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『おもちゃ絵芳藤』(文藝春秋)というマイ・マイルストーン

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 作家の仕事には時々マイルストーンとなる一作があります。
 いや、売れた、とか、多くの人に読まれた、とか、そういった本のことではなく、今になって考えてみると、己を大きく規定したなあと思える一作ってあるものなんですね。
 そう、今にして思うと、この秋に文庫化する『おもちゃ絵芳藤』はそんな本だなあと思うことしきりなのです。

 元々、絵師ものは書いてました(『洛中洛外画狂伝』『蔦屋』など)が、『おもちゃ絵芳藤』で示したものは、今でもわたしのテーマの一つになっているなあという感じがします。
 なんというか、なのですが、わたし自身が『創作の永遠性』みたいなものに懐疑的なのです。よく、作家は死んでも作品を残す、とか、人は死して名を遺すなどと言いますけど、それってホンマかいな、みたいな価値観です。いや、確かにわたしの書いた本は国立国会図書館で保存されますけど、わたしがよほど重大な作家になっていない限り、その他多数、リストの一部に記され、定量分析、統計の類に資するばかりの、のっぺらぼうとなるはずです。わたしのもたらした影響は本当に薄く広く、それこそ観測できないほど微かに小説界の磁場に影響を与えたはずですが、無視されてしかるべき弱い影響といえましょう。
 作家の多くは死んでも作品は残りませんし、人は死んでも名前は残りません。残るのは、あくまでごく一握りの作家の名前と作品だけです。
 でも、それって幸せなことなんじゃないか、というのは言い過ぎとしても、なんとない安堵があるのはわたしだけでしょうか。自分が死んで百年後まで、腹の内を探られて腑分けされた日には、化けて出たくもなります。

 『おもちゃ絵芳藤』を書きながら、そんなわたしの心のうちに気づいたんですよ。ありていに言えば。
 そうか、わたしは一時代にだけ存在する人としてありたいだけで、死んだ後まで影響を残すつもりなんてさらさらないんだ、人として生きて人として死にたいんだ、と気づいたわけです。
 もしかするとこれは作家として致命的な気づきかもしれません。けれど、知覚してしまった。知覚したからには書かなければならない。
 そんな思いで紡いだのが『おもちゃ絵芳藤』だったのです。

 『廉太郎ノオト』も共通のテーマを変奏しています。
 『廉太郎ノオト』での瀧廉太郎は、むしろピアニストとしての面を強調しています(実際そうだったらしいですが)。ところが、後世になるとその面が忘れ去られ、彼が晩年期の数年間取り組んでいた作曲の仕事のおかげで現代に知られる人物となりました。これはきっと、「人というのは忘却されるものだし、忘却されたあと、思いもよらなかった形で記憶される」という皮肉を思ったのかもしれません。

 と、『おもちゃ絵芳藤』はわたしにとって、一つ大きな見方をわたしにもたらしてくれた小説なのです。マイルストーンの一つとしての意味がある。わたしはそう思っています。

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