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黒うさP『千本桜』の歌詞を分析してみた

※本論は、ボカロ批評同人誌の白色手帖『ボカロ批評 Vol.02』(2014年)に掲載した「『ニコニコ動画の外』から見たボカロ-文学・現代詩の観点から」の転載です。

 黒うさPの『千本桜』は、言わずと知れた人気のボカロ曲である。
 現在(2014-10-14)、『千本桜』は八〇〇万を超える再生数を叩きだしており、膨大な楽曲群を抱えるニコニコ動画のなかで、八〇〇万再生を超える曲は同曲をふくめてたったの三曲しかない。いかに『千本桜』が突出して聴かれているかが分かるだろう。

 すでに楽曲の投稿から三年が経過しているが、人気は留まることを知らず、未だに「現役」の曲である。その人気を背景に、ノベライズやテレビCMへの楽曲の採用など、メディアミックスは多方面にわたる。また、歌詞がさまざまな解釈を可能にしていることが、この曲の人気を後押ししている背景にあると言われている。

 だが、「歌詞の解釈」というものは、なかなか困難な作業だ。各所の掲示板やブログに書かれている『千本桜』の歌詞の解釈を読むが、やはり個々人の主観に解釈の基準が依存しており、「この部分は、こういう意味ではないか?」と、一部分に限定された主観的な解釈に終始しているものが多い。

 そこで、私は個々人でそれぞれ異なる「主観」というものはいっさい用いず、客観的な読解で『千本桜』の歌詞の内部に迫りたいと思った。現代詩的な読解のアプローチ方法を提示しつつ、根拠を示して、普遍性の高い意見を言いたい。では、以下に歌詞を引用させていただく。

 大胆不敵にハイカラ革命
 磊々落々 反戦国家
 日の丸印の二輪車転がし
 悪霊退散 ICBM

 環状線を走り抜けて 東奔西走なんのその
 少年少女戦国無双 浮世の随に

 千本桜 夜ニ紛レ 君ノ声モ届カナイヨ
 此処は宴 鋼の檻 その断頭台で見下ろして
 三千世界 常世之闇 嘆ク唄モ聞コエナイヨ
 青藍の空 遥か彼方 その光線銃で打ち抜いて

 全体をざっと見ると、順番に「敵」「落」「転がし」「悪霊」「退」「夜」「檻」「断頭台」「見下ろし」「闇」「嘆ク」「銃」と、《暗いイメージを持った言葉》が頻出していることが分かる。
 このことから、『千本桜』は《マイナスのイメージの言葉の反復》によって、歌詞が構築されていると指摘できる。

 また漢字やカタカナが比較的多く、歌詞全体の雰囲気も硬質である。先に指摘した《マイナスのイメージ》と相まって、歌詞全体が暗い雰囲気をまとっていることが分かる。
 よく「暗い文章」だとか、「明るい文章」だとか言ったりするが、それは決して感受性の高い読者に限定された、特殊な文章の読み方ではなく、このように「同じイメージの言葉の反復」に注視すれば、文章はそのとおり読解することが可能である。これを『イメージによる読解』と呼ぶ。

 普通、文章というものは「意味」で読解することが多い。しかし、たとえば「犬」と書けば、そこには自然と「怖い」「警察」「凶暴」、あるいは人によっては「可愛い」「家族」などといったイメージを抱いているケースがある。

 このように、言葉そのものには意味だけではなく「言葉に付随するイメージ」があり、それを辿ることで、言葉の奥に隠された『内部』を解き明かすことが可能である。
 なかなか最初はそう読めない人もいるだろうが、いずれにしても、文章は「意味主体」ではなく、「イメージ主体」での読解も可能であるということを、ここでは認識してもらえればと思う。

 その認識に立った上で、『千本桜』の《マイナスのイメージ》に、もう一度焦点を合わせて見よう。すると、先にあげた言葉群とは別に、「二輪車」「ICBM」「環状線」「鋼の檻」「断頭台」「銃」といった《金属》を感じさせるイメージの言葉が、多数書き込まれていることに気づく。

 やや安直だが、《金属》は「生命がない」ものを意味する、これは端的に「死のイメージ」を意味している。ということは、これら《金属》を思わせる言葉群も、同様に《マイナスのイメージ》を構成していると言えるだろう。
 このように『千本桜』は、一貫して歌詞を《マイナスのイメージ》で構成していることが分かる。そして同質のイメージを何度も反復させることによって、イメージをより強く感じさせる工夫がされている。

 しかし、『千本桜』の歌詞の構築的な部分は、なにもこれだけではない。じつは他にも別の工夫がなされている。

 それは『イメージ同士の結合』である。

 まだ指摘していない歌詞の言葉がいくつかある。そのなかでも、特に「ハイカラ」「日の丸」「光線」といった言葉から感じられる《光のイメージ》、また《光のイメージ》と同質のイメージとして、「少年少女」「桜」「唄」「空」といった言葉群から成る《青春のイメージ》がある。

 そしてこれが重要なことだが、先にあげた《マイナスのイメージ》と、これら《光のイメージ》の二つのイメージは、歌詞のなかで一つのイメージへと収束していっている。それは、歌詞の末尾の「光線銃」という言葉が明確にしている。

 この「光線銃」という言葉は、《光のイメージ》の「光線」と、《マイナスのイメージ》の「銃」、その両方のイメージが合わさった言葉だ。その「光線銃」という言葉が、歌詞の末尾に来ることによって、全体の歌詞の《マイナスのイメージ》と《光のイメージ》を結合しているのだ。「光線銃」が歌詞の末尾に来ることには、必然的な意味があり、このように『千本桜』は二つのイメージを反復、交差させながら、一つのイメージへと収束させている構築性を持った歌詞だと指摘できる。

 以上、『千本桜』の歌詞を読解させていただいた。
 イメージ主体の文章の読み方はけっして万能ではない。だが、言葉そのものに秘められたイメージをつかむことで、歌詞のなかの言葉同士の関係性、その『内部』により近づくことができるのではないかと思う。

 また、今回の読解をとおして、『千本桜』がけっして安易に書かれた歌詞ではないことを確かめることもできた。

 ボカロ曲に対して、「それっぽい単語を並べているだけで、歌詞に深い意味がない」という批判を目にすることもあるが、『千本桜』に関しては、私はそうは思わない。

 高い人気を得ている曲は、やはりそれ相応の理由があるのだ。

詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/