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バビロンのデイライト(第1章の4)

新宿の商工会議所は、「樹」の「根」にまだ侵されていない十階建てのビルにあった。「樹」の「根」から守るために外壁を二重にする工事を行い、各種配管を徹底的に入れ替えたおかげか、このビルはまだ生き延びていた。
 商工会議所はつい今年のはじめにこのビルに移ってきたばかりであった。

 震災前から入っていたビルは、都庁にほど近い大きな建物だったが、とうとう「樹」の「根」の侵食を受けてしまい、大急ぎで移転したのです。商工会議所の入り口で名刺交換をした男は言った。
 
 私はただの使い走りです。税理士の卵でして。ここでなんとか食べていきたいのですが、新宿の経済はあれのせいで壊滅的ですからねえ。ビルは移転先が見つかったからよかったのですが、建物のサイズが前に比べて小さくて。弁護士やら行政書士やら、先生たちのための部屋が足りなくてですね。困ってしまいますよね。ここにあるのは商工会議所運営のための主要な機能だけで、会議室やセミナールームは、また別の建物でまかなうことにしてます。まあ、なんとかかんとかやっているといったところです。

 ビルの中は心なしか暗い。よく見ると、照明の三分の二が消えていた。節約が励行されているのだろう。

ドライムスコンバータには期待していますよ。新宿経済のカンフル剤にしてくださいねえ。これ以上、あいつらにのさばらせるわけにはいかんですからねえ。

 ユモっさん!あ!いたいたいた!
 突然、一人の男がビルの中まで駆け込んできた。ちょっと急ぎで仕事を頼みたいんだ。
 ダメだよダメだよ、今はお客様の案内中だから。
 おいおい、いつまでそんな小間使いをやってるつもりなの。(ここで男は小声になって)横浜でね、税理士探してるっていうものだから、聞いてみたのよ。そしたらさ、なんとさ、使ってくれるっていうのよ!/え!いつ面接受けてたの?/いや、さっきだよさっき!ドライムス面接。いやあ、チャレンジしてみるもんだねえ。(さらに小声になって)早くこんなところを抜けてサ、横浜で事務所を開こうよ。新宿なんてもうダメでしょ。命が惜しいなら俺に乗っとくに越したことはないよ。

 町田と狛江氏は、エレベーターで五階に上がり、さらに暗い廊下を歩き、突き当りにあった部屋に案内された。そこはやや小さめの会議室、といった趣の部屋で、長い机とパイプ椅子が「ロ」の字型に並べられている。
 奥の椅子にどうぞ。そこに灰皿もありますんで。
 案内してくれた男は、小さく会釈をすると、そそくさと部屋を出ていってしまい、後には二人だけが残された。部屋はタバコ臭く、普段からこの部屋では喫煙がなされているだろうことが想像できる。というか、壁も黄色いんですけど。町田は受動、かつ間接喫煙に怯えた。
 部屋は「しん」としている。時計の音が聞こえるほどだ。狛江氏もタバコは吸わないらしく、灰皿を前にして押し黙ったままであった。ここでドライムスを接続したとしても、おなじみの二重構造型思考が阻んで、何を考えているかはわからないだろう。

 御社のドライムスコンバータですが、売れ行きとしてはどうなのでしょうかね?
 狛江氏が言う。
 いや、絶好調ですよ。/しかし、そろそろ最新型への対応は難しいのではないかと言われているようですが?/いや、最新型がぞろぞろと出始める頃が、実は我が社のチャンスであるわけです。/ほう?
 狛江氏が、ビジネス教則本に載っているような寒々しい会話を試みに(彼は町田がどのくらい馬鹿なのかをテストしようとしていた)続けようとしたその刹那、ドアの向こうから、大きな風船が割れるような、クラッカーが鳴らされたような、「パン!」という破裂音が聞こえた。
 
 まさかの女性職員へのバースデー・サプライズ?二十四歳の誕生日に、地味な娘に人生の春が?百本のバラを抱えた王子様の到来?
 
 処罰ですよ。

 町田と狛江氏が席を立って、好奇心からドアを開けてみると、確かにそれはバースデー・サプライズではなかった。廊下には一人の男が倒れており、そして、その男には「頭」がなかった。首から上が吹き飛んでおり、首からは血がゴボゴボと吹き出ていた。かつて「頭」を構成していた、骨や脳みそといった様々なパーツたちは、粉々に砕け散ったらしく、廊下に散乱していた。倒れているのは、服装から察すると、先ほど町田と狛江氏をここまで案内してくれた「ユモっさん」と呼ばれていた男だ。

 確かにこれは処罰だった。先程のビルの入口での会話をおそらくドライムスで聴かれていたのだろう。確かに新宿に職がないとはいえ、曲がりなりにも商工会議所に職を得ていながら、他の自治体で独立するだの何だのと物騒な会話をしていたから気になっていたのだ。やはり、職務中に堂々とそうった類の話はまずい。
 しかし、こんな処罰は初めて見た。「頭部大爆破」だなんて。

(つづく)

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