廉太郎ノオト書影おびあり

『廉太郎ノオト』(中央公論新社)のWEB聖地巡礼 上野・南千住編

【PR】

 はい、今日も『廉太郎ノオト』の聖地巡礼です。前回からの流れで言うと今回は根津、上野近辺なのですが、上野編は以前やったので、一枚だけお写真を追加しようと思います。はいどん。

画像1

 上野東照宮の不忍池鳥居です。
 劇中でも出てくる廉太郎さんの通学路です。実をいうと、別にここを通らずとも東京音楽学校に行くことは出来るのですが、著者であるわたしが大変このロケーションが大好きで(学生時代から)、無理やり通学路にしてしまったという経緯があります。この階段を登り切った先に、劇中で初めて幸田幸と出会った石灯籠の続く広場があります。
 実際この不忍池鳥居、上から見下ろしても、下から見上げても素敵なので、ぜひぜひ上野に足を運ばれた際には行ってみてください。わたしの萌えロケーションです。

 さて、今回は南千住近辺です。

 南千住や橋場近辺は、どうも明治期にはお金持ち連中の別荘が立ち並んでいた地域であったようです。都会から少し離れた閑静な感じがよかったのでしょうね。というわけで、本書のヒロインである幸田幸、幸田延の家がありました。とはいえ、当時の面影を示すものはほとんど残っていないのですけどね!

画像2

 この辺りは非常に再開発が進んでいて、マンションが立ち並んでいます。かつて小説家が三十人以上集まって開催された「作家31人合同サイン会まつり」を企画運営なさったくまざわ書店南千住店さんもこの辺りに立地しています。

 とはいえ、全く何も残っていないわけではなく……。

画像3

画像4

 城跡があったそうです。確かに、この地に城を築きたくなる気持ちすごくよくわかる……。川が大きく湾曲しており、守るに易く攻めるに難いロケーションをしていますから。
 そして、この辺りの近辺には、渡しの跡を物語る案内板がいくつも立っていました。皆さんもご存じかもしれませんが、江戸時代、軍事上の理由から、みだりに川に橋を架けませんでしたので、舟での渡しがその代わりとなっていました。明治期においてはそうでもなくなるのですが、それでも橋を架けるのは結構な大工事、しばらくは渡しが存続していたそうです。ほら、それこそ、「春のうららの隅田川~」の『花』でも、「上り下りの舟人が」と歌われているでしょう? 
 橋を渡る、という行ないは、ある意味で近代的な行為なのです。そういう意味で、従来の河と人とのありようを歌った『花』は、近代的な作曲で修飾されていても、やはり日本的な歌なのです。だからこそ現代でも愛されているのかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?