廉太郎ノオト書影おびあり

『廉太郎ノオト』(中央公論新社)のWEB聖地巡礼

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 『廉太郎ノオト』標準発売日から一日。既に読了報告をしてくださった方すらいらっしゃる状況です。フラゲしてくださった皆様、発売日にお買い上げくださった皆様、誠にありがとうございます。皆さんみたいなお客さんのおかげで作家は生きてゆけるのです。誠に感謝申し上げます。

 さて、今日は聖地巡礼……といいますか、わたしが本作のロケハンで撮影した写真をちょっとご紹介しようと思います。WEB聖地巡礼みたいなものですね!
 ところが……。実は、色んな所の写真を撮ったんですよ。けれど、最初のロケハン(もっとも撮影枚数が多く、精密に撮った)のデータが失われてしまいまして、第二回ロケハンの写真しかないのです……。しかも、第二回は上野山ばっかりです。第一回の際は、

麹町→西片町→本郷・根津→上野山→千住・南千住→東向島→浅草

 と、ほぼ作中の世界をすべて回った格好だっただけに、辛い……。
 第二回目は、ゲラ作業直前に行った上野山の様子であります……。ずいぶん様変わりしてますが、実は廉太郎さんが見たであろう景色はそこかしこに残っています。

 はい、こちらは上野山にあります東照宮ですね。戊辰戦争の際の上野山の戦いでも焼失を免れた神社で、当然明治期にも存在したはずです。恐らく、廉太郎さんもこの東照宮の風景を見ていたのでは?

 こちらは『廉太郎ノオト』の主な舞台となっている旧奏楽堂(当時は東京音楽学校校舎)です。ちなみに敷地内には廉太郎さんの像があります(三枚目)。実は『廉太郎ノオト』を書くにあたり、何度もお邪魔しました。雰囲気が出ていれば幸いなのですが……。

 そして最後、こちらは、わたしが廉太郎さんの通学路として想定している、不忍池から東照宮へ至る参道です。予科生から本科生にかけての廉太郎さんは西片町に住んでいるのですが、だとすると不忍池を北からぐるっと回って上野山にやってきたはず。ということは、この参道を近道にしていたんじゃなかろうかという推理をしたわけです。正しいかどうかは分かりません。ってか、たぶん正しくないと思います。なにせ、学生時代から、この鳥居から上野山を見上げるのが好きだったんですよ、わたしが!
 それはさておき。この写真の辺りが、廉太郎さんとある重要登場人物の出会いの場面となっています。というわけで、『廉太郎ノオト』をお読みになられた皆様で上野山にお越しの機会がある方、ぜひぜひ廉太郎さんたちの足跡を探してみてくださいませ!

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