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【天狼院書店初心者講座2020年10月コース受講者向け】⑨好きという気持ちを育てる

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【注意】
 こちらのエントリは、天狼院書店さんで開催中の「短編小説100枚を二ヶ月で書いてみる」講座参加者の方向けのエッセイです。参加していない皆様にもなにがしかに気づきがあるかもしれませんが、このエッセイは基本的に「初心者の方が小説を書き切る」という目的設定をした講座に向けたものでありますので、中級者、上級者の方がご覧の際にはそうした点をご注意の上ご覧ください。
【注意ここまで】

 はい、受講生の皆様、本日はお疲れ様でした。
 今日を以て講座はすべて終了です。皆様まことにありがとうございました。
 書き終わった方も、そうでない方も。小説執筆を楽しめた方も、楽しめなかった方も、まずはご自分のことを褒めてあげてください。
 今日は皆様に贈る最後の小説TIPSとなっております。

小説執筆の裏側にある心の変化

 小説を書く、という行ないは、「好き」という気持ちによって成り立っているものです。
 どういうことか。
 皆さんが小説を書こうと思ったきっかけはわかりません。しかし、小説を書くには、何らかの感情の変化が必要になります。たとえば、何かに対する怒り、悲しみ。そういった感情を持て余した人間は、往々にして代替行為を発見してその思いを発散しようとします。初めて小説を書く皆さんの中には、後ろ向きの感情が原動力だった、って方もいらっしゃるんじゃないかと思います。なぜそう思うかといえば、わたし自身、最初はそうだからです。
 でも、怒りや悲しみはいつか薄れるものです。やがて人は初期衝動を失っていき、別の思いを抱き始めた人々が、継続して小説を書いていくことになります。
 それは、小説という表現形態への愛着です。
 小説は書けば書くほど上手くなってゆきます。そして、上手くなれば、やがて自尊心が生まれます。普段から文章を書き慣れている人は、ちょっとした場面でも文章力が目立つようになっていきます。勤めている会社の社内報でちょろっとエッセイを書いて「お前、上手いな」と上司に褒められる(わたしの実話)なんてことも出てきますし、提出した企画書の採用率が上がったりするなんてことも。すると、どんどんあなたは「文字で以て表現する」ことが楽しくなってきます。

小説は他人の評価を必要とする技芸である

 ここで注意しなくてはならないのですが、小説という技芸は、ある段階から他人の評価を必要とします。
 皆さんが頭の体操のために、それこそクロスワードパズルを解くような心持ちで小説を書いておられる分には他人の目など必要ありませんが、「誰かに自分の小説を読んで貰いたい」「感想がほしい」「反応が見たい」という思いを抱くようになった瞬間、あなたは他人の評価を必要とするようになります。
 けれど、他人の評価は、あなたの思うとおりにはなりません。
 小説教室に行けば、あなたより遙かに小説を読んできて(実作もこなしている場合も多い)講師がかなりどぎつく講評してくるかも知れません。WEBで公開すれば、的の外れた批判がつくかもしれません。それどころか、ろくすっぽ読んでいないことがバレバレの、叩きたい相手を探してうろつき回っているような人から、罵倒を貰うことだってあります。
 それどころか、誰からも感想がつかず、埋もれることだってあります。
 他人の評価に晒されるということは、そういうことです。
 プロであれば、「まあ、金貰ってるし、ある程度はしょうがないわなー」と諦めがつくところですが(ただし根には持ってる)、これから趣味で小説を書かれる皆さんはどのように他人の評価に立ち向かえば良いのでしょうか。

「好きである」という思い

 そうした意味で、皆さんの手にあるのは「好きである」という思いだけなのです。
 小説を書くことが好きである。
 結局、小説を書きたいと思った人間が、小説を書き続けるためにはこれしかないのだとわたしは思っています。それは、「まあ、金貰ってるし、ある程度はしょうがないわなー」と首を振りながら小説を書いているわたしとてそうです。
 けれど、この思いは、結構見失いがちなものですし、そもそも移ろいやすいものです。
 恐らく、小説を書くのに向いている人というのは、「小説を書くのが好きであるという確信を育ててゆけること」なのかもしれません。
 もし、わたしの講座を受け、その上で「小説って楽しいなあ」と思われた方は、是非とも、その思いを確信に変えていってください。きっとそれは、あなたにとって何よりも大事な武器になるはずです。
 

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