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マロン内藤のルーザー伝説(その2ポルシェ930ターボ)

私のルーザー伝説を語るうえで欠かせないのがドイツが誇るスーパーカー、ポルシェ930ターボとの出会いである。同年代の方(特に男性)は子供のころ日本中に巻き起こったスーパーカーブームをご記憶ではないだろうか?1975年から少年ジャンプに掲載された池沢さとし先生の名作「サーキットの狼」が発端となり、それまで見たことも聞いたこともなかった海外のスポーツカーが繰り広げる公道バトルと人間模様に狂喜乱舞・一喜一憂したのである。そもそも排気量の全く異なる車種が公道レースをするという物語の設定自体にやや無理があるわけであるが、もともと乗り物が好きであった私も毎週ジャンプを立ち読みしては、翌日学校のクラスメートと熱く語り合い、これもお約束のスーパーカー消しゴムを買い集めて勉強もせずにゴシゴシやっていたのである。

当時関西に住んでいた私は、万博公園だったか、大きな体育館のような場所で開催されたスーパーカーショーなるイベントに、父から借りたオリンパスペンオートハーフを首にぶら下げて単身出陣した。夢中で写真撮影をしていると、あらかじめ装填していたフィルムが終わってしまったのであるが、肝心のフィルム交換方法を父から教わるのを忘れて現場に来てしまったため、残りの写真撮影ができなくなってしまう!と、大いに焦ったのである。そんなあたふたしている子供を見かけた心優しい見知らぬおじさんが、声をかけてくれて、いろいろ教えてくれたのであるが、あまりに焦ったため、うっかり押してはいけないボタンを押してしまい、あろうことかフィルムを巻き取る前にカメラの裏パネルが開いてしまった。おじさんの「あーー!!開けたらあかーん」という叫び声が今も耳に残っている。幸いにも屋内であったため、フィルム全体が感光することはなく、かろうじて数枚の写真を現像することができたのは不幸中の幸いであった。昔からおっちょこちょいなのである。

話をサーキットの狼に戻そう。主人公の乗るイギリスが生んだ小型軽量スポーツカー ロータスヨーロッパスペシャル、ライバル達が乗る12気筒エンジンを搭載し当時世界最速を競ったイタリアスーパーカーの頂点ランボルギーニ・カウンタックLP400やフェラーリ365GT4ベルリネッタボクサー、日本が誇るトヨタ2000GTなどありとあらゆるスーパーカーが登場した作品であったが、私が断然心を奪われたのは早瀬右近が駆るポルシェ930ターボだったのである。ポルシェターボは、当時スーパーカーというよりは小型スポーツカーとして知られたポルシェ911をポルシェ自体がターボチャージャーやオーバーフェンダー、果ては仰々しいリアウィングまで付けて販売したメーカー公認の化け物マシンであり、当時ルマンやデイトナといった世界の耐久レースを席巻していたレーシングカーの技術がそのままフィードバックされた、恐ろしく加速が早い車であった。ターボによる過激な加給がターボラグと相まって突然ロケットに点火したかのごとく加速するため「ドッカンターボ」と恐れられたマシンであり、幼き日のマロンはそんなジャーマンクラフツマンシップに魅了されたのである。

さて、万博会場の悲劇から約30年という月日を経て、自らがあこがれのポルシェ930ターボのオーナーになろうとは、だれが想像したであろうか。まさにMy Dream Came Trueと言いたいところではあるが、現実はMy Dream Became Nightmareであった。Myター坊の悲劇については続編にて・・・


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