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心の画素数

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 サラリーマン時代、わたしは仕事を取ってきて、職人さんに仕事を発注してものを作るお手伝いをするという感じの業務に従事していました。人と人の間に立って色々なことをやる仕事なので、そもそも人間嫌いのわたしに務まるものでなかったのですが、今にして思うと、決定的にわたしがあの仕事に向いていなかったのは、むしろその仕事に対する画素数の少なさだったように思います。

 よく、職人さんにこう聞かれたものです。

「谷津君はこう言うけど、これはAなの? それともA’?」

 何を聞かれているのかよくわかってなかったんですよ。AだろうがA’だろうが一緒じゃないか、職人さんは何を言っているんだ、と。そこはなんとか「A」に収めちゃってくださいよ、とお願いして、職人さんには苦笑いされていたっけなあ、と。

 昔のわたしを叱ってやりたい。
 今、わたしは小説家をやっています。この業界の建前としては、作家の著作物を版元さんが形にし、版元さんが著作権料を払うというフローチャートになっており、法律上、作家と版元さんは事業者同士、つまりは同格です。とはいっても実際には、版元さんが職人である作家に仕事を発注して成果物を作るという、一般的な受注者・発注者の関係と大差ない部分もあります。
 だからこそ、サラリーマン時代に際した、職人さんの困惑の理由に思い至っています。
 つまるところ、AとA’はまるで違うもので、それが理解できていないと支障が出るということなんですよ。
 小説に引き寄せるなら、版元さんは「ヘテロのラブコメ」を発注したいのに、作家側が「百合のラブコメ」を書いてきたら、「出来上ったものが違う!」となりますよね。でも、「ラブコメ」であることには変わりがないわけです。
 お恥ずかしながら、サラリーマン時代のわたしは、「ヘテロのラブコメ」と「百合ラブコメ」をまったく同じものだと認識していたくらい、物事を雑に理解していたのです。

 仕事を極めるとは、感受性を深めること、物事の違いを明確に、かつ細やかに捉えることと同義だと思っています。
 かつてお世話になった職人さん、ごめんなさい。
 そして、ありがとうございます。おかげで、今わたしは「心の画素数」を上げることの大切さに気づけています。

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