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効率化というヤバいクスリ

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 これでも個人事業主なもので、まあまあ「効率」を考えて生きています。
 「効率よく」ものを考えるために長めの睡眠を取ろう、とか、「効率よく」家事をこなすために、散歩と合わせる形で買い出しに行こう、とか、「効率よく」仕事をするために身体を鍛えよう、とか。
 わたしはそれを指して「効率で割る」という言い方をしています。「家事を効率で割る」とか、「暮らしを効率で割る」みたいな感じで。
 ところがこの「効率で割る」行為、妙な快感があるのが問題だと思っています。
 昨日より「効率よく」家事が終わったぞ!
 去年より「効率よく」仕事を終わらせることができたぞ!
 うん、結構なことです。でも、それは本当によいことでしょうか、と思わぬこともありません。効率よく家事を行なったつもりでも、効率重視の代わりにコストが発生していたり、変なところで打ち漏らしがあったりするのは果たして正しい家事の在り方でしょうか。金に糸目をつけなくていいなら、そもそも家事代行サービスを雇えばいいだけでは?
 効率よく仕事を終わらせた? もちろん仕事において効率は大事な要素です。でも、それだけが仕事じゃあるまい? 速さ、正確さ、深さ、ユニークさ、様々な要素によって仕事は評価されるものです。
 なんですけど、「効率よく」なるのって、目に見える成果があるんですよ。時間ができる、という。
 極端な話、努力したつもりになっちゃうんですよ。

 もっとも、求められるクオリティが一定、あるいは定められていて、そのボーダーラインを切らないように効率化を図るという仕事の種類もあります。ですが、少なくともわたしが身を置いている場所はそういう類の仕事ではないはずなので、仕事の核心部分に関して、「効率化」に対しては慎重な態度を取っていくつもりでいます。

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