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西の御所とも呼ばれる広大な寺院へ

予定外の寄り道はほどほどに

円の形の建物を後にして、花園駅を越え
次の目的地である大本山妙心寺へ

妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山。日本にある臨済宗
寺院約5650寺の内、約3350寺を妙心寺派で占める
といい、本山にあたる妙心寺の広大な境内には40を
越える塔頭が建ち並ぶ。1342年に創建された寺院の
開基である第95代天皇の花園法皇は、この地を愛し、
花園の名の地に構えた離宮を禅寺にされたという。

自転車を停め、寺院の境内の南端にある南総門へ
門をくぐり大本山である妙心寺に広がる風景へ
境内全景の見取り図も。目指すは大心院と退蔵院
石畳の通路の先には大方丈。建ち並ぶ建物を順にたどる
右手に見えたのが明智風呂と呼ばれる浴室
明智光秀は妙心寺に礼拝し、辞世の句を唱えたとされている
妙心寺は近世禅宗伽藍の最も完備した形とされ、勅使門
より北へ、三門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈が一直線で並ぶ
この朱色の建物が三門。その奥に仏殿が見える
石畳の突き当りには先程の浴室が見える
三門を越え、一直線に並ぶ仏殿は、入母屋造の本瓦葺で
屋根の下にぐるりと大きな一重もこしを備えている
三門、仏殿を過ぎ、一番手前が法堂に
法堂の向かいには最初に見えた大方丈の門が建つ
法堂と寝堂は屋根のかかる通路でつながり
立体交差となる通路の寝堂では、法堂の拝観受付 
法堂にある狩野探幽の雲龍図も見どころの一つ

受付は昼休み中。時間もないので広大な妙心寺の先へ

今回は見逃したけど、雲龍図にもまたいつか

大方丈の前に広がる風景も
今回はここまでに。ここ建物にもまたいつか
妙心寺の前方丈、礼の間とも称される寝堂を過ぎ
大方丈の横の通路を北へと進む
通路に面して建つ鐘楼を見上げつつ
寺院の中に建ちならぶ小院の中を進む
霊雲院は御奈良天皇の接見の場として。重要文化財でもある
築地塀の5本の定規筋は広隆寺にも。日本建築を少しずつ
妙心寺大通院は山内家の菩提寺で、山内一豊と妻の千代の
墓石が、同じ大きさで並び埋葬されているという
境内の先にそびえる衣笠山を眺めつつ
通路に沿って建ち並ぶ建物をたどる
麟祥院は徳川三代将軍家光と乳母の春日局にゆかりのある所
両脇に生け垣が続く石畳の通路を振り返りつつ
小院をたどる。隣華院を創建した脇坂安治は
豊臣秀吉の天下取りを支えた賤ヶ岳の七本槍の一人
軒丸瓦や化粧瓦にも目を止めつつ
町とつながった広大な妙心寺の境内を進む
大雄院の表門は創建時のもので400年の時を経る
内部には日差しをうける穏やかな風景が広がって
仲良く寄り添うお地蔵様に癒やされる
入口には、大雄院襖絵プロジェクトによる襖絵も
石畳の通路に沿って、小院をたどり
妙心寺の境内をぐるりとめぐる
通路には小方丈の入口も
中の様子をのぞきながらも
漆喰の塀の先の大心院へ

妙心寺に広がる様々な風景を楽しもう
 
臨済宗の禅寺である妙心寺。京都の禅寺には、五山十刹
に代表される室町幕府の庇護と統制下にあった派と、
それとは異なる在野の寺院があったとされる。前者を
禅林、後者を林下と呼ばれ、妙心寺は大徳寺と共に林下
の代表的寺院であるという。一言で寺院といっても、
さまざまな宗派があり、古くからの歴史を持っている。
日本建築を楽しみながら、その歴史にふれていこう。

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