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美術館/博物館が抱える本質的課題考 ”激しい光型”コンテンツの時代に”静かな光型”コンテンツはどうすべきか?

地域の美術館・博物館の活性化について学生と取り組む機会があったので、少し考察してみた。

ICOM(国際博物館会議)の第2回調査報告書によると、新型コロナウイルス感染拡大の最中に約95パーセントの施設が閉鎖を余儀なくされ、それによる深刻な経済的・社会的・文化的影響を示している。(美術手帖より)
地元:熊本においても、2020年の来館者が県美術館で対前年7割以下、市現代美術館で前年の1/3以下という報告がある。(熊日新聞記事)

とはいえ、実はコロナ以前からミュージアムは経営難に苦しんでいた。主に、来館者減による入館料減、公的施設の場合は自治体予算の減、民間の場合は寄付金の減少などによる収入減少と維持管理や企画費用の増加によるコスト増の二重苦にあえいでいたのである。そこに加えてコロナで、負のスパイラルに拍車がかかった状況と言える。

そんな中、今回の学生への依頼テーマも「若年層を取り込むための、市街MUSEUM連携のアイデア提案」であった。熊本市街地周辺にある大小7つのMUSEUM(博物館、美術館、工芸館等)が存在し、その連携で活性化を考えたいという内容であった。来館者減少の課題を将来に向けて、解決策を模索したいというニーズと判断した。

4名のゼミ生が本テーマに取り組むことになったが、ほとんど来館経験がなく(あっても小学生の時とか)、場所や名前すら知らないという所も少なくない状況の中、自分たちで訪問し調べたりして、4つほどの提案を行った。その趣旨は、彼らにとって現状のMUSEUMは”ワクワクしない”、それは、経験価値マーケティングで言う”THINK”要素のみだから、他の要素を組み合わせてワクワクさせよう、というもので、具体的施策案は、オリエンテーリング的体験や音楽会とのコラボ、ライトアップイベントで集客、カフェを使って集客、といった内容であった。(その提案のバックボーンとなっているのは、シュミットが提唱している「経験価値マーケティング」の考え方である。図に示す。)

経験価値

学生から関係各者へのプレゼンの際に、イマドキの若者が興味を持つ事柄に対する評価反応はあったものの、MUSEUMの本質ではない部分での集客施策に対してやや抵抗を感じる反応もあり、作り手(発信側)と受け手(受信側)の大きなギャップを感じたことももあり、学生の検討を横で観察してきた立場から、この問題の本質について、少し考えてみることとした。

➀学生目線”ワクワク”で見る様々なコンテンツ評価

市街地周辺にある施設ということで、街にはファッションや食べ物、カフェなどを目的に出かけるのに、MUSEUMには行かない、行こうと思わないという学生の発言があった。今回のMUSEUMが街周辺に存在していることもあり、「何故”街”はワクワクすると評価され、博物館や美術館は評価されないのか?」と議論になったのであるが、学生と普段から接している身として、私は、その「ワクワクする”街”、ワクワクしないMUSEUM」という対比に少し違和感が感じた。

そこで、私の勝手な解釈であるが、イマドキの若者がワクワクしているものを図示化してみた。

ワクワク

MUSEUMと比較して言及された”街”であるが、一部の流行しているファッションや食に惹かれて”街”を評価はしていたが、「街に行く」理由は、”暇つぶしになるから”と言っている。MUSEUMと比べて暇つぶしにはなる”街”は、相対的にワクワク度が高いというのが正しい認識ではないか? 実は、彼らが本当にワクワクしているのは、「鬼滅の刃」だったり、USJだったり、ゲームだったりする。ワクワク度としては中間地点に”街”は存在し、そのものがワクワクするのではなく、流行っているファッションや食べ物や映画があった時に行く場所であり、普段は何もやることがない時に暇つぶしに行く場所といった位置づけであると推定できる。一方で、MUSEUMは本や新聞と同じように、彼らが何かしたいと思う時の「視野の外」に存在するものと言える。つまり、MUSEUMが抱える課題は、本離れ、新聞離れといった現象と同一の根っこを持つ問題と見えてくる。つまり、若者にとって選択肢にも入ってこない、という相対的じゃなく絶対的な問題こそが、課題と言えるのではないか。

➁学生の言う、”ワクワク”の正体とは?

イマドキの若者が”ワクワク”すると言っているものは、どこからもたらされているか? それがSNSやネットからであることは、論を俟たないだろう。現代はまさに情報洪水の時代である。1日にアップされる動画を全部見ようとすると80年以上かかると言われている。

情報洪水

私はこの情報化社会における情報の本質の一つは、「強い刺激」にあると考えている。人々(特に若い世代)は、毎日膨大に降り注ぐ情報を浴びて、その中から自分たちがコレと思う情報に反応すればよいのである。誰かが発信する「USJ」「フェス」のコンテンツ情報に反応し、その強い刺激は彼らを揺さぶり、それに仲間と一緒に身をゆだねることで充実感を味わえる。情報化社会の中で「刺激―反応」型のライフスタイルが、その基本となっていると言っても過言ではない。

これを、「激しい光」型コンテンツと呼びたい。これらのコンテンツの発する「激しい光」に揺さぶられること、それが”ワクワク感”の正体ではないかと考えるのである。彼らのコトバ「ノる」「エモい」は、まさに刺激反応型の感覚を表していると思える。

➂ミュージアムは「静かな光」型コンテンツ

では、彼らがワクワクしない、視野に入らないとするコンテンツはどうだろう? 今回、テーマとなっているミュージアム(美術館、博物館など)に加えて、本、新聞などであるが、これらは、総じて「鑑賞」するコンテンツと言える。若者を”ワクワク”させてくれる「激しい光」に対して、「静かな光」型コンテンツと呼ぶこととする。そのココロは、もちろんコンテンツ自身は輝く素晴らしい光を有しているが、それに接してその光を感じるためには、人の方に、それらを照らす「心のサーチライト」というべき光源を持つ必要があるということです。

光比較

「心のサーチライト」は鑑賞力と言い換えられるが、鑑賞には、自分なりのサーチライトを対象に当て、そこから返ってくる光を受け取って感じる能力が必要となる。

情報洪水の時代の中、我々(特に若年層)は、ただ情報を受信してその刺激に反応すればよい生活に慣れ、心のサーチライトを使わなくなった、さらには持たなくなったのではないか? そしてこれこそが、「静かな光」型コンテンツ(ミュージアムや本など)が抱える本質的課題ではないのか?

④「静かな光」型コンテンツが取るべき戦略は?

では、「激しい光」型コンテンツが氾濫する時代に、ミュージアムなど「静かな光」型コンテンツは、どのようにお客様にアプローチすべきか?

キーワードは、「心のサーチライト」であると考える。心のサーチライトを軸にターゲットを考えると図のように3つに分けられる。

ターゲット

一つ目は、「➀今でもサーチライトを使っている人」つまり、ミュージアムのファン層ということ。ただ、この層の来館頻度が減少していることも課題となっている所も多いと想像される。ファンサービスなど満足度向上策は必要になるだろう。魅力発信源としてファンを活用する視点も面白いと思う。

次に「➁サーチライトを持っているが、使わなくなっている人」。潜在的ユーザーと定義できる。「刺激―反応」の毎日で使う必要がなくなり、サーチライトが錆び付いている層である。この層へのアプローチは、とにかくコンテンツとの接点(タッチポイント)をどんな形であれ作ることと言っても過言ではない。接点が生まれることで、彼らのサーチライトを再起動できれば、興味や関心を喚起できるかもしれない。どんな形であれといった手法として、学生が提案した他の”ワクワク”とコラボした提案も位置付けられる。

コラボ

➁の層も、サーチライトを使わなくなってミュージアムとは疎遠になっているので、出会うきっかけが必要であり、カフェや音楽やライトアップで入口まで連れてくるという仕掛けが有効というわけである。

まあ、このやり方は、ミュージアムの専門家から見ると邪道に見え、また、➁の層を探す効率も決して高いとは言えないので、眉を顰める向きも多いかもしれないが、ミュージアムが”視野の外”になっている若年層開拓には必要な施策と私は思う。

最後に、「➂サーチライトを持っていない」層について考えたい。この層は、上記手法を使って入口まで連れてきても、残念ながら、実際の美術品や博物品に興味を持ってくれないと想定される。「心にサーチライトを持たせる」ためには、中・長期的な啓発・教育活動を考えるしかないと考える。その時に、ポイントになってくるは、”人”。心にサーチライトを持つという事は大きな変化である。人を変えるには人の力が必要になる。例えば、新聞がやっているNIE活動を参考に、MIE(Museum in Education)と名付け、ミュージアムが学校教育や街へ出掛けていって、その魅力を伝えることで、子供たちや学生の心に「サーチライト」の種を植えていく、そんな活動を考えたらどうだろう? NIE活動がどれほど新聞離れをという課題を解決しているかは不透明であるが、「静かな光」型コンテンツを鑑賞できる「心のサーチライト」を若者に持ってもらう事は文化継承という観点からも大事だと思う。

そして、ミュージアムにはそれを担える人材がいる。キュレーターや学芸員である。今は、館内にいることが多い人たちであるが、この人たちが、館を出て街に啓発のために出ていく伝道師としての役割を果たせるのではないか? 本屋で見かける店員の手書きPOPのように、学芸員の手書きの紹介文を作ったりそれをSNSに投稿したり、「心のサーチライト」を示すことで、サーチライトを持つ楽しさに気付かせる事ができるかもしれない。


学生と取り組んだプロジェクトでの気づきをまとめてみた。学生とのディスカッションで驚いたことがある。彼らは「ミュージアムへは一人では行かない」というのだ。おそらくすべての活動で「一人で」という選択肢があまりないのかもしれない。「静かな光」型コンテンツは、ある意味自分と対峙するところにその本質的な価値がある言っても過言ではない。「心のサーチライトを持つ」ことは、単純にミュージアムの活性化につながるだけでなく、豊かな人生を持つことにもつながる、大切なポイントかもしれない。

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