noteを本気で始めてみようと思った瞬間に、自分自身のマネタイズの切り口が見えているはずかも、ハズカム!
自分の中にある、自分の付加価値だと思うものごと。
それらをnoteというタグ付けの媒体に込めてみようということはどういうこと?を再認識したんですよというだけの話で、わたくしことおれ、Debut!
noteはじめました
あれは今世紀の初頭のこと。遠い宇宙の片隅で(絶対的視点)。
ブロガーだったテクニカルライターの叔父に勧められ、独立したての私はブログなる私生活の切り売りを始めました。
「なあ、アフィリエイト、ぼちぼちにイイぞ~」と、自らの技術的背景を棚上げしがちにするお茶目な叔父。
それに対して、直接的な収益化にはものすごく消極的というワケのわからない立ち位置ゆえの頓挫っぷりったら軽く黒歴史レベル。
そんなこんなどんな、このたびnoteで物を書くことに、一念を発起することと相成りましていまここです。
え?クリエイターの前線基地なの?
もともとDIYやカイゼンのネタが多かったブログの代替として考えていたnote。だがしかし!
『note ――つくる、つながる、とどける。』
まって、届けたりしないんですがもしや?
ここで、noteとはコンテンツを売ることができる場なんだと、不詳わたくしは知るわけです。おっそ。
コンテンツそのものの配布。情報の付加価値。
それって情報商材マネタイズの構造と相似しますが、むしろあれこそ紙媒体のコンテンツビジネスのOA化、笑
なぜ遅れてきたのよnote。
でもコンテンツの集合体としての、note全体の付加価値。
いい感じに閉じがちなSNSでもない、オープンだけど雑多すぎるブログポータルとも違う。
ねえこれ、売るフリマサイト、見せるnoteだとすれば、下手な独自サイトよりも効率よく情報発信ができるんちゃう?
だって、ブランディング以前なんだから『noteのあのアレ』ふぜいで全然イイ。
お!自称クリエイターの中継地かな?
もともと、若かりし頃の勤め人時代から副業疑惑をかけられながらのレザークラフトや布系のリメイクをしていたこともあり、モノに込められたキモチが伝わるとなお嬉しいタイプです。
『職人肌のアイツ、趣味でも頑固にDIYしちゃう』的なこと。
田舎のフリマで山羊のようにカジュアルかつ野犬のように残酷な素人様に買い叩かれるくらいならと、minneやCreemaでの作品販売に興味が湧きますよそりゃあ。
だからアカウントを一年ほど前に準備していたりしたら?
「なに?この点と線っぷりったら国宝」と思うのは錯覚以上実感未満の運命的お導き。
ん!クリエイター予備軍の起点かも!
そしてそんなこんな、恥ずかしながら夢はバイクビルダーでして……
今や妄想は『YouTubeに仕上げたバイク紹介の動画を英語+日本語字幕で上げて承認欲求を満たす』という青写真にまで至っています。
良い子のお友達には言えないけれどけっこう本気、我ながらほんと馬鹿。
さてさて、その経過や周辺、あるいは分岐でも、雑多に「あれやったこれやったよ!」としたときにも、noteの存在意義が以下同文。
場末のブログで不特定多数に投げつける自己満足よりも、タグ付けに自負を載せてみる承認欲求のほうが、よほど前向きな刺激になりそうな予感がするわけです。
(そして自分への約束が空回りしそうなプレッシャー)
に悩めるくらいに続けられていたら、まあぼちぼち大したもんだ。
テキストコンテンツのマネタイズ
さてところで、作品以外のコンテンツといえば、ハウツー系が王道だろうかと思います。お相手のコストの削減は、結果への近道も該当するわけで。
ありきたりですが、『レザーの手縫い、お財布製作工程』なんて、一定の需要がありそうに思います。というか、ちょいちょい聞かれますしで。
ことテキストベースのコンテンツでいえば、単純に界隈で著名だったり、人脈で食っていけるようなビジネスなレベルの方であれば、いろいろな意味で「“素性がしっかりしていらっしゃる”からよろしい」のでしょうけれどね。
メインに誘導したり、サブとしてバズり待ちだったり、ああ一定の流入あっての素敵なフロー(憧れ)。
だがしかし身も蓋もないような小市民の船出ともなると……
そう、力まないで、書けることを書く。確実なことを、きちんとする。That'sアタリマエ。
ないものは従順なゴーストライター付近からしか出ませんもの。
小さく始まるしかないから
そうしてなお、自分に何がある、ここnoteで何を出せるのかなと。
おそらく、noteは自分の意見を表現する場ではなく、自分の付加価値を提示して、マッチングされる場ということなんでしょうね。
ここで、付加価値ってなんだろう、と。
昔々に機械科だった頃の命題として、よく考えさせられましたが……よくわかりませんでしたよ。
だって下手の情熱でいくら付け足しても、値段も投資対効果も下がるばかり。仕入れたら利益乗せて、サラッと売れたもん勝ち(語弊)。
とはいえ今では若干オトナになったと見えて、モノが付加価値を持つということは、副次的な価値に繋がるかどうか、つまり結果論的な投資対効果そのものだと理解するくらいには、なっています。
任意のモノに系として注目したとき、そのモノの潜在的ライフタイムバリューみたいなものですよね。高くついても銭を産めば上物、安くて手間っ喰いならハズレ。
もう価値だなんて夢のある言葉に騙されません、それは利益なる実入り。でもね言うは易しなのがんばります。
シェアという投下資本の回収
じゃあnoteでの付加価値って、自分や自分の周りの便利、つまり何らかのコスト削減に役立った情報や認識を共有して、同じ課題を持つ人の役に立つこと。その結果として、報酬が発生したり承認欲求が満たされたり、調子づいて費用倒れしたりなんだり、の経験値すら再利用。
だからそれ、ビジネスやん。
いやビジネスだからこそ、「物理的に接しえない“世間様”のうちに、このコンテンツで助かってくれる人たちがどのくらいいるの?」ということに尽きるのだと思います。
noteには様々なコンテンツがあるので、たとえば漫画なら興味を惹かれ、アートには感銘を受けて、モノへの熱量に歓心。そして、共感していただけたご縁にて価値交換。
そういう、すごくアタリマエで重要な予定調和の結論を確認できた気がするからこそ……
「じゃあ、始めてみようかな」
なんて、前向きになれるわけです。
結論、noteは自分ありき。起点にも中継地にも前線基地にもなる、真綿で首を絞めるような勝負媒体、それは言い過ぎ。
自己肯定で他者満足ドリブンの責任において、出すものを作るのでなく、在るものを出す場所だと、思いますです。
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