廉太郎ノオト書影おびあり

『廉太郎ノオト』(中央公論新社)のWEB聖地巡礼 菊坂・本郷編

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 今日も聖地巡礼企画やりますよー。
 とはいっても、今日はあんまり廉太郎さん本人には関係のないところです。恐らく今回ご紹介するのは、廉太郎さんの通学路だったであろう辺り。菊坂・本郷です。
 とはいえ、この辺りもかなり人がお住まいで、おいそれと写真をアップするわけにはいきませんので、その点ご容赦ください。

 ではまず、菊坂近辺から行きましょう。
 この辺りは本郷や東片、西片町と並んで東京大学の下宿地だったようで、名だたる文豪や文化人たちが暮らしている地域でした。菊坂には樋口一葉や宮沢賢治といった日本文学の綺羅星たちが住んでいたそうです。

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 菊坂はこういう景色が残っています。

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 えっ、宮沢賢治さん、日産300枚とかマジですか。
 一般に、長編小説がおおむね原稿用紙500枚くらいなので、宮沢賢治さん、二日で一冊分の小説が書けるということになるのでは……(ちなみに、詩やシナリオの世界では200字詰め原稿用紙を基準にしていることもあるそうなので、もしかしたら200字詰め換算かもしれませんが、それでも日産150枚ということに。ひいいいい)。

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 この通り、樋口一葉さんの記憶がそこかしこに残っている町です。
 とはいえ、瀧廉太郎さんとは年代的にニアミスしないので、「そういう雰囲気の町であった」ということだけご理解いただければ。明治文学といえど、樋口一葉さんの描く風景には何となく江戸の香りが残っています。もちろん、廉太郎さんの生きた時代はそれよりもう少し後ですが、わたしたちが思う以上に、江戸の香りが残っていたのではないでしょうか。

 さて、お次は本郷です。

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 赤門です。ちなみにわたしは赤門をくぐったことがありません。はい、高学歴へのひがみです。

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 町を歩いていたらこんなディスプレイが。
 ああ、すごくかわいいです……。
 本郷の辺りは近代以降、東京大学の”門前町”として作り替えられていったという歴史があり、なんというか、古き良き学園都市の風合いが非常によきかな、な感じでございます。

 ところで、これはあんまり知られていませんが、今の東京大学の敷地内に中世城郭「本郷城」があったとされています。南総里見八犬伝の曲亭馬琴が豊島氏の居館があったと書いているのですが、当時この辺りを支配していたのは後北条氏の家臣太田氏(太田道灌の子孫)、おそらくは太田氏の城であったろうとされているものの、その存在は立証されてはいません。
 でも、城があったと言い伝えがあるのも、またむべなるかなという感じです。歩いてみると分かるのですが、この辺りはかなりアップダウンが激しく、東京大学の敷地はさながら大きな丘の上にあるようなロケーションです。近くに大きな道もありますし、東には上野山があります。確かにこの辺りに城を築いておいて、上野山とともに北方の備えにしたいというその発想、すごくよくわかる気がします。

 やや話は逸れてしまいましたが、廉太郎さんの通学路の風景を思い浮かべていただけたら幸いです。

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