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43.”ロックな生き方”の体現者 =  Motörhead

Motörhead(モーターヘッド)は1975年にデビューし、2015年まで40年に渡って活動をつづけたイングランドのロックバンドです。ボーカル/ベースのLemmy Kilmister(レミー)が創設し、ギター・ドラムを加えたスリーピース(一時期ツインギターで4人編成期もあり)で活動しました。2015年、レミーの死によって終幕するまで、2598回(+追悼ライブ1回)のライブを行い、22枚のスタジオアルバム、13枚のライブアルバムを遺し、全世界で1500万枚以上のセールスを記録しました。

モーターヘッドは、基本はレミーのバンドです。ベース・ボーカルを兼任し、リズムギターのようにかき鳴らされるベースが曲の骨子を作る。いわばベース弾き語りのような構造が基本にあり、音楽的にはロックンロールですが、特徴的だったのはレミーのダミ声による雄たけびと、疾走感のある楽曲です。Venomと並び、ヘヴィ・メタルの音楽的な型を作った始祖とも言われています。それまでのブルースの延長線上にあるハードロックとは明らかに異質で、新鮮で激烈な音像を提示しました。当時としては極端な音楽性でありながらUKヒットチャートにアルバムを送り込み、1981年リリースのライブ盤「No Sleep 'til Hammersmith」ではUKアルバムチャートの首位を獲得しています。

先ほど、曲の骨子はレミーのベース弾き語りと言いました。冒頭に紹介した彼らの代表曲「Ace of Spades」はまさにベースリフから始まり、ベースが骨子を作っている曲ですが、時代時代によってパートナーとなるドラマーとギタリストが変わり、それによって音楽性も微妙に変化しています。ベースボーカル、ギター、ドラムのスリーピースの時期が長いですが、一時期はダブルギター編成のころもありました。ダブルギター期、1984年にベスト盤「No Remorse」向けの新曲としてリリースされた「Killed by Death」はギターが印象的な曲です。

レミーが自伝で振り返っていますが、「No Sleep 'til Hammersmith」で首位を取った時にバンドはピークを迎え、そこから緩やかな下降線に入ります。次作の「Iron Fist」は6位。好調は続いていますが、セールスが落ちると焦るもの。1983年の「Another Perfect Day」では元Thin LizzyのギタリストBrian "Robbo" Robertson(ブライアン・ロバートソン)を迎えて新機軸を打ち出しますがこちらが不評でUKアルバムチャートは20位どまり。今聴くといいアルバムなんですが、それまでのベースが前面に出た、つまりコードとリズム主体の暴走ロックンロールから、ギターメロディーも前面に出たことで攻撃性が減衰したと思われたのでしょう。1年でブライアンは脱退し、ダブルギターとしてPhil "Zööm/Wizzö" Campbell(フィル・キャンベル)とMichael "Würzel" Burston(ワーゼル)を迎えて、ベスト盤をリリースして出直しというタイミングで出されたのが「Killed by Death」です。

しかし、モーターヘッドのセールスはこの後も下降していきます。1991年リリースの「1916」はグラミー賞にノミネートされ、UKチャートでも24位に入るなど健闘していましたが、次作(1992リリース)、「March ör Die」はセールスも奮わず、それまで所属していたEpic Sonyとの契約を打ち切られます。バンド黄金期を支えてきたドラマーのPhil "Philthy Animal" Taylor (フィルシー)も脱退。バンド存続の危機です。

しかし、レミーはあきらめません。ドラマーに元King DiamondのMikkey Dee(ミッキー・ディー)を迎え、新体制で、小規模なレーベルであるZYXから1993年に「Bastards」をリリース。ディーはパワフルでモダンなドラマーであり、攻撃性が高いアルバムになっています。逆境に立ち向かう強いエナジーを具現化したような激しいアルバムで、個人的には一番思い入れのあるアルバムです。このアルバムからリーダートラックの「Burner」を。

音楽的には原点回帰、起死回生ともいえる「Bastards」でしたが、それまでのメジャー・レーベルに比べるとマーケティング力も薄く、セールス的には苦戦。ドイツとスイスではチャートインしたもののUKではチャートインすらせず。おそらく配給網がなく、CDが店頭に並ばなかったのでしょう。そして、次作「Sacrifice(1995リリース)」をリリースするも状況は変わらず、このアルバムを最後にギタリストのワーゼルが脱退してしまい、再びモーターヘッドは3人態勢(レミー、フィル・キャンベル、ディー)になります。

結果、その後20年に渡り、この3人が2015年の解散まで変わらぬ不動のメンバーとなります。しばらくセールス的には低迷していましたが、継続は力なり。生きるレジェンドとして活動を続けていたモーターヘッドは2004年にアイアンメイデンも属するSanctuary Recordsと契約。再び広い配給網を手にして、95位ながらUKのチャートにも復帰します。継続してアルバムをリリースし続け、2010年にはレミーの自伝的映画「Lemmy: 49% motherf**ker. 51% son of a bitch(邦題:極悪レミー)」も公開され、注目度が高まります。

再評価の機運が高まる中、2013年リリース、21枚目のアルバム「Aftershock」ではついにUSビルボードチャートで22位。ラストアルバムとなってしまった2015年の22枚目「Bad Magic」でも最高位はビルボードチャート35位ながら、USでの売り上げ枚数的には過去最高を記録します。一概に売り上げやヒットチャートでは音楽の価値は図れませんが、売上が失速するにつれてバンドも失速する例が多いのも事実。モーターヘッドも活動規模の縮小、メンバーの脱退に見舞われましたが、レミーは変わらぬ「モーターヘッド・ミュージック」を40年に渡って生み出し続けました。そして、ラストライブは2015年12月11日。レミーが亡くなったのが2015年12月28日ですから、死の17日前までステージに立っていたことになります。最後まで変わらず、ロックスターであり続けたレミーは、まさにロックな生き方を体現したメタル界のスターでした。


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