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教育は「双方向の営み」であり、「未来への先行投資」

仕事からの帰路、ふと浮かんだことをTwitterに綴る……

自分が選択肢を感じ取る前に、他者が決めていることへの疑問。選べずに、やらされていることに対する違和感。

誰のために学校っていう場があるんだろう。そう考えた時、強制的に「人を育てる枠組みやレール」って必要なことなのだろうか、って。

むしろ、自分という存在を意識したり、他者との関わりを感じたり、社会を俯瞰したり、未来を描いたりするような「時間」と「空間」が必要なんじゃないのか。

そんな、素朴なギモン。


とはいえ、そういった場を成り立たせるための資源(=人材)やバックヤード(=経営)は外せない。

途端に「できない理由」が思考の邪魔をする。

当たり前だ。これまでの「当たり前」を維持したままで、理想を実現しようとするから無理なのだ。結局、検討した・議論したという形をつくっただけで終わってしまう。

最初から、どこかで諦めたり妥協したりすることを念頭に置いていないか。そもそもをゼロベースでつくっていかないとダメだとわかっていながら、いたずらに議論ごっこの時間稼ぎをしていないか。

振り返れば、至らなさが拭えない。

いつも考えることだけど、学びを「提供する側」と「享受する側」に分けているから、思考が硬直化するんじゃないのだろうか。

思春期の可塑性こそ、人生の可能性を広げる冒険のエンジン。鋳型にはめることは、それを狭めるブレーキでしかない。

教育は「双方向の営み」であり、「未来への先行投資」だという認識を持ちながら、最善をめざしたい。


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