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神についてのひとつの考察

神についてのひとつの考察 神って何?と思う。先日「心」は中国語では心臓のように奥深くにあり、容易に把握できるもので はないと聞いた。もしそうなら、神なんてものはもっと分かり得ないということになる。神は創造 物、概念だという人もいる。一方、アミニズムといって神はそこかしこにいるという考え方がある。 日本の八百万の神もその系譜と言えるかもしれない。いやストーリーがある時点で違うかもしれ ない。自然法則こそが神だといった科学者もいる。

以前親交のあった、とあるスピリチュアル系のコンサルでは、創造主がいるとしてそれに意識が あるとしたらどう思っているか?ということからセッションが始まる。全知全能の存在の意識。全て は自分が作ったもので、全て予定調和の中にある。もし時間の概念があるとしたら「それってつま らなくね?」というのがスタートになる。無限の時間ひとりじゃんけんを続けるような心境。あると き、創造主は自分の分身を作る。不完全で予測のつかない存在。それが人間だという。その中に マトリョーシカのように、神の分身が心として入っている状態。 仏教では、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一 であることという梵我一如という考えがある。この梵を創造主に我を心(魂)に当てはめることがで きよう。人は我を理解することはできないし、我は梵を理解できないようにデザインした。なぜ か?それは「予測がつかないという心境を味わいたいから」だとコンサルの人は言う。そう考える と、世界に不幸がなくならないひとつの理由になるかもしれない。

ホ・オポノポノという記憶のクリーニングメソッドにも上のような三層構造があるらしい。4つの言 葉が有名だ「ごめんね、ゆるしてね、ありがとう、愛しているよ」。この言葉は人が魂に言う言葉で はなく、創造主や魂があなたにずっと言い続けている言葉だという。創造主や魂に言わせれば 「右往左往させて、ごめんね、いろんな感情を味あわせてくれてありがとう」なのだ。

ちなみにテクニカルな部分として、「魂には一切、人の常識は通用しない」というルー ルがある。限界はないということ。つまり心から願えることであればなんでも叶う。だが叶えるには 感情というエネルギーが必要。感情の種類は問わない。喜びであろうが、怖さであろうが、面倒 臭さであろうが、葛藤であろうが。そこでオススメされるのは「子供の頃、なぜか好きだった動き」 ブランコかもしれないし、砂遊びかもしれない、お絵描きかもしれないし、歌うことかもしれない。 なぜかしたくなる動き。それをした時に沸き起こる感情のエネルギーが願いを叶える原動力。ま ずはそこから始める。後々、その感覚にしたがって物事を選ぶ。葛藤や恐れや怒りや人の目や 上手くできないことを無視してやるエネルギーや、やった後に沸き起こるものも不可避になってく る。魂にお願いすることに応じて「やりたくなること」もが変わことがあるらしい。おそらく、それが アートマンなのだろう。エンプティチェア・テクニックを使って、魂とお話しすることもできる。魂に とっては、自分が抱え込んでいた思い込みや限界に対して「あっ、そんなんがお望み?」という感 じで素直に再現してくれる。善悪や常識が全くないからだ。私はそのセッションを通じて自分に とっての悲劇が喜劇的に受け取られていたという感覚を味わった。最終的に、自我とアートマン が一致する瞬間、どちらが自分か分からなくなる感覚を味わい、そこから離れることとなった。も ちろんセッションしてもらった方が変化はあるのだが、これ以上は同じことの繰り返しだなと思った ためだ。自分の中に神はいる。そのことを思い出してみようと思う。

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