【連載小説】4つの頂点と辺 #10

第2辺:森下智(次男)の章(4)

バスは、渋滞に巻き込まれたせいで二十分ばかり到着が遅くなった。それでも三時半には終点にたどり着いた。バスの終着点から智子が行くことになっている病院までは、あるいて十分ほどかかるとのことだった。

智子が行くことになっていた病院は産婦人科医院だった。

彼女がここに来るのは四年ぶり、二度目だ。

智子が診察を受けているあいだ、智は待合室に置いてあった雑誌を手に取った。女性ファッション誌が数冊、それから経済誌、文芸雑誌もあった。傑作なのは「世界の髪型」と「図鑑・犬」という写真の豊富な本だった。
こういう時に人はどんな情報を得ようとするのだろうか?智は深遠な疑問とともに吹き出しそうになったがこらえた。
待合室には何人かの女性がいたが、表情はほとんどないように見えた。

モリシタさん
モリシタさん
ふいに受付のアナウンスが、智を呼んだ。
ダイイチ診療室にお入りください。

診療室に入ると、智子はいなかった。別の部屋で休んでいるということだった。

「ご親せきだとのことですね」医者が言った。医者は五十くらいの女性だった。
いとこです、と智は言った。
「今回の智子さんの診察の件については、詳しく聞いていらっしゃるの?」
智は首を振った。
「聞いておられない?それは困ったわね。誰も何も伝えないままで、あなたをここによこした。本当はご両親に来ていただくべきなんです。てっきり来ると思っていたんだけど。どうして来ないのかしら」
医者は首をひねった。

「智子さんは未成年ですし、あなたに成人していらっしゃるから。いらっしゃるわよね?」
見た目相応に。心のなかで含み笑いをしながら、智はうなずく。
「あなたは責任を持って、診察結果を伝えてください。いいですね?」
医者が同意を求めるように、強い口調で言った。もちろんです、と智はうなずいた。

「智子さんは妊娠しています」

医者は咳払いをする。

「おそらくレイプ行為を伴う性交渉があったと思われます。本当はすぐにでも病院に行くべきだったのです。どうして彼女がそのような処置をすぐに取ってもらえなかったのか、わかりますか?」

わかりませんね。智は首を振った。もう子どもではないのだから、本人にもそれなりの言い分はあるはずですよ。

医者は顔をしかめて、智の方をじっと見つめた。疑わしげな表情をしていた。

お前の化けの皮を命がけで剥いでやる、と言わんばかりの目。

智は思わず笑ってしまいそうになり、TPOにそぐわないのでこらえた。

「彼女が自分の意志を十分に伝えることができるとは思いませんが。その意味はわかりますよね」
医者は言った。
「四年前、十三歳のときにも彼女は中絶手術を受けていますね?ここで」

そうですか?と智は言った。

「これから智子さんはどこに帰られるんですか。これからまさか群馬県まで帰るの?」

今日は僕のアパートに泊まります。昨日から、明日までの約束で、こちらに来ています。

「あなたのアパートにね。智子さんはいとこだって言ったわね」

そうです。

「ねえ、あなたたちはただの親せき、という関係でもないのでしょう?」

どういうことですか?

「だって、ひどい傷を負った娘をわざわざあなたのところに寄越したんでしょう。大事な診療結果を、あなたに託したんでしょう。あなたが選ばれたのは、きっとあなたがたは何か特別な関係だからなんでしょう?」

智は面白くて仕方がなかった。すぐにでも誰かに話したい。


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