【連載小説】4つの頂点と辺 #11

第2辺:森下智(次男)の章(5)

「ねえ、あなたたちはただの親せき、という関係でもないのでしょう?」

どういうことですか?

「だって、ひどい傷を負った娘をわざわざあなたのところに寄越したんでしょう。大事な診療結果を、あなたに託したんでしょう。あなたが選ばれたのは、きっとあなたがたは何か特別な関係だからなんでしょう?」

智は面白くて仕方がなかった。すぐにでも誰かに話したい。

(彼女はかつては活発な女の子だった。年齢相応にね。ただ、四年前の堕胎手術があってから、どうも調子が戻らないみたいで・・・。

四年前の妊娠の原因は、僕です。やってしまいました!

面白い実験だったのですが、ただでさえ思春期の不安定な心の柱をパキンと折ってしまったのが、どうも副作用だったみたいで。

彼女は今に至るまで精神の低空飛行を繰り返しています。まともな会話一つできないんですから!可哀想な子ですよ。
そのとき決めたんです。彼女を一生見守って、見ながら研究していこうとね。そんなよくある青春の1ページが僕にもあったんですねえ。美しい思い出です。うるわしい決断だと思いませんか?思い出しただけで、 ああ涙が・・・。ふふふ。

今回の件だってそうですよ。

ねえ、そんな無防備な状態でフラフラと外を歩いているからですよ、彼女は、ある種の暴力を誘発するんです。まあ自業自得と言わざるをえないでしょうね。レイプはもちろん良くない。犯罪です。でも、そんな危険をわざわざ自分で招き入れることもないでしょうに!本当に可哀想な子だ。僕が見ていないとな。

世間体を気にする両親を持っていたのも気の毒だ。

僕の名前の文字なんか、もらわなきゃよかったのにね。

彼女にかつての活発な笑顔が戻ってくる日はあるんでしょうか?ないんでしょうか?)

昔から仲が良いのです。と智は答えた。

「彼女には誰かの助けが必要なの。わかる?」

医者が立ち上がって、ついてくるようにと言った。診療室の奥のドアを開けると、厚いカーテンに仕切られて、ベッドが三つ並んでいた。智子は真ん中のベッドに横になっていた。目を閉じているのは、恐らく眠っているからだろう。規則的な寝息を立てている。

「モリシタさん」

医者が彼女に優しく声をかけた。目を覚ました智子は、ベッドに横たわりながら、智をじっと見ていた。腕に付けられていた点滴の針と管がはずされた。智にはわかる。智子の目はがらんどうだ。何かを見ているようで、何も見ていない。彼女がこの先、自分の意志で何かを拒否したり、何かを心から求めることがあるだろうか?

そう考えると、智は心から満ち足りた気持ちになった。

病院を出たときには七時近くなっていて、外はすっかり暗くなっていた。雨はまだ降りつづいていた。よく降るなあ、と智は言った。明日は晴れるといいけどな。晴れたら智子を東京タワーに連れていってやりたいなあ。

プールサイドに立って、仲間たちが溺れて沈んだ男を探しているのを、智は見ていた。あれは人生最高に真っ暗な夜だった。見えるものはほとんどない。水の音が、じゃぼじゃぼと聞こえるだけだった。今の雨は、ちょうどそのときの水音を思い出させる。今日だって本当に暗い夜だな。

僕たちが乗っていた船はもう来てくれないかもしれないね。

第2辺:森下智(次男)の章(了)


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