この3年ほどピノキオピーの新曲が刺さらない

 こんばんは。Sagishiです。

 今日はラフにVOCALOIDに関する記事を書こうと思います。

 わたしは音楽を聴くことをライフワークにしていますが、特に好んでいるアーティストにピノキオピーがいます。しかし、この3年ほどピノキオピーが出す新曲のほとんどが刺さらない状態です。

 原因は明白で、ピノキオピーが現在ターゲットにしている年齢層とわたしの年齢が噛み合わないからです。具体的な理由ですが、特に『おばけのウケねらい』あたりからの曲は、わたしからすると歌詞が子供っぽいです。

 唯一楽しめたのは『シークレットひみつ』で、あとの曲は2回より多くは聴いていません。(※『アンテナ』は除く)

 二十代後半ぐらいの年齢になると、歌詞のなかに「パワーワード」が入っていたり、「愛」「好き」「世界」「神」「君を想う」「君と二人」とか、不必要に規模の大きい抽象性のあるワード(詩歌で使えないワード)やあまりに通俗的なワードが入っていたりすると、それだけで退屈を感じます。

 『シークレットひみつ』には上記のようなフレーズがほとんどないので、とてもストレスフリーで、時にスリリングに楽しみながら楽曲を聴けます。

 しかし、「アルティメットセンパイ」とか「リアルにぶっとばす」のような「パワーワード」を連呼する楽曲はかなりキツいです。

 同じフレーズを何度もリフレインするのは、はっきり言ってこの数年のVOCALOIDの流行ですが、歌詞に深みを与える効果は全くないので、そういう曲をわたしはほとんど楽しめません。

 もちろん意図的にやっているのは理解しますが、意図を超えた詩情や深みを曲から感じないので、2回目を聴こうとは思えないです。

 新曲『神っぽいな』はサウンド面での進化を感じましたが、やっぱり歌詞がキツいです。「ふー」を「風」と記述しているのも、意図は「~っぽい」と「~風」で共通させているということで理解しますが、それ以上の価値はなく、画面に「風」と映るのを見るのはキッツいです。

 『ダーリンダンス』の「無無無(NANANA)」とか『グッバイ宣言』の「折」に顕著な、特に意味のない漢字の置き換えですが、こういうのは見るだけでゲンナリしますし、閉口してしまいます。

 とはいえ、今後も新曲が投稿されれば聴くアーティストです。個人的な希望としては、もう少し年齢相応の楽曲を楽しみたいと思っている、という記事でした。

 

 


詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/