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ソングライティング・ワークブック 第117週:ブルース形式の拡大(2)

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「フック」のあるブルース

12小節ブルースもうひとつのフレーズの定型-『It's Tight Like That』

1928年に録音されたブルースにこういう歌がある。じつは少し卑猥なものがほのめかされているのだけれど(それゆえに、か?)、レコードは当時はまだ珍しいミリオンセラーになった。コミックソングなのだ。後に多くの歌手がカバーしている。

Listen here, folks, I’m gonna sing a little song;
Don’t get mad, we don’t mean no harm.
You know, it’s tight like that, beedle-um-bum,
Boy, it’s tight like that, beedle-um-bum,
Don’t you hear me talkin’ to you? I mean, it’s tight like that.

Tampa Red/Georgia Tom, "It's Tight Like That"

「It's tight like that」はフック(掴み、hook)で、この歌詞の後半は「リフレイン(refrain)ということになる。頭の2行がヴァース(verse)ということになる。歌は繰り返されるたびに冒頭2行の歌詞が変わる(12小節のうち冒頭4小節にあたる)。後半3行は変わらないで歌われる。

前回説明した12小節のブルース、aabでフレーズが構成されているモデルは、ヴァースだけでできているというものだった。基本的に繰り返すたびに新しい歌詞が来る。復習のため、前回の日本語で作った例に「2番」の歌詞を付けたすとこのような感じになる;

これを『It's Tight Like That』のようなヴァースとリフレインにして、前半をヴァースらしく状況の説明を入れるとこんな感じ;

日本でも、古いロックを聴く人なら大抵はElvis Presley(エルビス・プレスリー)の1956年のヒット曲『Blue Suede Shoes』(書いたのはCarl Perkins)を知っている。『It's Tight Like That』はその祖先だ。

リフレインとコーラスの違いについて復習

「リフレイン」とは、「コーラス(chorus)」の意味で使われることもあるけれど、一般にはヴァースの繰り返しだけでできている歌(有節歌曲、1番、2番、と数えられる歌)の「決め文句」の部分を指す。普通繰り返されてもその部分の歌詞は変わらない。そのリフレインが歌のタイトルになることも多い。つまりキャッチ―で覚えやすくフックになるという意味では、リフレインもコーラスも同じ役割を果たすけれど、リフレインはセクションの部分であって、コーラスはセクションである。

日本の学校で音楽教育を受けた人は、『あの素晴らしい愛をもう一度』や『戦争を知らない子供たち』を思い出せばわかるだろう。タイトルが歌われるヴァースを締めくくる部分だ。これが『翼をください』になると(「この大空に…」)リフレインではなく、コーラス(chorus)と呼ぶにふさわしいセクションになる。

Stephen Foster(フォスター)の『Oh! Susanna(おおスザンナ)』や『Camptown Races(草競馬)』(今でもこれらの南北戦争の少し前の1840年代に書かれた歌は、日本の学校で教えられているのだろうか?私が子供のころは何も知らずに無邪気に歌っていたけれど、これらはミンストレル・ショーで歌われるために書かれた。つまり、白人が黒塗りにして黒人奴隷のカリカチュアをして笑いを取る。歌詞は誇張された訛りで書かれている。その後改変されて歌われるようになったけれど、『Oh! Susanna』のもともとの歌詞はひどいものだった。そういえば日本でもボーイスカウトのキャンプファイアーなどで『草競馬』にひどい歌詞がついたのを歌っていた。あれはそもそもオリジナルの訳詞でさえないのだけど、由来はどこからなのだろう?)のそれぞれのヴァースの締めくくりの部分を思い出してもらってもいい。出版されたもともとの譜面にはこれらの部分に「CHORUS.」と記されている(imslpからダウンロードできる)。「舞台上の皆や観客がソロに加わって歌う部分」という意味だ。「CHORUS」と記されているけれど、規模的にはリフレインということになる。

合衆国のポピュラーソングと人種問題の関係の歴史は複雑だけれど、勉強しつつ触れてみたいと思う。ヴォードヴィル(vaudeville)、ヒルビリー(hillbilly、あるいはカントリー)、ブルース、ジャズなどについて調べると、そういうことも自ずと学ぶことになる。

とりあえず、フックがあるということは、歌い手(創り手)が自らを語るということ以上に、ショーとして意識されて作られているということの現れである。


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