考察日記 精神と肉体

スピリチュアルでいう魂について考えてみた

胡散臭いカテゴリであることは否めない
金儲けに利用している奴らもたくさんいるだろう

しかし  全てそうなのかというと私としては
本物  真実は存在すると思っている

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世界は広く  深い考察をしている方々は確かに存在する

私世代だと  ネットの情報は陳腐  本が本物という思考が働く 
しかしながら  個人的にはそんな風には思っておらず  ネットにも本にも素晴らしい考察はある

逆に一冊読み終えて  内容が薄すぎる本だと後悔すら感じる時もあるほどだ

さて  昨今「死」についての考察をよく目にする  自分から調べにいっているのもあるが。

大阪万博2025は  いのちがテーマらしい
話は逸れるが あのキャラクターが決定した裏側には何人の悪い大人がいる事やら

民意であのキャラになったとは到底思えない
本当に日本はどうなってしまうのだろう

話を戻そう 
肉体と精神(魂)(意識)は別々だという話があるが 個人的に共感する

幽体離脱した事がある人 
死後の世界を見た人
宇宙の神秘に触れた人

信じるか信じないかの域だし  懐疑的な話ではあるが

私はあると思う

肉体とは借りている物で精神のみが自分自身なのだと
手足の動き 呼吸
意識している人はいない
全てオートメーションだ

だから本来やるべき事は
まず身体は借り物だと意識する
そして身体の特徴をまるで他人の如く客観視する
そうすると肉体の得手不得手が分かる

もっとも分かりやすいのは足が速いか遅いかだ  あとは
肉体は頑丈か
内蔵は強いか弱いか
脳みその使い方はどうだ  記憶力  数学力   分析力  

そうゆう風に 自分なのに他人を観察する事
つまり 魂が本体だから  この身体の最も有効
な利用方法は何かと考えたら  新しい発見や
もっと伸ばせる能力に気づけるかもしれない

じゃあ なぜそれが冷静に出来ないのか
答えは単純 資本主義社会でお金の奴隷になっているから
皆 近々の未来の為に  ご飯を食べるために 親や子供の為に  深く自分と向き合えてないように感じる
私も  子育てが始まって以来  仕事と家庭の往復だ
だから  皆 不得手を見て見ぬふりをして得手をお金にならないからと言って無意識に切り捨てているのだ

確かにお金は人生のツールとして  とてつもない力と魅力がある
しかし  自分を見失う麻薬でもある

まとめると  肉体は借り物だ
その肉体(自分の体)は個体差が無限にある

苦手な部分の機能の拡張をするには人生は短すぎるということだ
得意な機能の最大化に重点を置くべきだと思う
というか私も向き合って間もない

こうゆう思考になった時 ふとタレントの武井壮さんが浮かんだ
あの人は正にコレを実践している
゛自分゛の身体の動かし方の最適化に成功した人だと思う

一日だけでもいい 立ち止まって考えてみる
俺の 私の 得意な事なんだっけ?


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