桔梗の旗書影

『桔梗の旗』を作った際に考えたこと④

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 『桔梗の旗』を書いているときに念頭に置いたのは、本能寺の変をどうするか、でした。
 光慶の天正十年を書くということは、間違いなく本能寺の変を扱うことになります。そして、本能寺の変を扱う以上は読者の方をあっと驚かせるような、あるいは「こんな解釈もありだったか」と思わせるようなロジックが必要とされるわけです。
 荷が重い……。
 そりゃそうですよ。これまで、どれだけの作家が本能寺の変を書いてきたと思っているんですか! デビュー作で鮮烈な本能寺の変解釈を行ない斯界での足掛かりをおつくりになられた方すらいらっしゃる大ネタである以上、書くからにはかなり本腰を入れなくてはなりませんでした。

 というわけで、わたしなりに本能寺の変にまつわる論点を整理してみたわけですよ。
 三職推任問題(簡単に言うと、本能寺の変直前、信長に何らかの官位を与えようという動きがありました。与えられようとしていた官位が何であったのかにより、信長の構想していた政権の形が類推できるのではないかと言われておるようです)なんかを絡ませる手も考えたのですが、そして絡ませることも不可能ではなかったのですが、それ、光慶を視点人物にする必要性が低くなってしまいますやん、となってしまうことに気づき、こちらはお蔵入りに。
 と、あれこれ考えてゆくうちに、

「今回は光秀の単独・突発犯行の線で行くかー」

 となったのです。
 本能寺の変周りを調べてみると、どーも光秀さん、謀叛に当たって根回しをしている様子がないんですよね。信長信忠親子を討ち取った後、あたふたと細川(長岡)や筒井といった与力たちに協力を要請している感じですし、パッと見た感じでは朝廷への工作もツーカー(死語)とは行っていない。恐らく光秀さん、信長を殺さなくてはならない事情が俄かに生じ(あるいは強烈な殺意が生まれ)、事前準備もクソもなく、チャンス到来とばかりに殺りにいった、という風が見て取れるのです。

 ここで大事なのは、信長と光秀の対立点がどこにあったのか(正確には、作家としてどこに作るのか)問題です。これまで曲がりなりにも主君と部下という関係であり続けた両者が決裂に至るのですから、かなりとんでもないものであったはず。そんな事情を作家として作らなければならない。

 いや、これはこれでハードモードですやん……。

 そんな感じで色々と悩んでいたのですが……。続く。
 

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