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"大文字のピノキオピー"論

 こんばんは。Sagishiです。

 今日はピノキオピーについて記事を書いていこうと思います。


1.ベストアルバム

 先日、ピノキオピーのベストアルバム『寿』がリリースされました。実に2009-2020間の楽曲が収録されており、「ぶっとい」アルバムでした。11年間も音楽活動をしているのは凄いことです。

 特に良かったのは、既出のアルバムにHUMAN verで収録されていた楽曲が、ボーカロイドverで収められたことです。『空想しょうもない日々』はHUMAN verとボーカロイドverでだいぶ印象が異なるので、ファンならこれだけで買う価値ありと思いました。

 また、Remix版がかなり豪華で、ARuFaの『アップルドットコム Remix』が収録されているのは強い買い要素ですね。個人的には、梨本ういの『祭りだヘイカモン Remix』が非常に聴き応えがありました。


2.オンラインライブ

 併せて、オンラインライブが催されました。わたしは何度もピノキオピーのライブに行っていますが、改めてライブを見て、今のバンドスタイルは非常に良いと感じました。

 clubasiaで鳴らしているのが大きいと思いますが、音が重厚感を持って、まとまって届いてくるので非常に心地よかったです。ピノキオピーのボーカルの成長も大きく、楽器の音やボーカロイドの声とぶつかることがないです。高音、中音、低音がしっかり分離していて、かつそれぞれの音が有機的効果的に響いて、「音楽」に昇華されていると感じました。

 また、特に今回はDJのRKさんのスキルの高さを感じました。リズムが正確で、全く外さないのでめちゃくちゃノレます。特にスクラッチは最高でした。マークⅡのDJスタイルとかなり異なるのですが、私はぜひRKさんのDJを生で聴きたいと強く思いました。

 個別の楽曲で見ると、『ありふれたせかいせいふく』や『腐れ外道とチョコレゐト』『ぼくらはみんな意味不明』の完成度は非常に高かったです。慣れたもんだというところでしょうが、もしここに『マッシュルームマザー』が来ていたら昇天していたところです。

 ベストアルバムライブなので演奏されなかったですが、『デラシネ』や『Honjara-ke』など、明確にクラブ映えする楽曲もあるので、生で聴くならこのあたりの楽曲はぜひ楽しみたいです。

 逆に、ライブ映え・クラブ映えしない楽曲もありますね。毎回思うのは『ニナ』です。動画で聴くと非常に強烈な、ズッシリとしたあの電子音が、箱で鳴らすと全然来ない、胸に迫って来ない、めっちゃ軽い音に聴こえるんですよね。歌詞のメッセージ性も届いてこないので、もったいない思いでいつも聴いています。

 『シークレットひみつ』も同じような雰囲気になっていたので、おそらく高音域の電子音が主体で進む楽曲は、ライブでは難しい面があるのかなと思います。


3.大文字のピノキオピー

 最後にピノキオピー論を。

 私は『ぼくらはみんな意味不明』以降のピノキオピーの楽曲は、「言葉が強い」傾向にあると感じています。

 明確にそうなっている楽曲は『ぼくらはみんな意味不明』『閻魔さまのいうとおり』『内臓ありますか』『リアルにぶっとばす』『アルティメットセンパイ』『ラヴィット』です。

 上記の楽曲群には、楽曲自体を指し示すような歌詞が何度も歌われます。そして、その歌詞は非常に特徴的なワードになっています。これによって、楽曲が「アイコン」化される効果が生まれていると感じます。楽曲の歌詞も、歌詞全体が曲名に還元される作りになっているのが分かると思います。

 こういった楽曲の「アイコン化」、曲名への還元、強い言葉によって楽曲をリードするスタイルを、私は「大文字のピノキオピー」と勝手に呼んでいます。

 たとえば、ピノキオピーの過去の代表曲に『ありふれたせかいせいふく』という楽曲がありますが、楽曲内に「ありふれたせかいせいふく」という歌詞は出てきません。じゃあ、この曲名の意味がリスナーには分からないのか? と言うと、そんなことはないです。歌詞で婉曲的な表現を使うことで、ちゃんと曲名の意味が理解できるように、私たちに差し示しています。

 また『こどものしくみ』や『ニナ』など、曲名が歌詞に出てくる楽曲も、楽曲の意味が曲名に集約されるスタイルではなく、曲名から内容が引き出される構造になっています。

 つまり、以前のピノキオピーの楽曲は、演繹的な歌詞構造になっているものが多かったが、現在は帰納的な構造が多くなっている、と言えます。

 『ラヴィット』では「大好き」が連呼されますが、「大好きだから〇〇」という歌詞ではなく、「〇〇だから大好き」という構造になっています。

 帰納的な歌詞になっているため、「この曲はこんな曲です」という意味が1つ取り出されるようになっていて、メッセージ性も分かりやすい楽曲になっています。

 過去のピノキオピーの楽曲には、撞着語法や、意味の飛躍、抽象度の高いメッセージが採用されていましたが、最近はシンプルなメッセージを届けるスタイルに変化した、と言えます。

 1アーティストの楽曲群を、時期や特徴によってカテゴライズするのは、実際恐れ多いことであり、野暮であり、もしかしたら意味のあることではないのかもしれません。しかし、あえて私はいまは「大文字のピノキオピー」の時代だと言いたいです。『アンテナ』に代表される「帰ってきたピノキオピー」の次に位置する時代になっていると考えます。

 では、今回はこのあたりで。

詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/