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「本を囲んだ語り部屋」2024/1/21 M・J・アドラー、C・V・ドーレン 『本を読む本』

日曜朝のX(Twitter)スペース「本を囲んだ語り部屋
1/21はM・J・アドラー、C・V・ドーレン の『本を読む本』を取り上げました!!

本をどう読むのか?という問い、アメリカで1940年に刊行されて以来読み継がれている本書のメッセージには大きな刺激をもらいます。

『読書は積極的な行為であり、技術が必要なものである。積極性と技術を身につければ、本を良き師として生涯にわたって学び続けることができる。』『生涯学び続け「発見」し続けるためには、本を最良の教師にする方法が必要であり、本書はそのためにある書物なのである』とflier要約には書かれていました。

語り部屋では冒頭、自分にとって「良い」本と出会うためにはどうしたらよいかという問いから始まりました。その中では本には「幅と高さ」があるという話があり、時には幅や高さも一歩飛び出して本と出会っていくことも大事だと思いました。時には跳ね返されるような本との出会いも通じて「幅と高さ」を広げていくことができるように思いました。

また本を通じて考えを深めていくためには「違和感という風を捉える」という言葉が印象に残りました。自分の中に浮かぶ違和感という瞬間は意外と儚いものだったりします。本を通じて自分の中に巻き起こる風を感じながら本を読むという感覚はなかなか味わい深いものだと思いました。また本に引き込まれていく感覚の中でも、時には思い切って本を閉じてその風の余韻を楽しむこともいいかもしれません。

後半では自分の血肉になる本の読み方とは?という問いをみんなで考えました。その中ではモデレータ仲間からの「単発的な引用から、多面的・多角的な引用」になる時が血肉した感覚というお話は面白かったです。自分でも思いもよらないような場面で引用が出てくるのは血肉化かもしれません。コミュニティチャットでも「血肉化」は「発酵」につながるというコメントをいただきましたが、まさに様々な読書体験が自分の中で発酵し、自分なりと考えに昇華していくことが血肉化なのかもしれません。

そして最後には荒木博行さんにも上がってきていただき、盲目的にならない批判的な本との向き合い方についてもお話いただきました。ともすると本の主張に対して盲目的に受け入れてしまいそうになる自分がいたりします。しかしリスペクトがあるからこそ批判的に向き合うことが大切というお話は刺激的でした。本書にも「読書とは対話」という表現がありましたが、他者と対話をするように、しっかりと言葉を交わしながら読書をしていくことが大切だと思いました。


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