奇説無惨絵条々書影

【天狼院書店初心者短編2019年10月コース受講者向け】②「主人公」の役割論

【PR】

【注意】
 こちらのエントリは、天狼院書店さんで開催中の「短編小説100枚を二ヶ月で書いてみる」講座参加者の方向けのエッセイです。参加していない皆様にもなにがしかに気づきがあるかもしれませんが、このエッセイは基本的に「初心者の方が小説を書き切る」という目的設定をした講座に向けたものでありますので、中級者、上級者の方がご覧の際にはそうした点をご注意の上ご覧ください。
【注意ここまで】

 さて、第一回の講座から二週間が経ちました。皆さん、何が書きたいか、あるいはプロットは固まってきましたか?
 うまくいっている方はぜひそのまま深めてみてくださいね。わたしとしては一人でも多く最後まで書き終える方を増やしたい一心なので、もし先に進んでいて分からないことがある方は、某所の質問板をどしどしご利用くださいね。
 さて、ここでは、今一つ構想・プロットが進んでいない方のための補講を行ないます。
 ずばり、今回は「主人公」についてです。

 ぶっちゃけた話、「主人公」が、物語の出来の八割を決めるといっても過言ではありません。えっ、プロットは? 世界観は? 叙述は? とお思いの皆さんもいらっしゃることかと思いますが、自明のこと過ぎることだけに、皆さん、主人公の大切さをスルーしておられるのです。
 例えば、「桃太郎」ってありますでしょ? あのお話で、鬼退治をモチーフに小説を書こうとして、主人公をおじいさんに設定してやったとしたら、どうなります? そう、一番物語として楽しいはずのあれこれ(犬猿雉との邂逅や鬼相手のアクション)が一切書けなくなるんです。もちろん無理矢理おじいさんを主人公にして小説を書くことはできるでしょうが、おそらく、「鬼退治」というモチーフは遠景のものとなり、何か他にモチーフを用意してやらないと小説として成立しないはずです。
 それに、主人公のキャラクター次第では、ストーリーや叙述にさえ影響が出てきます。
 たとえば、主人公に設定した登場人物が何事にも興味がなく、アクティブからほど遠い人物だった場合、それでお話が書けないことはないですが、難易度はかなり高くなります。また、一人称小説(地の文において「僕は」「私は」叙述する小説のこと)においては、主人公のものの考えや思考レベルなどが大いに作品に影響を与えます。極端な話、ミステリもので探偵の一人称小説を書く場合、「謎解きに興味がなく、正義感にも乏しいです」という登場人物では、描き上げるのに相当苦労するはずです(できなくはないでしょうが、相当遠回りをさせられることでしょう)。

 そう、ここでご理解いただきたいのは、主人公は小説内部で扱う「事件」と距離の近い存在でなくてはならないという点です。
 小説はある「事件」を描くものであります。ここでいう「事件」というのは刑事事件のことではなく、「出来事」ぐらいのものとお考えいただければと思うのですが、この「事件」に強いかかわりを持っている人物が、主人公なりえる資格を有しています。
 でも、「事件」に関わる人物なんて、物語上にたくさんいますよね。たとえば「鬼退治」という事件を扱う『桃太郎』においては、犬、猿、雉だって事件に深く関わっています。彼らもワンチャン主役になりえる資格を持っています。

 では、主人公になる人物の備えている特徴とは何か。
 一つには、「強い目的意識を持っていること」です。
 『桃太郎』を例にすると分かりやすいのですが、桃太郎は鬼退治するという目的を強く持っているのに対し、犬猿雉はきびだんごにつられて仲間になり、なかば行きずりのかたちで鬼退治に参加します。そう、犬猿雉は、「目的意識」が桃太郎と比べて低めに設定されているので、主人公なりえないのです。
 もう一つには、「事件にケリをつける」ことです。
 いくら事件を総覧できる立場であったとしても、ただ事態を眺めているだけでは主人公なりえません。主人公なりえる人物は、その事件に介入し、何らかの形で着地させることになります(ミッションの失敗もまた着地です。つまり、頑張って目標に向かい努力したものの果たせなかった、というのも、「事件にケリをつける」という言葉に含まれているのです)。

 物語を鑑賞すると、強い目的意識は持っていないけれど最終的に事件を解決するに至る主人公なども出てくるので、両方を兼ね備えている必要はありません。
 いずれにしても。

 主人公は物語内の事件を観測し、最終的に何らかの形でケリをつける存在。

 このようにご理解いただいていると、とりあえずのところは大きく外れてはいないと思います。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?