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推理劇の書き方を『ロード・エルメロイII世の事件簿』から学ぶ!!

はじめに

一般的に推理劇=難しいジャンルという印象があるかと思います。

たくさんの登場人物の名前や特徴、犯行時のタイムラインを把握し、真犯人が誰かを予想する……。

たしかに読み手の脳にかかる負荷を考えると、難しいというのも頷けます。

ところが、商業作家の技術は推理劇を読みやすく、読み手を夢中にさせます。

登場人物の把握については、キャラを記号的に描くことで負荷を軽減させます。

そもそも推理劇は、ポーの『モルグ街の殺人』から一貫して名探偵とその相棒という記号的なキャラクターで描いてきたジャンルです。

また、推理劇を読ませる(ページをめくらせる)原動力となるのは、謎を解き明かしたいという人間の欲望に根ざした「フーダニット(誰が真犯人なのか?)」でしょう。

これはハリウッド脚本用語では「セントラルクエスチョン(中心的な問題)」というやつです。

三田誠先生の『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』では「セントラルクエスチョン」の他にも魅力的な謎が散りばめられています。

そして、ラストには熱い展開も用意されている。

文芸エンタテイメントとして非常に優れている本作を、今回は構造解析していこうと思います。

※本構造解析はネタバレをします!

※有料部分の末尾に『ロード・エルメロイII世の事件簿』第1巻のシーン数を分析した資料を添付しています。本一冊あたりどのくらいのシーン数・プロット量なのか。参考にしてみてください。


キャラクター

「アーキタイプキャラクター」とは、ライトノベルで描かれる「まんが・アニメ的な記号」としてキャラクターのことです。

大塚英志さんの上記の書籍などで言及されています。

実はこのまんが・アニメ的な記号という、ストーリーテリング上の技術を『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』では魔術的な解釈で語っているのです。

「ええっと……ひょっとして、曖昧な魔力に天使という名前を与えることで、魔術に利用しているんですか」
「正解(中略)さきほど、概念は多くの人に信じられることによって安定すると言ったろう。だったら、この世界に広まった天使という概念は、魔術を安定させるのにもってこいではないか」

カバラ72の天使は、曖昧模糊とした神秘・精霊のなせる奇跡を、キャラクター化して説明したものなのです!

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※パブリックドメインになっている錬金術書からの画像引用です


ライト文芸において、「まんが・アニメ的な記号」で描く意義は魔術における天使と同様です。

多くの人が知っている記号(アーキタイプキャラ)は、物語を安定させるのにもってこいなのです。

ここで余談ですが、文庫本にはじめて表紙絵(パッケージ)をつけた出版社がどこか、みなさんご存知でしょうか?

――角川書店です!

では、次の質問です。

角川書店が表紙絵をつけた最初の作品はなんでしょうか?

横溝正史作品――金田一耕助が活躍する推理劇です。

映画『犬神家の一族』のプロモーションとして、書店をメディアミックスの起点にした革命的な販売方法だったわけです。

さて、この『犬神家の一族』の主人公・金田一耕助は、角川書店から文庫本が出る以前は片岡千恵蔵演じるダンディな探偵として描かれていました。

ところが、みなさんが金田一耕助と聞いたときに頭に思い浮かべる記号は、髪の毛ボサボサの、猫背で飄々とした線の細いキャラクターではないでしょうか?

このキャラクター像を生み出したのは、映画『犬神家の一族』の監督・市川崑と、俳優の石坂浩二さんです。

石坂浩二さんは、市川崑監督から、「金田一耕助を天使として演じてくれ」と頼まれたそうです。

――天使。

どこか運命的なものを感じずにはいられません!

まあ、意識的か、無意識かはさておき。

三田誠先生はプロの作家=商業作家です。

よって、キャラクターを描く技術が素晴らしい。

キャラクターを描く商業作家の技術とは、つまるところ、「まんが・アニメ的な記号」で書けるかということだと僕は考えます。

ツンデレキャラクターであるルヴィアゼリッタ・エーデリフェルトは、三田誠先生の『レンタルマギカ』に登場するアディリシアとほぼ同じキャラクターです!(金髪、良家、魔術師、プライド高い〈ツンデレ〉

もちろん、三田誠先生が『fate』のキャラクターをパクったとか、そういうことを言いたいのではありません。
(※ちなみに、『fate』も『レンタルマギカ』も2004年のリリースでほぼ同時)

あなたが語りたいことは、この「まんが・アニメ的な記号」で安定化するのです!

――ということで、『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』の主要キャラクターを分析することで、そのようにアーキタイプキャラクターを描いたらいいのかを見ていきましょう。


ロード・エルメロイⅡ世/アーキタイプ:〈普通A〉〈先輩先生〉
「だから、解き明かせるものでなくても迫ることはできると信じている」

探偵は金田一にしろ、明智小五郎にしろ、シャーロックにしろ、そして、推理劇の真祖たるデュパンにしろ――普段はだらしないのに(抜けているのにに)、やるときはやる、言葉に特化した頭が回る普通属性のキャラクターです。

エルメロイⅡ世は運動が苦手で乖離城へ至る山道にへばって休まなければなりません。

さらに乖離城に集った招待者たち(魔術師)のなかで、最弱です。

故に魔術で戦ったら最初に死ぬことを自覚しています。

頭はいいのに、最弱なのです!

魔術師として最弱で、体力もない……魔術師と戦えば負ける……。

そんなロード・エルメロイⅡ世が、なぜ時計塔で君主(ロード)と呼ばれているのか?

これが〈普通A〉というキャラクターアーキタイプの特徴でもあります。

〈普通A〉は、言葉によって状況を制圧していきます。

探偵推理=言葉によって真犯人を追い詰めていきますよね?

ロード・エルメロイⅡ世も魔術に対して、言葉で鋭く切り込んでいきます。

後述するルヴィアとも最初は険悪な仲ですが、クライマックスでは彼女の指導者(チューター)として、言葉で彼女の特性を指摘し、魔術回路を接続します。

また、ライト文芸において主人公が最弱〈普通A〉である意義は、セカイ系表現においてとても重要です。

ライト文芸(セカイ系)において、主人公は表紙(パッケージ)を飾る戦闘美少女に守られる存在でなければなりません。

上記noteにて、セカイ系の定理について詳しく述べています。

20年以上連載を続け、いまだに何十億円もの大ヒットを続けている『名探偵コナン』も、「見た目は子供、頭脳は大人」です。

コナンくんは毛利蘭(戦闘美少女)に守られる最弱の存在です。

しかし、コナンくんは言葉で状況を制圧していきます!
(毛利小五郎になりすまして推理をしたり(蝶ネクタイのマイクを通じて)、工藤新一として蘭と電話で通話したり……)

『ロード・エルメロイII世の事件簿』は、推理劇でありながら、このセカイ系のお約束を踏襲しています。

エルメロイⅡ世を、戦闘美少女に守られる最弱として描きながら、言葉で真犯人を追い詰めていく。

ただ、エルメロイⅡ世は〈先輩/先生〉というキャラクターアーキタイプの側面も併せ持っています。

エルメロイⅡ世のボディガードを務める戦闘美少女=グレイの師匠として振る舞いますし、先ほども言及したルヴィアの師にもなります。

弱いのに「宿題のテキストにしておいてやる。覚悟しておけ」とグレイに憎まれ口を叩きます。

弱くて面目立たない場面で、〈先輩/先生〉として強がるのです。

つまりエルメロイⅡ世は〈先輩/先生〉を演じているのです。

本来はその器ではないという自覚がありながら(魔術師として最弱)、時計塔の君主(ロード)という立場が彼をそう振る舞わせます。

エルメロイⅡ世はなぜ無理をして〈先輩/先生〉を演じているのでしょうか?

実はこの部分がエルメロイⅡ世を魅力的にしている核の部分であり、第一巻『乖離城アドラ』のクライマックスにもなっています。

エルメロイⅡ世の意外性を感じるところで、心動かされる場面です。

エルメロイⅡ世は、『Fate/Zero』(虚淵玄先生)という作品に登場するウェイバー・ベルベットが成長した姿です。

『Fate/Zero』を読んでいなくても『ロード・エルメロイII世の事件簿』は十分に文芸エンタメとして楽しめるように書かれています。

しかし、本作は奈須きのこ先生原作の『Fate』作品群の一作品であり、ゲームを原作とするノベライズ作品という側面も併せ持ちます。

ウェイバー・ベルベットは、〈普通A〉に類型されるキャラクターでした。

ウェイバーは由緒正しい魔術師の家系に生まれたわけではないので魔術回路の数が劣ります。

しかし、時計塔開闢以来の風雲児と自らの才能を誇っていたウェイバーは、現実の壁を突きつけられます。

時計塔の主流は世代を重ねた魔術師たちであり、血統をなによりも重んじること。

故にどんなに才能があっても、家柄で学ぶ機会が奪われてしまうこと。

そんな壁の象徴ともなるのが、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

降霊科の講師であり、ウェイバーの師でもある先代のロード・エルメロイです。

ウェイバーを否定するロード・エルメロイは、敵対者です。

憎き師への反逆として、ウェイバーは勝手に聖遺物を奪い、第四次聖杯戦争に参加すべく、冬木の地へ赴きます。

そして、ウェイバーが召喚した英霊は征服王・イスカンダルでした。

本来、英霊を召喚した者はマスターで上位者。英霊はマスターに従うサーヴァントという上下関係が存在します。

ですが、歴史上の偉人であるイスカンダルの人間性=漢気の前に、19才の小僧であるウェイバーがかなうはずがありません。

そう、このときもウェイバーはマスターたらんと振る舞おうとしながら、まだ何者でもない〈普通A〉として描かれます。

そうして聖杯戦争を通じてウェイバーはイスカンダルを敬服し、臣下の礼をとることになります。

結果、聖杯戦争に破れたイスカンダルと死別したウェイバーは誓います。

ふたたび聖杯戦争に参加し、かの征服王と再会することを……。

こうして時計塔に戻ったウェイバーは、敵対者であったはずのエルメロイ教室を引き継ぎ、わかりやすい講義によって才能ある魔術師を育成します。
(講師は当然、言葉で概念を説明・伝える職業なわけで、言葉で状況=教室を制圧するキャラクターです)

そんな彼の才能がようやく認められ、エルメロイ家からの依頼代行することで、ロード・エルメロイⅡ世と名を受け継ぎます。
(※この依頼と代行については後述します)

エルメロイⅡ世の悲願は、我が王と敬服したイスカンダルとの再会です。

そのために、エルメロイ家の依頼を代行する探偵役を引き受けているのです。

この本心をクライマックスで語る時、エルメロイⅡ世は一瞬、ウェイバー少年の姿に戻ります(戻ったように見える)。

そう、彼は大人になりきれていない子供なのです。

西尾維新先生の『化物語』では、〈普通A〉の阿良々木暦が自分のことを以下のように語ります。

――兄ちゃんは、そんなことだから――
「そんなことだから僕は――いつまでたっても大人になれないんだってさ。いつまでも大人になれない、子供のままだ――そうだ」

〈先輩/先生〉を演じながら、かつて何者でもなかった〈普通A〉のころの自分も垣間見える。

そんな弱さと強さを併せ持つことで、エルメロイⅡ世は魅力的に描かれているのです。

こんなシーンがあります。

「君たちは、本当に卑怯だ」
胃の底から滲み出るような言葉だった。
「ただ天才であるというだけで、あっさりと高みへと飛翔していく。私がただ思い描いているだけの空を自由に飛び回る」

魔術師としての才能を誇示するルヴィアの姿を目にして漏らした言葉です。

どんなに修練を重ねても、征服王(イスカンダル)、先代エルメロイ(ケイネス師)を始めとした聖杯戦争の英霊たちや才能ある魔術師たちに、自分は遠く及ばない。

君主(ロード)であろうと、彼は〈普通A〉の、何者でもない側面をコンプレックスとして抱えているのです。


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