【連載小説】4つの頂点と辺 #6

第2頂点(2)

森下家の長男・薫氏の謎の失踪事件。誘拐か?はたまた自主的な失踪か?外務省が動いて現地の日本大使館でも情報を集めているが、今のところ何もわかっていないらしい。

私はさっそく電気屋に行って、できるだけ安いテレビを買ってきた(テレビがこんなに見ると楽しく、心を安らげてくれるものだとは)。
確かに朝のニュースでも、昼のニュースでも、夕方のニュースでも、夜のニュースでも「異国で神隠し。消えた日本人」というテーマで、何度もこの事件が取り上げられているのを見た。また、先日などは、「これは大変に由々しき問題だ」と、外務大臣が記者会見を行っていた。

そんななかで、件の男性の自宅で火事が起きたのだから、どうりで野次馬が集まるわけだ、と合点がいった。森下家の長男・薫氏は、結婚したばかりの妻と実家に暮らしていた。出張から帰ったら妻と家を出ようと思っていたらしい。

今まで見過ごしていたことがたくさん見えてきた。最近、この近所にはどうも人が増えたような気がしていたのだが、何のことはなく、マスメディアの連中がうろついているのであった。

近所のあちらこちらに無遠慮にテレビカメラが向けられている。火事で燃えた森下家の跡などは非常に絵になるので、一日中テレビマンたちがひっきりなしだ。メディアに慣れていない我々住民は緊張しながら一日を過ごし、レポーターはそんな我々をあからさまに見下している。
それなのに、私たちの誰も彼もが、愛想笑いをしてカメラに対応する。自分たちが実に不出来な見世物になってしまった気がし、不必要にしっぽを大きく振っている犬に自分の姿を重ね合わせて腹が立った。しかしテレビに映るのは悪い気もしないような気がして、自分の浅ましさに嫌気が差した。

しかしもっと奇怪なのが近所のうわさ話であった。

彼らは報道では飽きたらず自らでメディア(うわさ)をぶち上げて次々と情報網を拡大していった。

「まだテレビでは言ってない話なんだけど」

というのが彼らが自らの情報の希少性をちらつかせるキラーワードである。

しかし情報源の不確かなうわさというものは、時に奇妙な方向に転がるもので、私は新たな話を聞いた。話してくれたのは、特に嬉々としてテレビに映っていた近所の町内会長の向かいに住むババアだ。あんな人の良さそうな顔をして、しっかりとホラ吹き遺伝子を受け継ぐ選ばれしババアだったわけだ。

そのうわさというのは、行方不明のはずの森下家の長男が焼け跡を歩いているのを見た、というものだ。

目撃者が何人もいるそうだ。ババアの言うことが本当だとすると、それは幽霊か、生霊の類か。私も見てみたいと思った。もしそういうものが本当にいるならば、私としては妻に会って何か一言、伝えたいという気持ちもある。しかし何はともあれ、オカルト方向に話が転がると、いよいよマスメディアに飽きられる日も近い。

そしてあの火事の日以来、森下家の母親も姿を表さない。

森下家の家族の中で、行方不明の長男・薫氏の妻は、火事のあと、近所のアパートに引っ越していた。他の家族はどこへ行ったのか私にはわからない。
森下家の長男の妻はできるだけ近所の付き合いを避けるようにひっそりと暮らしていたが、そもそも彼女が近所づきあいをしたくても、マスコミが彼女を取り巻いていて、会話を交わすことなどは到底不可能だろう、という状況だった。

森下家の長男・薫氏の妻は、良からぬうわさをバラまかれたハリウッド女優のように一挙手一投足をマスコミに監視されることになった。

週刊誌には彼女がアパートのベランダで下着を干している様子を盗撮して堂々と写真に載せた挙句、「夫の不在で欲求不満!大胆下着で性欲SOS!」などと下品な見出しでかきたてた。気の毒なことだ。
私は雑誌を買い、何度もその記事を熟読した。本当にマスコミの連中はけしからんと思う。

そしてマスコミの次のターゲットが、あの火事以来、行方をくらませている森下家の母親だ。なぜかマスコミはこの一連の事件(火事と失踪)において母親を重要人物だとみなしていて、その報道過熱ぶりときたらまるで母親がすべて裏で糸を引いているような扱いである。

マスコミが描く母親像は、さしづめゴッドマザーといったもので、彼女が森下家をとりまく渦の中心であるということを、ある種の確信を持って書き立てていた。

「森下のおふくろさんというのはさ、いったい何者なのかね?」

私は「飼い主の会」で知り合った友人に聞いた。彼はここいら辺に住んで長いようだったし、何か知っていると思ったのだ。

友人は一瞬、迷惑そうな顔をし、次に言葉を探すように目を泳がせた。こいつは素手で生ごみに手を突っ込むような真似をして・・・悪いやつではないがバカなんだろうな、と思っていることを隠さない表情であった。

「そうさな、まあ不気味な女だな」

マスコミは住民をつかまえては、「森下家の母親の行方を知らないか?」と聞いている。しかし住民は誰も知らない。もちろん私も知らない。森下家があった場所には、まだ生々しく焼け焦げた跡が残っている。

> 第2辺:森下智(次男)の章(1)につづく

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