【天狼院書店初心者講座2020年10月コース受講者向け】①いったん裸になる
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【注意】
こちらのエントリは、天狼院書店さんで開催中の「短編小説100枚を二ヶ月で書いてみる」講座参加者の方向けのエッセイです。参加していない皆様にもなにがしかに気づきがあるかもしれませんが、このエッセイは基本的に「初心者の方が小説を書き切る」という目的設定をした講座に向けたものでありますので、中級者、上級者の方がご覧の際にはそうした点をご注意の上ご覧ください。
【注意ここまで】
今回の講座を受けてくださっている皆様、先日はお疲れ様でした。
わたしの講座においては毎週日曜日、役に立つんだか立たないんだか分からない小説TIPSを投下してゆきます。興味のある話題があったら読んでみてください。もしかしたらヒントになるかも知れません。
さて、今日のテーマは、たぶん小説を書くにおいて一番大事なことかも知れません。
真っ裸な心で
小説を書くために一番大事なものは、技術でも体力でもなく、「根源」だよ、とは皆様にご説明しました。そして、強い「根源」さえあれば、技術がなかろうが、体力が底だろうが、小説は書けてしまいます。
あなたの「根源」――思考パターンや経験、物事への好悪などのパターンの集合体――は、もちろん目に見えるものも多くあります。しかし、常識や社会性といったものによって表出がはばかられる側面があり、それらのものに縛られている自覚もないまま、抑圧されていることにさえ気づいておられない、そんなことが往々にしてあります。
小説を書く際にまず捉えてほしいのは、「あなたの心の形」なのです。なので、常識や社会性をとりあえず保留し、ありのままの自分を知っておく。あるいは知ろうと努力をする。そういった作業が必要になります。
裸の心を知るために
裸の心を知るための手段は結構あります。
たとえば、昨日の講座でもやった「自身への問いかけ」がそれです。わたしは設問として「なぜ小説を書こうと思ったのか」という問いかけをしましたが、なんでもいいんです。「なぜ自分は○○なのか」みたいな問いを考えてやって自分で問い、どんどん問いを深めていくごとに、自分の根源に横たわる何かが見えてくるやもしれません。
日記もいいでしょう。誰にも見られることのない場所で、自分だけの本音を書く作業。これを行うことによって「自分はこんなことを思っているのか」という気づきを得ることができます。
自分の内側に向かう。その手段はいくつもあるのです。
創作と裸の心
でも、中には、あまりに己を縛るものが強すぎて、そうした手段を用いても裸の心に至ることができない、そんな人もいます。
実は、そうした方こそ創作に向いているんですよ。
冷静に考えれば、創作はなんと迂遠な表現でしょう。フィクションであるという但し書きをつけて(場合によると)現実とよく似た空間、登場人物を創出し、その上で実在しない事件を描き出すわけで、他人に何かを伝える手段としてはあまりにも遠回りしている感じがあります。わたしが思うに、創作とは、フィクションという但し書きでもってしか発露することの許されづらい何かを描くものなのではないか、そんな気がしています。
フィクションであるという但し書きは、少しだけ自分を縛る鎖を緩めてくれます。その隙に本音を語る、というわけです。
もし本音が語れない方は
フィクションという但し書きがあっても本音が書けないそんなあなたにグッドニュース。実は、比較的本音を書きやすい登場人物がいます。
それは、悪役・敵役です。
主人公と対立することになる悪役・敵役は、一般にある程度のモラルが求められがちな主人公と比して、アンモラルであることが約束づけられています。
例えば(余談ですが、何かの理論や論理などに際したとき、具体例を想像するのはよい思考実験になりますし、知識の定着にも繋がるのでおすすめです)、「ドラえもん」において敵役になることの多いジャイアン。映画版はさておき、テレビ版においては他人のおもちゃを取り上げたり、理不尽に暴力を振るったり弱い者いじめをしたりと傍若無人です。決してモラルの高い人物ではありませんね。こうした人物に、自分の汚い本音を言わせることで、悪役としてのキャラクター立てに使うことができるんです。
もちろん、創作物の中には主人公が悪い奴なんてこともあるので一概には言えませんが、ここで大事なことは、小説は様々な人物を書くので、往々にして「アンモラルな人物」が出てきます。そういった人物を作り出してやると、あなたの本音に出会うことができるかもしれません。
ここだけの話、わたしも時折そうやって悪役・敵役に自分の本音をぶちまけています(笑)
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