奇説無惨絵条々書影

【天狼院書店短編講座受講者さん向け】書きあぐねたあなたに③小説を書くときの心持について

 WEB連載の「桔梗の人」よろしくお願いいたします! と共に、2019年2月新刊の「奇説無惨絵条々」(文藝春秋)と文庫化「曽呂利」(実業之日本社)もよろしくお願いいたします。

 このエントリは、天狼院書店さんで4/27に開かれました短編講座の受講者さん向けのものです。基本的に小説執筆の初心者に向けた内容になっておりますので、もし講座を受けておらずこのエントリをご覧になった方は「あくまで初心者の方向け」であることをご理解の上読み進めてください。

 小説初心者の方がきっと一番お悩みになられるのは、大枠の話ではなく、そもそもどうやって文章を紡いでゆけばよいのかという問題である気がしています。書きたいものがあるのにどうやって形にしていいのかわからない、どうやって見たもの聞いたもの嗅いだもの触ったものを文章にすればよいんだろう? そう思いあぐねて手が止まってしまうのではないでしょうか。
 今日お話しするのは、「どうやって文章を紡いでゆくのか」です。

特定のだれかに向けて書くつもりで
 わたしは講座の中で何度も「あなたのための物語」と申し上げました。けれど、実は小説というのは「誰かに見てもらう」ことを前提にしたものであるともいえます。えっ? 矛盾しているって? いえ、それはちょっと違います。
 自分の思いを形にする際、自分にしか分からない言葉で紡いでしまうと、どうしても心の中の混沌が整理されないのです。「他人の目」が介在することで初めてあなたの内的世界は明確な形を手に入れ、整理された状態で表出してくるのです。あなたの小説を誰かに見せろと言っているわけではなく、誰かに見せることをイメージしながら書いてください、ということです。
 たとえば、自分と仲のいい家族でも構いません。友人でも構いません。あるいはお子さんやお孫さんでもいいでしょう。特定の個人に向け、その人に自分の心の内をひけらかすつもりで小説を書いてみてください。
 なぜこんなことを申し上げるのかというと、実はそうすることで、叙述が安定するからなんです。特定の個人に向けて書くことで、その人の知的レベルや読み書き能力などを無意識に慮り、小説全体の叙述が安定するという仕組みです。

あなたが使い慣れた言葉で
 お話をしているときには魅力的なのに、小説を書こうとすると突如硬い文章になってしまう方がいらっしゃいます。使い慣れない言葉を振り回すうちに、逆に振り回されている風な方です。
 もちろん、うまい小説家はさまざまな叙述を華麗に使いこなすものです。けれどこれはうまいからできること。まずは、あなたが人生の中で培ってきた言葉で小説を紡いでみてください。
 わたしは先の講座の際に「実は一人称小説は奥深いのだけれど、初心者の方には向いているかもしれない」と申し上げたのはこの辺りが理由です。一人称は語り手の語り口がすべてなので、あなたの語り口をそのまま小説の語りとして使うことができるのです。もし、三人称でお書きになり始めていらっしゃり、なんとなく叙述がうまくいかないということなら、一人称に切り替えてみるのも手かもしれません。

やっぱりコツは「書き進める」こと
 講座の皆さんの多くはこれまで小説を書き上げたことがない方です。そうした方にはまず「書き上げてもらう」楽しさを味わっていただきたいので、まずは完成度には目をつぶって、書き進めてみましょう。途中で書くことを挫折してしまう方の多くは、途中で自分の文章を読み返してしまい「だめだこりゃあ」となってしまう方です。後ろを見るのは最小限、基本的には未来志向で行きましょう。
 (ちなみにプロは自分の文章を読み返したうえで書きながら修正したりもしますが、これは長年の経験がなせる業で、これを初心者~中級者の方がなさるとモチベーションが下がるばかりなのでお勧めはしません。そもそも、そうした大幅な変更がないように、事前にプロットやキャラクターを練っていただいているという側面があります)

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