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20年を越えて想うこと

本日、21回目の誕生日を迎えた。

日毎に速くなっていく時の経過を肌で感じ、特にこの5年くらいは本当にあっという間に過ぎていったなと痛感する。
一方でこの世に生を授かってからまだ20年少々しか経っていないのかという驚きも大きく、その相反する思いから、生きている“自分”という存在が不思議になる瞬間もしばしばある。

この20年超の人生は決して順風満帆なものではなく、10代も後半になると僕なりに酸いも甘いも知って色々なことを経験したような気になっていた。
ところが、色々と分かってきたようで実は未だ見えていないことの方が断然多く、どんなに背伸びをしても全く大人になりきれてない未熟さにもどかしい気持ちを抱えながら過ごしているのが正直なところだ。

21歳とはそんな微妙な年齢である。

これから先、まだ幾らでもあるに違いない “自分の知らない世界” へと次々飛び込んでいかなければならない。
そこには楽しみも期待も不安も恐怖も、あらゆる感情がない交ぜになって僕を待ち受けるはず。
それでも、その時どきで自分の目の前に現れる人たちと支え合いながら、気負わず自然体でリラックスしつつ楽しく生きていきたい、そう思う次第だ。

こうして書いていても何だか纏まらないが……1つだけ確かなことがあるとすれば、20年を越えて今日を迎えられたこと、人並みの元気を取り戻して今を楽しく生きていられることには一際大きな感慨がある。


というのも、最近になって「生きる」ことについて考えさせられる機会が非常に多いからだ。

そもそも僕自身が16歳の時、ジストニアを発症して(命に直接関わることではないけれど)数年間も苦しんだことで人生観は大きく変わっていた。
あのとき真っ当に生きることを諦めなくて良かった…と今でもしみじみ思うし、毎日を楽しく生きようと自然なポジティブシンキングを目指すようになったのもそうした経験があったからこそ。

しかし幸運にも、それには自らが“復活”を選択する余地があった。
いくら努力をしても自分ひとりの力では元気になることを選べない、病気になった人の多くはそうだろう。

今年になってから大切な友が大病をしたり、癌の闘病を続けておられたご近所の知り合いの方が若くして亡くなられたり。
身の回りが立て続けにそんな状況になり、穏やかな心境では到底いられないのだが、自らの想いはさておいてこんなにも命の重みを感じたことはこれまでに無かった。


それゆえに近頃、僕はまだ21歳だけれど、いつまで元気に生きられるかなんてわからないよなと身に沁みて感じるのだ。
だからこそ、後悔のないように一生懸命やるべきことをやって、あらゆる物事に感動して思いっきり楽しみ、大好きな人たちに沢山会って想いを伝えたい。

そんな当たり前じゃない願いを叶えるために、健やかでいられる今を噛みしめ、感謝しながら日々生きていこうと誓った。

そして、こんな僕のちっぽけな人生の中で一体何が残せるのだろう。
せめて、こうして時折記している文章が自分の生きた証になるといいな。

色々なことを考えた挙げ句、収拾がつかなくなってしまった21歳の幕開けでした。
明日からも頑張るぞ!!!(強引な締め括り)

2019.08.15