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ドルトン東京学園のルーツを探る

学校名の「ドルトン東京学園」は、2つの単語が重なってできています。ひとつは「ドルトン」、もうひとつが「東京学園」です。

詳しく見ていきましょう。

まずは「ドルトン」


これはドルトンプランからきています。

ドルトンプランは1908年、アメリカのヘレン・パーカーストが提案した教育法です。パーカースト女史は当時の学校教育の弊害に対する試みとして、一人ひとりの能力、要求に応じて学習課題と場所を選び、自主的に学習を進めることのできる「ドルトン実験室案(Dalton Laboratory Plan)」を提唱しました。

そして1919年、マサチューセッツ州のドルトンという町にそのプランに基づいた小さな学校を創設しました。その後、1922年にニューヨークのセントラルパークにほど近い住宅街に移設されて以来、幼児から高校生までの一貫教育の場として数多くの人材を世に送り出しています。

続いて「東京学園」


こちらは東京学園高等学校がその由来です。

実業家や経済学者はじめ、当時の内閣官報局と一橋大学の前身である東京高等商業学校の教授などによって、日本で最初の私立商業学校として1889年に創立されました。

1968年に普通科を設置。1973年に東京学園高等学校に改称後は普通科のみとなるものの、創立以来の商業教育は2009年まで120年以上も続きました。

ほぼ同時期にアメリカと日本で誕生した2つの学校


結びつけるきっかけを作ったのは河合塾でした。

1970年に幼児児童の知能開発を目的とした英才教育研究所河合塾教室を名古屋で開校。それが1976年にニューヨークのドルトンスクールと提携することをきっかけに、河合塾ドルトン教育研究所と改称されました。

1976年4月に東京ドルトンスクールを開校。1982年には名古屋にもドルトンスクールが誕生し、その実績を着実に積み重ねていくなか、2013年に河合塾が東京学園高等学校への経営参画を表明。2019年度を目途に中学校を新設し男女共学化、中高一貫教育によって国内外の一流大学への進学をめざすと発表しました。

結果、120余年の歩みを経て、アメリカと日本にある「2つの学校」がひとつになりました。


2019年4月、東京調布市の国分寺崖線の上、NTT中央研修センターのグランドなどがあった場所に、ドルトン東京学園中等部・高等部が開校。

日本初の「私立商業学校」、アメリカで学校教育の弊害を憂い創設された「ドルトンスクール」は、いずれも「恐れずに進め」をスクールモットーにした、まさに超チャレンジングな学校です。

そのDNAを受け継ぐとともに、生徒一人ひとりの興味・能力・必要性に応じてプログラムを立て、個人の能力を最大限に引き出す「学習者中心」の場。

「自由」と「協働」を軸に、生徒の個性を伸ばし、知的好奇心や探究心を湧き起こす学びを生徒自らが追い求めていきます。

数学、科学、歴史学、語学、コンピュータなど学問的な領域はもちろん音楽、美術、体育などさまざまな経験を通して、子ども自身が好きなことや得意な分野に気づき、伸ばしていけるような教育環境が大きな特長です。

今年、開校5年目。いよいよ来年度末には、2019年に入学した一期生が卒業します。


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