奇説無惨絵条々書影

8/25【天狼院書店短編100枚二ヶ月コース受講者向け】書きあぐねたあなたに⑧「オチ」るとはどういうことか

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【注意】
 こちらのエントリは、天狼院書店さんで開催中の「短編小説100枚を二ヶ月で書いてみる」企画参加者の方向けのエッセイです。参加していない皆様にもなにがしかに気づきがあるかもしれませんが、このエッセイは基本的に「初心者の方が小説を書き切る」という目的設定をした講座に向けたものでありますので、中級者、上級者の方がご覧の際にはそうした点をご注意の上ご覧ください。
【注意ここまで】

 ついに八月最後の日曜日です。つまり今日は、最後の講座が開かれる8月31日直前のnote講座となっております。皆様、いかがですか? 執筆は……。諦めたらそこで試合終了と安〇先生も言ってます。それに、この講座においては、「とりあえず書き上げてみる」ことを目標にしているので……。とにかく、「自分のための創作」を心がけてみてください。

 それはさておき、今回が第二回目講座最後のTIPSとなります。

 というわけで、張り切ってやっていきたいと思うのですが……。
 さて皆さん、突然ですが、「オチる」ってどういうことか、説明できますか?
 ほら、よく、漫才とか物語に「いや、アレ、全然オチてないだろ」みたいな感想がつくことってありますよね。あの「オチる」です。

 この講座に参加してくださった方は覚えているかもしれませんが、わたしは小説の核心は「y=(f)x」であると説明したと思います。これを言葉に直すと、

「xの状態にある主人公や事件が(f)という経験を経てyという状態になる」

 となるとも説明しましたね。これの意味するところは、当初提示された主人公や事件は最後、何らかの形で変化していなければならないということです。
 これを具体的に書くなら、

「人間嫌いであった主人公が、田舎暮らしをして人々と触れ合うことによって人間のことが好きになる」

 であったり、

「銀座で起こった(全容のわからない)殺人事件が、主人公たちによる捜査を経ることで真相が明らかになる」

 とでもなるでしょう。
 最初に示した例で変化するのは『主人公』です。けれど、後の例で変化するのは『事件の状態』です(全容が分からない状態から、すべての真相が明らかになるという変化を遂げている)。

 「オチていない」というのは、そのお話の根幹部分のy=(f)xがうまく機能していない場合が多いのです。
 よくあるのが、書いている途中で最初に提示された目標と最後に達成された目標がずれてしまう場合。例えば、最初に提示された目標が解決された後、新たに別の目標が出て解決するなら「オチて」いるのですが、別の目標の解決に気を取られて、ある目標の解決が放置されると「結局あの話はどうなったんだ」となってしまうのです。

 実は、このオチを巡る話はいろいろ言うことがある(実は登場人物ごとにy=(f)xが成立していないといけませんし、作中で扱われる様々な小事件についてもそう)のですが、初心者の方を対象にする本講座においては、

「主題となった事件や主人公のy=(f)xがしっかり貫徹されているか」

 を確認してください、というところに留めておきます。

 では皆さま、8/31の最終日、笑顔でお目にかかれますのを楽しみにいたしております。

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