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岡本柳之助『風雲回顧録』からどうやって伊地知正治を肉付けしたのか

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イントロダクション

 新刊の宣伝に困っている谷津です。

 もちろん「買ってね!」という告知も大事なんですけど、宣伝というのは常に陳腐化するもの、新しい何かを提示していかないと、過去どんなに成功した宣伝手法であっても目的を達成できません。宣伝は宣伝で創作活動といえるのです。
 そんなわけで、新刊がある時分は本当に頭が痛いんですけど、何もやらないよりはやったほうがいい、というわけで、こうして久々にnoteを動かしている今日この頃でございます。
 というわけで、今回はこんなコンテンツを用意しました。
 今回の新刊、『ぼっけもん 最後の軍師伊地知正治』の主人公、伊地知正治は数々の逸話があります。その中で、特に生々しいなーと感じたのが、岡本柳之助『風雲回顧録』という本です。

 今日は、谷津がこの本に記載されていた描写から、どうやって伊地知正治という人物を肉付けしていったのか、そんな話が出来たらなーと思っております。

岡本柳之助について

 まずは、風雲回顧録の著者、岡本柳之助について説明しなければなりません。
 この人は幕末から明治末にかけての人です。
 紀州生まれ。いろいろあって同郷の陸奥宗光に見いだされて軍人の道を進み、西南戦争でも戦果を挙げるものの、竹橋事件という近衛兵の叛乱に関与したとされ軍を追われ、陸奥宗光や福沢諭吉、南方熊楠などとも縁を持ち、ついには朝鮮の軍事顧問を務めるにも至ります。朝鮮、中国情勢に通じた民間の人士、“大陸浪人”として活躍した人物として知られています。
 そんな岡本は晩年期の伊地知正治と出会っていて、風雲回顧録にその人となりを書き残しているんですね。
 岡本の文章は変に気取ったところがなく、伊地知に気を遣っている様子がないのがいいんですよ。伊地知は前半生、後半生の活躍から、後進の者たちから顕彰される立場になってしまい、伊地知の思い出話にもどこかある種のごますり感、というか嘘くささが滲んでいる感があります。岡本のざっくばらんとした語りには、妙な迫真があるんですねー。わたしが本書を元に伊地知の肉付けをしたのは、ざっとそうした理由でした。

伊地知老人の描かれ方

 岡本と伊地知が出会ったのは、明治十七~八年、熱海でのことだったといいます。
 岡本が取った旅館にたまたま伊地知が泊っていたそうで、その際たまたま熱海にいた後藤象二郎の仲介があり、面会がかなったよし。
 該当箇所を読むと、アク強めな伊地知の人物像が浮かび上がります。
 岡本はあえて素っ気なく描写していますが、「服装など頭から構わぬ」と書いています。しかもそれだけじゃありません。旅館に泊っているというのに「左手には盆の上へ生豆腐を一丁」、「右手には赤味噌の竹の皮包みと塩鮭の切り身をさげて」います。この姿を見た岡本、相当困惑したようで(旅館なのでご飯は出る、にもかかわらず飯を買ってきているのが不思議だったのでしょう)、旅館の女中さんに誰なのか聞いているくらいです。
 そして伊地知、部屋の雨戸を閉め切り、その中で蝋燭をともし、本を読んでいたようです。この短い回顧録の中で、岡本が伊地知のことを「名士」「偉物」と持ち上げつつ、「畸人」とばっさり切って捨てているのも、むべなるかなといったところなのです。
 そして伊地知、岡本がやってくるなり「どの軍学書が好み?」と質問をし、「孫子の魏武註あたりが好き」という答えを引き出すと上機嫌になり、数日にわたって軍学について喋ったといいます。しかし伊地知の話は軍学に留まらず、最終的には豆腐への愛や実用性の話へとなだれ込み、さらに後藤象二郎を巻き込んで連日の会合が開かれ、後藤が閉口した、と岡本は書き残しています。気難しい人だが懐に入ると面白い人だった、というような感想を岡本は抱いています。

作家の目からこの逸話を眺めると

 個人的に、まず目に留まったのは「豆腐推し」でした。
 幕末期で豆腐が好きな人物というと、幕末史ファンでは大村益次郎の名が挙がるのではないでしょうか。大村益次郎といえば、長州藩の軍師として活躍した人物で、国民皆兵の道筋を作りながら、早い内に暗殺されてしまった人物です。さらに戊辰戦争時、ある作戦の途上、伊地知と対立しています(この辺りのことは本編にも記述)。そんな大村と伊地知が同じく豆腐推し。偶然なのでしょうが、これは巧く物語の中で使えそうだぞ、という感想を持ちました。
 また、塩鮭を提げていたというのも面白いですよね。
 鹿児島の醤油って(物理的に)甘いんですよ。わたしも家で鹿児島の醤油・サクラカネヨを愛用しているので知っているのですが、みりんでも混ざっているのかというくらい甘いのです。もしかして伊地知さん、故郷の甘い醤油が手に入らないところでは(醤油を使わなくてもいい)塩鮭を食べているのかしら、という想像が立ったのです。
 また、部屋を真っ暗にしているという話。これ、もしかすると読書家あるあるかもしれません。読書家の中には時間経過による天然光の変化を嫌う方がおり、あえて暗い部屋で電気をつけて読む場合があるそうです。伊地知さんもそういうことなのでは? と想像したのです。
 と、わずか数ページに過ぎない逸話なのですが、伊地知正治という人物が浮かび上がるような、素敵なエッセイなんですよ。本書と出会えたことは、拙作『ぼっけもん』を書くに当たり僥倖なことでした。
 変な話ですが、歴史上の人物の実績や行動は残りやすいんです。ところが、ちょっとしたひととなりはほとんど残らないんですよね。なので、そうしたものを窺わせるものを見つけるとほっこりしますし、何より、一歴史ファンとして心躍るものがあります。一人の人間がかつてそこにいた、そんな実感を覚えるのです。


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