【連載小説】4つの頂点と辺 #7

第2辺:森下智(次男)の章(1)

雨がひどく降っている。次のバスが来るまで時間があったので、コーヒーショップに入ろうと智は決めた。ところがバスロータリー前の店は雨宿りの人たちで混み合っていて、席がなかった。

智は舌打ちをし、寒いから中でしばらく待とうと智子に言った。智子は何も言わなかった。智は二人分の席が空くのを待ちながら、ぼんやりと立っていた。傘でとんとんと床を叩いていると、水滴が床にたまって流れを作った。靴に水がしみこんでいる。

平日の午後二時。コーヒーショップの中にはスーツを着た人たちが多く座っていた。打ち合わせをしていたり、携帯電話でしゃべったり、パソコンを開いたり、タバコを吸いながら新聞を読んだりしていた。雨の日の湿度と混ざり合って、いやなニオイがする。
どうしてサラリーマンというのはこうもつまらなく見えるのか?智はイライラする。

バスが、ロータリーにひっきりなしにやってくる。窓の外からそれが見える。智と智子の乗るバスは、あと三十分くらいしないと来ない。一日の運行本数が少ない路線なのだ。

やっぱり出ようかな、と智は小さな声で言う。煙草の煙で空気がよどんでいたからだ。智子は何も言わない。智は持ち帰りのコーヒーを二つ頼んだ。

(智子はコーヒーを飲むんだっけ?)

ロータリーのバス停で、智はコーヒーを智子に渡す。智子は受け取るがぼんやりとして飲もうともしない。

しばらくコーヒーを飲んでぼんやりしていると、時間通りにバスがやってきた。車内には、初老の男性が一人優先席に座り、二歳くらいの女の子が母親に抱かれていた。本数が少ないバスは、利用する人も少ないようだった。

がるんがるんがるん、とバスがエンジンをかけて、軽くゆれだして、トビラガシマリマス、ゴチュウイクダサイ、とアナウンスがあって、バスは発車した。

あのアナウンスの女性の声は何歳くらいだろう。あのアナウンスをしている人も、仕事が終わったら家に帰って、スーパーで売れ残りのポテトサラダを買い、明日の天気を気にしてテレビを見ながら夕食を食べたり、風呂あがりに爪を切ったりするんだろうか、と智は考える。

そしてもし性交をするときには、それなりの声を上げるのだろうか。アナウンスの声と、オーガスムに悶える声と、同じ脳みそと声帯から出てるんだからすごいものだ。

智と智子は、いとこ同士である。

智の父親(兄)と、智子の父親(弟)が兄弟なのだ。弟に娘が生まれたとき、兄は、自分の息子・智の名前を一文字やろうといった。智なら一文字付け足すのにちょうどいい。

名前が一文字しか違わないので、智と智子は小さいころからよく、親戚から面白がられていた。名前のせいなのかはわからないけれど、確かに二人は仲が良かった。
智と智子は近くに住んでいるわけでもないから、しじゅう会うわけではない。会うのは正月とか、お盆だとかに限られている。それでも智は智子の面倒を見たがったし、智子も智によくなついていた。

現在は智子は十七歳になった。もし、高校に通っていれば、二年生になっているはずである。しかし彼女はいま、正確には四年前から、家に引きこもりながら暮らしている。

父親が死んだのは、智が十歳のときだった。

> 第2辺:森下智(次男)の章(2)につづく

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