廉太郎ノオト書影おびあり

『廉太郎ノオト』(中央公論新社)のWEB聖地巡礼 浅草編

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 はい、WEB聖地巡礼も残すところあと二回です。
 今回は浅草をご紹介。
 浅草といえば、やっぱり雷門ですよね。あの大提灯を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
 でも実は、廉太郎さんが生きている時代に雷門がどういう状態であったのか、なかなか調べるのが難しいのですよね。
 どうも明治期の雷門は仮設的なものであったらしく、イベントがあるごとに建てていた様子なのです。恐らく、明治期の人々はそこまで雷門に特別な思いは抱いていなかったと思います。

 では、当時の浅草のランドマークといえば……。

 きっと、浅草十二階(凌雲閣)でしょう。
 当時、あれほど背の高い建物は他になかったはずです。

 でも実は、『廉太郎ノオト』において特に重要なのは、この辺りに『花』のモデルになった隅田川が流れ、それを記念した石碑があることでしょう。

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 こちらの歌詞は廉太郎さんがものしたわけではなく、武島羽衣さんという詩人の作です。本作ではあまり紹介しませんでしたが、武島さんは劇中年間に東京音楽学校の教授を務めており、廉太郎さんから見ると先生に当たります。この作品の制作経緯について、武島さんの詞に廉太郎さんが曲を当てたんではないかと考えまして、このお話の中で何度か浅草を登場させています。廉太郎さんがロケハンをしていたと考えてみても面白いかもしれませんね(廉太郎さんが東向島に行くとき、隅田川を眺めているシーンがあるのは実は『花』制作の伏線です)。

 明治期から(というより、江戸時代からずっとなのですが)浅草は歓楽街でした。お酒を飲むところやいわゆる遊郭がある大人の遊び場という印象ですね。わたしが学生の頃は真昼間から安い酒が飲める店が軒を連ねていましたが、このロケハン当時では、妙に綺麗になっちゃってましたね。

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 ある種の猥雑さというか、下町感がこの街の魅力だったのですが……なんでも、外国人観光客の増加に伴い、アングラな雰囲気が少しずつ排除されていったそうで。まあ、わたしもたまにしか足を運ばない程度の人間なので変化に何を言えるクチではございません。ただ、かつての浅草の雰囲気を懐かしみつつ、町歩きするばかりです。
 とはいえ、実は明治期の浅草はハイカラな町でもありました。歓楽街ということは、古きものも根強く残る代わり、新しいものも急激に入ってくるんです。
 カクテル「電気ブラン」を生んだ神谷バーは浅草にありますしね。
 本作において主人公の瀧廉太郎さんはいやになるくらい純粋に書いてしまったので、色だの恋だの酒だのには縁遠く、この街の魅力についてはほとんど書けなかったというのが正直なところです。
 古きものを抱えつつ、新しいものを飲み込んでいく浅草の町。いつか、正面切って書いてみたい町であります(といいつつ「おもちゃ絵芳藤」で既に書いているんですけどね……)。

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