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84.世界のロック史に影響を与えた日本のバンドたち:Boris、MONO、Sigh、少年ナイフ、喜多郎

世界のロック史を見ていると、基本的にUS、UKを中心とした英語圏のバンドが主体ですが、時々非英語圏のバンドの名前も出てきます。非英語圏の中で最大の音楽シーンを持っている国と言えば日本。今回は、ロック史に名前が出てくる日本のアーティスト(主にバンド)を5組、紹介します。海外のアーティストのインタビューであったり、wikiで「影響を受けたアーティスト」として名前を見たことがあるアーティストたちです。なお、そうしたバンドも多数ありますが、今回は基準としては下記で選びました。

1.日本より海外の方が知名度が高い(と思われる)

2.基本的に、活動の中心地が海外

3.現在も活動している

なので、海外でも一定以上の知名度があるけれど、日本の方が知名度が高い /活動の中心は日本であると思われるアーティスト(例:X Japan、YMO、Babymetal、コーネリアス、Dir En Grey、パフィー等)は省いています。

1.Boris

ボリスは1992年に東京で形成されました。現在のメンバーはドラムスのAtsuo、ベース/リズムギターのTakeshi、そしてリードギター/キーボードのWata。3人のメンバー全員がボーカルも担当します。ボリスは、世界中のさまざまなレーベルで20を超えるスタジオアルバムをリリースしているほか、さまざまなライブアルバム、コンピレーション、EP、シングル、コラボレーションアルバムをリリースしています。

彼らの国際的な人気は、2005年のアルバム”Pink”が評価されたことから始まりました。このアルバムはUSのサザンロードレコード(ストーナー、メタル系に強いインディーズレーベル)から発売され、批評家の称賛と音楽ファンの支持を得ました。ブレンダーマガジンとSPINマガジンはどちらも2006年のベストアルバムの1つに選び、カナダの雑誌Exclaimの2006 Reader's Pollのメタルセクションでもトップになり、Pitchfork Mediaの2006年のトップ50レコードのトップ10に選ばれました。それ以来、Borisは海外メディアの年間ベストアルバムの常連で、前作「No(2020)」もAllmusicのベスト2020他、多くの賞に選ばれています。

また、前衛的なサウンドトラックも手掛けており、ジム・ジャームッシュ監督の映画「リミッツ・オブ・コントロール(2009)」の音楽を担当。監督はボリスについて「彼らのライブでは、何かを演奏するたびに明らかに違うんだ。ある意味でジャズミュージシャンのモードにいるというか、互いの反応を見ながらその上に音楽を構築していく。それが魅力的だね」と語っています。

もともとはハードコアやスラッジメタル(ドゥームメタルとハードコアパンクを混ぜたもの)の影響が強いサウンドですが、ノイズミュージシャンとのコラボなど、実験的な作品も定期的に出しています。最初のコラボは日本人の実験音楽家である灰野敬二とのBlack:ImplicationFlooding(1998)。その後もSUNN O)))、IanAstbury、メルツバウなど、ノイズの国際的アーティストとのコラボレーションアルバムを7枚リリースしています。Borisと同じように世界で活躍している日本のアーティストであるメルツバウ(秋田昌美)との2020年のコラボ作、「2R0I2P0」から1曲紹介します。この2組は過去に数作コラボしている盟友とも言える存在。

2.MONO

モノ(MONO)は、1999年に東京で結成された日本のインストルメンタルバンドです。世界的に評価が高く、現代ロックシーンに静かな影響力を持っています。オルタナシーンの重要人物、スティーブ・アルビニを長年のプロデューサーとして迎えており、オルタナティブロック史に名を刻むアーティスト。公式サイトのバイオグラフィーを引用します。

1999年に東京で結成された4人組インストゥルメンタルロックバンドMONO。オーケストラとシューゲーズギターノイズを合わせたオリジナルな楽曲スタイルは世界中で非常に高い評価を受けており、もはやロックミュージックの域では収まらないその音楽性は、イギリスの音楽誌NMEで”This Is Music For The Gods - 神の音楽"と賞賛された。結成から最初の10年間で、MONOは、特に高い評価を得ているライブパフォーマンスでそのステータスを急速に確立していった。(中略)現存する最高のライブバンドの1つだと認識されている。(中略)MONOは現在日本で最も国際的に成功しているバンドの1つである。(中略)2019年のツアー最終日はロンドンの歴史的なバービカンホールで行い、2,000人の聴衆に向けてオーケストラと共に演奏されたこのスペシャルライブを2021年に「Beyond the Past」としてリリース。このアルバムはビルボードのクラシック・クロスオーバーアルバムで全米2位にランクインした。

オーケストラとの共演から1曲どうぞ。

新世代のポストロック、音響派。USのTortoisなどからの影響もあるのでしょうけれど、やはりUSとは違う、アイスランドのSigur Rósのようなどこか辺境的な響きがあります。

以前、MONOのアルバムレビューにも書いたのですが、MONOのデビュー当時、同じく東京で活動していたBOaTというバンドがいて、音には通じるものを感じます。当時の日本のロックシーンの中では異端な音でしたが、ポストロック的な音像を指向していたシーンが(小さいながら)存在していたのかもしれません。

ごく個人的な感想だが、90年代後期に日本で活動していたBOaTの最終作「RORO(2001)」に近いものを感じた。今聞くとROROは音響面が粗削り(時代の限界)なのだが、当時は突然変異したように感じたし、何か妙に心に残ったアルバムだった。MONOは2000年、2001年当時は下北沢や新宿など都内のライブハウスでライブを行っていたようだから、もしかしたら影響を与えた、あるいは相互に影響を与え合ったのかもしれない。

BOaTは歴史に埋もれていったバンドですが、ROROは当時としては画期的な名盤だと感じました。この後、BOaTが存続していたらどんな音楽を奏でていたのだろう。1曲貼っておきます。BOaTとMONOが繋がっていたかは不明(名前が出てくるインタビューなどは見たことがない)ですが、繋がっていたら面白いなぁと思っています。

3.Sigh

サイは1989年に東京で結成されたブラックメタルバンド。ブラックメタルというジャンルの創成期から活動するバンドで、ベーシスト/ボーカリスト/キーボード奏者の川嶋未来、ギタリストの藤波聡、ドラマーのカズキが創設メンバー。それ以来、バンドは多くのラインナップの変更を経験しましたが、川島と藤波は現在までバンドに残っておりそれぞれが多くの異なる楽器を演奏してきました。

彼らの世界的な知名度を高めたのは、デビューEP”Requiem for Fools(1992)”とデビューアルバム”Scorn Defeat(1993)”がノルウェーのDeathlike Silence Recordsからリリースされたことです。Deathlike Silence Recordsはメイヘムのユーロニモスが主宰していた北欧ブラックメタル創生の地にして総本山であり、ユーロニモスの1993年の殺害(この過程は映画「ロードオブカオス」で描かれています)後に消滅。この(良くも悪くも)伝説と言えるレーベルからアルバムがリリースされたことで、「ブラックメタル創成期から活動する伝説的なバンド」としての地位を確立します。

その後、(ほかのブラックメタルバンドと同様に)音楽性を拡張していき、メタルとしてのエッジは保ちつつ実験的な音像、プログレッシブメタルに変化していきます。もともと、音楽的自由度が高いのがブラックメタルであり、自由な初期衝動の発露でした。さまざまな音楽的要素を取り入れやすいスタイルであり、プログレッシブな方向に進化するのは必然だったのでしょう。サイの場合は、ルーツである日本の伝統音楽の楽器と作曲スタイルを取り入れたり、東洋や中東のメロディを取り入れたりと日本だけでなくオリエンタル、エスニックなスタイルを取り入れて個性を出しています。

ブラックメタル、ハードコアパンクなどはアンダーグラウンドな音楽シーンであり、逆に言えばUS、UKだけがメインストリームというわけではない。商業的成功を収める大きなメインストリームがない分、非英語圏や辺境のバンドでも音がカッコよければ評価される、支持される特性がある気がします。もともとそれほど知名度があるシーンでもない分、非英語圏のハンディキャップが少ない。日本のバンドでは、ブラックメタルだとほかにAbigail、Sabbat、Gallhammerなどがシーンの中では著名です。

他、日本のバンドがシーン全体に影響を与えたのはノイズとハードコアでしょう。どちらもブラックメタルと同じく、限られたアンダーグランドなシーンであり著名なバンドが少ない分、日本のバンドでも主要なバンドとしての位置を占めています。駆け足ですがこうしたアンダーグラウンドな激烈音楽シーンで伝説化している日本のアーティストを補足説明しておきます。ノイズは先ほど名前が出たメルツバウの他、ボアダムスも有名。ボアダムスはロラパルーザに出たり、Nirvanaの前座を務めたりしています。

日本のハードコアシーンは1970年代終わりに活動したSSが始まりとされています。SSはブラックフラッグ、ミドルクラス、バッドブレインズらに影響を受けたミニマルで高速なハードコアスタイルを確立しました。続くG.I.S.M.が国際的に著名。グラインドコアの成立に影響を与えたとされており、デビューアルバム”DETESTation(1992)”はUSのRelapseレコードからリイシューされています。

また、ハードコアをさらに過激化させたグラインドコアではSxOxBはこのジャンルの創始者の一つとされています。彼らのデビューEP”Leave Me Alone(1986)”は当時のシーンに衝撃を与えた作品。

4.少年ナイフ

続いては少年ナイフ。1981年12月29日に結成された日本のガールズパンクバンドの先駆けと言えるバンドで、現在も活動中。Nirvanaのカートコバーンが書いた「聴くべき50枚のアルバム」のメモに名前が挙がっていたことでも有名なバンドです。

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Nirvanaのサポートアクトとしてツアーを行ったこともあり、全米での知名度も高い。先にUSでデビューして、その後で日本デビューしています。カートコバーンはかなりお気に入りだったようでNirvanaのツアーのサポートに少年ナイフを起用したり、交流があった様子。

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Nirvanaのシークレットギグで少年ナイフのTwist Barbieをカバーしたりしています。元曲をどうぞ。1993年のライブ映像から。

ラモーンズ直系のプロトパンクとも言えるシンプルなパンクロックが身上で、結成40周年を迎えた現在も活動中。

他に日本のガールズパンクバンドだとロリータ18号赤痢が浮かびますが、元祖と言える少年ナイフがまだまだ健在なのは凄いですね。

5.喜多郎

最後、「ロック史?」と思われるかもしれませんが、ニューエイジ、ヒーリングミュージックの大御所、喜多郎(Kitaro)です。

喜多郎はもともと日本のプログレッシブロックバンドであったファーイーストファミリーバンドにキーボードとして参加したのがプロとしてのキャリアのスタート。もともとはロックの人です。その後、ドイツに渡りクラウトロックの重要人物、クラウス・シュルツ(タンジェリンドリーム、ソロ)に傾倒してシンセサイザーミュージックに開眼。独自のシンフォニックプログレとも言える音楽性が花開きます。

1980年にNHKで放映された「シルクロード」の音楽を担当し、このサントラが大ヒットしたことで注目を集め、1985年にUSのメジャーであるゲフィンレコード(エアロスミスなども所属)と契約してUSデビュー。1987年にはグレイトフルデッドのパーカッション奏者、ミッキーハートとのコラボアルバム”THE LIGHT OF THE SPIRIT”をリリース。そして、日本人としては初の大規模全米ツアーを行います。日本人で初めて真の意味でUSで成功したアーティストと言っても良いでしょう。今までに15回、グラミー賞にノミネートされ、2000年のアルバム” Thinking of You”ではベストニューエイジアルバムを獲得しています。

ミッキーハートの他、1992年のアルバム”Dream”ではYESジョンアンダーソンを3曲ボーカルにフューチャー、同年、元Megadethマーティフリードマンのソロアルバム”Scenes”のプロデュースを行うなど、プログレッシブロック系の人脈とのつながりも強いアーティストです。音としても、80年代のニューウェーブやシンセポップに与えた影響は大きい。Talk Talkとかにも影響を与えていた気がします。80年代~90年代にかけて、同時代の先端を走っていた音。ニューウェーブやプログレッシブロックの文脈の中でも存在感のあるアーティストです。このサウンドは、当時のUS、UK主体のロックシーンの中で異質だったし、衝撃的だったと思います。

以上、今回は世界のロック史に影響を与えた/ている5組のアーティスト+αを紹介しました。活動拠点が海外中心で、むしろ日本での知名度の方が低い気もするアーティストが多いですが、どのアーティストも現在も世界で活躍中。いわゆる「邦楽」の枠をはみ出した音を奏でていますが、やはり日本人らしさも感じるサウンドです(日本語の歌詞で歌っているバンドもいますし)。逆に言えば、こういうサウンドが世界から見た「日本の特徴的なサウンド」なのかもしれません。

それでは良いミュージックライフを。

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