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わたしたちが歩く回廊

 わたしゃアラバマからルイジアナへ〜、
 バンジョーを持って出かけたところです🎵

 アラバマと聞いて、日本人が真っ先に思い浮かべるのが、この、フォスター作の『おおスザンナ』ではないでしょうか。
(フォスターと言えば、『スワニー河』もすぐに思い出され、同時にメロディも流れてき、訪ねた時の、その澄んだ水や河岸の枝垂れ柳などの風景も蘇ってきますが、スワニー河はジョージアとフロリダを流れていてアラバマではありません。)
(ちょっとした驚きは、フォスターは南部の人ではなく、訪ねたこともないのだとか。黒人でもありませんしね。)

 もう一つは、もしかしたら『アラバマ物語』。
 原題はTo Kill a Mockingbird で、グレゴリー・ペック主演で映画も有名でした。翻訳書籍は、暮らしの手帖社らしい、いつまでも手元に置いておきたいような作り。サロペットを着た少女、スカウトちゃんが表紙で。

 日本人でも、アメリカ在住ならば、アラバマと言えば、我らがローザ・パークス、そしてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、です。

 1955年。当時、公共の場では白人と黒人はきっちり分けられ厳格な差別があり、バスの座席も当然、白人用と黒人用があり、黒人席でも、白人が来れば譲らなければなりませんでした。
 でもそこで、ローザはある時、白人に席を譲るのを拒否したのです。
 その時、“たまたま”同じモンゴメリーの街に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが牧師として赴任していました。それで、黒人のバス・ボイコットが始まり、そこから公民権運動が広がったのです。

 ああローザ・パークス! 万感の思いを込めて抱きしめたい。
 彼女は、席を譲らなかったことについて、後にこう言いました。

「わたしは、ただ、権力に従わされることに、疲れ果てていたの」。

 “お上”に従うこと、世間に合わせること、口をつぐむこと、我慢を自己防衛の手段にすること、すべては自分が劣っているせいだと結論すること(黒人だから、アタマ悪いから、学歴がないから、お金がないから、美しくないから、愛してくれる人がいないから、親の愛情を受けていないから、障害があるから、病気だから、その他いろいろ)
 そういうことは、ホントに自分を疲れさせ、消耗させ、命を冒涜し、知覚する社会をますます荒地にしていきます。

 ローザの勇気に誰もが拍手を惜しまないけれども、ごく自然な、正直な、いちばん楽な行動とも言えますよね。「屈すること」ほど、疲れるものはないのだから。

「自分が悪い」と思い込むことや、「自分が我慢すればいい」と結論することを、楽な選択だと思うのは勘違いで、消耗するだけだということは、誰もが経験で知っています。

 いつでも言っていいのですよね。
 いい加減、もう疲れました!と。
 屈服に疲れたから立ち上がって腰を伸ばしたいのだと。

 そのように “自己解放”すると、その波紋はどこまでも広がっていきます。まず、前述したように、それはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを動かし、黒人の心を“変容”させ、大勢の白人の心にも気づきをもたらしました。

 その中には、ブライアン・スティーヴンソンが立ち上げた、非営利団体 Equal Justis Initiative ( EJI ) もあります。モンゴメリーのThe Legacy Museum(遺産博物館)とThe National  Memorial for Peace and Justice (平和と正義のための記念館) は、かつて奴隷市場があった場所に彼らが設立したものですが、どちらも、内容の深さにしても規模にしても、全米にあるいくつもの黒人ミュージアムの中で、突出しています。

 彼らは、黒人として一括りで語るなどということをしません。できる限り、あらゆる手を尽くして、その一人一人が経験したこと(虐待、リンチ、性奴隷、その他さまざま)、いつどこで何があったかを、その個人名とともに、克明に示しているのです。どこから連れてこられて、どこで何があったか、膨大な時間と労力で、詳細な記録をたくさん集めています。リンチ? なぜ? どこで? どんなふうに?
 彼らは、十二の州で何百ものリンチ現場を訪ねて、事実を収集してきたのでした。

 わたしが何年も前にモンゴメリーを訪ねた時、そこは晴れわたっていて、眩しい空に千切れ雲が浮かび、ゆっくり流れていました。それは、そこにしかない空の色で、一期一会の雲でした。
 ここ、モンゴメリーこそ、米国の中心であるべきだと、その時思ったのです。
 ここから米国が始まり、ここに米国が負っているものがある。
 断じてワシントンD.C.ではなく。ましてやペンタゴンでもなく。 
 ここは、米国のcornerstone、だと。

 同じアラバマの、モンゴメリーより少し南の農村で生まれ育った同い年の友達は、中学校に、黒人の男子が転入してきたとき、父親に、すぐに転校させられたそうです。
 黒人は危険だと思い込んでいたので、単純に娘を守りたかったのです。お父さんは、人種差別者だった、というわけではないでしょう。同時に、彼こそが人種差別者です。黒人が危険? どうしてそう思ったの? ラジオを聴いて? 新聞を読んで?

 かつて子どもに対して日常的に体罰を与えていた親たちは、虐待していたわけではないのですよね。同時に、それは虐待でした。

 50年代のロンドンでは、夜泣きする赤ちゃんには、ウイスキーを与えて眠らせていたそうです。虐待ですか? 驚きますよね? でも当時はそれが、育児書に載っているやり方だったのです。米国でも、そうやって育った人たちがいます。

 “ひどいこと”“人権を無視したこと”は、悪魔の仕業ではなく、過ちです。無知ゆえの。「そうしなければ生き延びられない」という洗脳ゆえの。無知からの脱出を図らなければ差別や悲劇や争いは終わりません。知らなければ。無知が何をするかを。逆に、知ることの波紋がどれほど大きいことかを。
 そして、私たちがいちばん知りたいこと、同時に知るのを避けてきたことは、自分自身のほんとうの思いに違いありません。

 それを知らずにいること、仕方ないと諦め、自分の足りなさのせいにし、我慢でコトを収めようとすること、それは自分自身への、生命に対しての冒涜です。最大の無知。そこからの解放を、アラバマの空は教えてくれました。

(写真は、記念館の、一階回廊です。リンチで死んだ人たち一人一人の名前が刻まれています。その下を、延々と歩いていきます。米国の、いえ、世界の歩みそのものです。)(見上げても実はそこは青空ではないのです。だからこそ青空を見たいと祈るのです。)


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