつつ、忘れられない挫折と克服についてだが…鮮明に覚えているということは自分にとってショックが大きかったのだろう。

1つは小学3年生のときに今まである程度いい順位だったマラソン大会で80人中37位になり、翌年死に物狂いの努力で4位になったこと。

2つ目は中学3年生のときに最後の模擬テスト(北辰テスト)で合格確率20%で第一志望絶望の中、またもや死に物狂いで勉強し合格したこと。

3つ目は高校2年生のときに野球の試合でしょうもないミスをしてベンチから外され、今まで練習をおろそかにしていた私が頑張って努力し、数ヶ月後の大会でスタンドインのホームランを打ったこと。

振り返ってみるといつも土壇場になって、馬鹿力を発揮し挫折を克服してきたのが私の人生だったような気がする。

そんな私を決定づける挫折について記す。

忘れることのできない19歳の夏

私の最大の挫折は19歳のときに茨城県に移住し、地域おこし活動に力を注いだが、自分の周りの期待に対する実力不足が辛くなって街から逃げ出したことである。

それがちょうど夏の終わりで、秋が近づいた頃であったことを今でも覚えている。

若者が移住してきたと地域の方々が盛り上がってくれて、私は新聞やラジオに取り上げられた、素直に嬉しかった。

当時の私のモチベーションは、昔付き合っていた彼女と復縁するために少しでも人間性の高い人になることが目標で、そのために世の中的にいいことをしようともがいていた。

今だから言えるが、なのでモチベーションが地域おこしそのものにはなく、とにかく頑張って世の中に少しでも認められて、気持ちよくなりたかったのだと思う。

ゆえに挫折した。

今日は当時の気持ちに戻って見ているのだけど、今でも少しだけ辛いなと思うほどなので当時は相当追い込まれていたのだろうなと思う。

「私は辞めてもいいと思うけどな」と言ってくれた人

追い込まれていた私は、移住生活を辞めたいのに周りの期待を裏切りたくないから辛いけど続けなければならないと思っていた。

そんな私に「私は辞めてもいいと思うけどな」と声をかけてくれた人がいる。

それは当時の彼女であり、今の妻だ。

「やめたいんだけど、美咲さんはどう思う?」って聞いた。

正直、「一度自分でやるって決めたんだから頑張ってみれば?」と言われると思って聞いたのだけど、「状況とか細かいことはわからないけど、本当に辛いんだったら私は辞めてもいいと思うけどな。」と言った。

自分の予想と反していたし、もう逃げる道なんてないって思っていたからこの言葉に当時どれだけ救われたかわからない。

今も昔も妻は私の人生の最後の砦として“第三の道”を提示してくれる大切な存在なんだなとこれを書きながらも思う。

何のために生きるのか?

移住生活から逃げてきた私は、自分の挫折の原因や元カノとの復縁じゃない頑張る意味について考えた。

挫折の原因は明確で、プライドの邪魔だ。

自分のことを優秀な大学生だと思っていた私はとにかくプライドが高かったし、自分なら何でもできると思っていた。

だからできていない自分と向き合うのが本当に嫌だったし、それが徐々に周りにバレていくのが嫌だった。

頑張る意味については答えを見つけるのに時間がかかった。

今まで目の前の目標に対して努力をしたことはあったが、長期的な人生の目的のために努力をしたことは一度もなかった。

だから急に目の前の移住生活での地域おこしという目標を失った私は人生を頑張る意味が見出せず、ただ時間を消費した。

でも何もせず人生が変わることはないと持っていたので、本を読んだ。

カール・マルクスの「資本論」や、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」、新渡戸稲造の「武士道」など難しい本を読んだ。

その中で一番、心を動かされた一冊が内村鑑三の「後世への最大遺物」である。

次世代に語り継がれる生き様を目指して

私の今の人生の目標は「次世代に語り継がれる生き様をこの世に遺す」である。

この目標は無形なもので抽象的であるからこそ、天井はなく、死ぬまで満足するものにはならない。答えを知ることができるのは私が亡くなってから出ないとわからないことである。

その代表例が内村鑑三であったのではないだろうか。

彼が生きた時代にそこまで名が知れた人物だったのかを思うと、もっと当時有名だった人はたくさんいたと思う。

しかし彼の思想は今もなお、若者に受け継がれ、彼ら彼女らの人生を左右しているほどに素晴らしい生き様を遺しているといえる。

かつて私は新聞掲載やラジオ出演をはじめ、周りからの評価といった表面的な価値に対して踊らされ満足していたように思う。

それゆえに挫折したし、それゆえに新しい気づきを得ることもできた。

気づきというレベルではなく、自分の人生の指針を決めるような大きな出来事であったと思うし、まさに原点だ。

この挫折がなければきっと今も、表面的な価値に追われ、自分自身を見失っていたのだと思う。

最後に

最初の話に戻るが、どんなに世の中が暗くても、どんなに自分が辛い状況でも、前に進み続ける姿勢を見せることが私ができる周りへの恩返しと記した。

私の今の人生の目標は「次世代に語り継がれる生き様をこの世に遺す」であるから、どんなに世の中が暗くても、どんなに自分が辛い状況でも、前に進み続ける姿勢は当たり前なのだ。

それができればきっと多くの人に勇気を与えることができ、誰かの一歩を生み出す手助けができることで、その姿勢や生き様はきっと次世代にまでも受け継がれるものになるだろうと思う。

だからこそ私はこれからも原点を大切にし、今日よりも少しでも素敵な未来を目指してできることをしたいのです。


ここまで辿り着いてくださったあなたへ。人生で誰と出会い、どんな縁があるかはわかりません。でもそれを楽しむことができる人生こそが、発酵ある毎日だと私は思っています。サポートはみなさんとコラボするために使いたいので、意思表明としてお気持ちいただければ嬉しい限りです。