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クレしん映画の「しつけ暴力描写」と「いわゆるオカマ描写」をカウント、分析してみた⑥分析「しつけ暴力描写」の変化

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 さて、今回はクレしん映画の「しつけ暴力描写」について言及してゆきましょう。
 まずは、しつけ暴力描写に限ったカウント数を下に示しておきます。

第1作目:家族の物語 暴力描写:9回 
    特記事項:言葉の暴力を絡めたみさえの暴力描写あり
第2作目:家族の物語 暴力描写:7回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第3作目:家族の物語 暴力描写:7回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第4作目:複合型 暴力描写:2回
第5作目:家族の物語 暴力描写:2回
    特記事項:ひまわり初登場 みさえ→ひろしへの暴力2回
第6作目:かすかべ防衛隊の物語 暴力描写:0回
第7作目:家族の物語 暴力描写:0回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力3回
第8作目:かすかべ防衛隊の物語 暴力描写:0回
第9作目:複合型 暴力描写:1回
第10作目:家族の物語 
    暴力描写:1回(ひろしとしんのすけを無理やりキス)
第11作:家族の物語 暴力描写:0回
第12作:かすかべ防衛隊の物語 暴力描写:0回
第13作:家族の物語 暴力描写:1回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第14作:複合型物語 暴力描写:1回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第15作:家族の物語 暴力描写:1回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第16作:家族の物語 暴力描写:3回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第17作:複合型物語 暴力描写:3回(内1回はじゃれあい)
第18作:かすかべ防衛隊の物語 暴力描写:2回
第19作:複合型物語 暴力描写:2回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第20作:家族の物語 暴力描写:0回
第21作:かすかべ防衛隊の物語 暴力描写:0回
第22作:家族の物語 暴力描写:1回
第23作:家族の物語 暴力描写:0回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第24作:複合型物語 暴力描写:3回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回
第25作:家族の物語 暴力描写:3回
第26作:かすかべ防衛隊の物語 暴力描写:2回
第27作:家族の物語 暴力描写:0回
    特記事項:みさえ→ひろしへの暴力1回

 この上で、分析をしていこうと思います。

初期の空気感

 こうして眺めると、初期、殊に1作目から3作目のみさえは、しんのすけに暴力をめちゃくちゃ振るってます。第一作目に至っては、一時間半の映画で9回、つまり、十分に一回はしんのすけを小突いている計算になります。しかも、「お前の頭には脳みそ入ってんのか」と揶揄しながらしんのすけの頭を小突くという、現代的にはかなりどぎつい暴力シーンまであります。
 けれど、これは「クレヨンしんちゃん」初期の空気感ゆえのものです。
 ご存じの方も多いと思いますが、「クレヨンしんちゃん」は大人向けの漫画としてスタートしています。その上で、やけにませたことを言ういたずら坊主に大人たちが翻弄されるブラックジョーク的な側面のある漫画でした。今でも語り継がれる、「前が見えねェ」とか、「ふっふっふ、そんなパワーじゃ僕は倒せない……(©鳥山明)」などのネタは、明らかに大人をターゲットにしたどぎついネタです。
 つまるところ、「クレヨンしんちゃん」は、当初はギャグ漫画であり、ギャグアニメだったのです。
 初期、こんなにも暴力描写が多いのは、ドツキ漫才というか、スラップスティック的というか、ブラックジョーク的というか、とにかく、ギャグ漫画の文脈に沿ったものであるというのがわたしの観察です。

ひまわり誕生がターニングポイントではなかった?

 その後、「クレヨンしんちゃん」は少しずつギャグからホームコメディへとその軸足を移してゆきます。その変化を象徴するのが、ひまわりの存在でしょう。
 実を言うと、クレしん映画をすべて観るまで、「ひまわりが誕生したことで、クレヨンしんちゃんはギャグ路線からホームコメディ路線に舵を切ったのではないか」と漠然と考えていました。ところが、映画を見た限りでは、それはちょっと早計のようです。映画でのカウント上では、ひまわり誕生の前、第4作目『ヘンダーランド』あたりから、みさえ→しんのすけへの暴力描写は減っています。
 クレしん映画の限りでは、順序が逆なのです。
 ひまわりが誕生したことで家族のバランスが崩れ、ギャグ路線からホームコメディ路線に変更されたのではなく、クレヨンしんちゃんがホームコメディ路線に切り替わった後、その変化の申し子として誕生したのがひまわりだったのです。

その後、暴力描写は低調だけど

 カウント上、その後も暴力描写は多くて3回程度、場合によればカウントが0ということもあります。
 ただ、これはちょっと注意が必要です。
 今回の調査は、みさえ→しんのすけ間で行なわれたしつけ暴力の回数調査です。つまり、作中でみさえとしんのすけの接触が少ない場合、結果的にみさえが拳骨を振るうシーンは減りますよね。
 クレしん映画は野原一家の奮闘を描く作品も多い反面、かすかべ防衛隊を前面に出した、子供の冒険を描いた作品もかなりあります。また、野原一家とかすかべ防衛隊が合流するストーリーも存在するため、作品によって、みさえとしんのすけの接触の度合いがかなり異なるのです。
 ざっと眺めていて感じるのは、(場合によると0回ということもあるけれど)なんだかんだクレヨンしんちゃんはみさえによる鉄拳制裁が描かれ続けていることです。

クレしん映画に描かれる夫婦間暴力

 クレしん映画を眺めていると、以外にも、夫婦間の暴力が描かれていることが分かります。
 なんと、第二作目から登場。作品によっては複数回描かれることもあります。夫婦間暴力も、断続的でありながらずっと描かれているモチーフです。
 ちなみに、クレしん映画における夫婦間暴力には特徴があります。
 みさえがひろしに暴力を振るうもののみで、逆は存在しないこと。
 そして、たいていの場合、ひろしが「綺麗なお姉さん」に対して鼻の下を伸ばしたことに対するやきもちとして暴力が振るわれること、です。
 前者は生物学的な意味で力の強い側が弱い側を殴ってしまうのは、ただの弱肉強食に映ってしまい視聴者の気分を害しかねないからでしょう。また、後者については、暴力というナーバスな行ないをオブラートに包むための措置であると同時に、みさえのひろしへの愛情の裏返しを描いている、ともいえます。
 そして、ある意味で穿った見方をするなら、みさえ→ひろしへの暴力描写は、初期のギャグ漫画的な雰囲気を守る、最後の砦であるともいえます。
 みさえは初期から一貫して少し怒りっぽい女性として描かれています。初期は「しんのすけへのしつけ暴力」の形で表現できたものの、ホームコメディ路線に舵を切り、家庭内暴力(特に子供への暴力)にナーバスになった現代において、ぽんぽんしんのすけの頭を殴るわけに行かなくなったという事情で、ひろしが藁人形となっている感があります。
 今回はカウントしてませんが、ウサギぬいぐるみをサンドバッグにするというネネちゃんの持ちネタは、ある意味でみさえ→ひろしへの暴力に似た機能を有しているといえるかもしれません。

クレしん映画を「しつけ暴力」の観点から眺めると

 ある意味で、どんどん様式化が進んだといえます。
 どういうことか。
 初期のしつけ暴力には様々なバリエーションがあり(しんのすけの舌をみさえが箸でつまむとか)、ひろしが「新技」と呟くシーンすらあります。ところが、クレしん映画は回数を重ねるごとに、「げんこつ」と「ぐりぐり」、特に「ぐりぐり」がまるでウルトラマンのスペシウム光線のような「必殺技」となって定着します。
 つまるところ、どんどん「お約束」「定番」になっていったわけです。
 「クレヨンしんちゃん」はかつてはギャグ漫画でした。そのため、ジャガイモ小僧、しんのすけの悪辣で小憎らしい言動と、それを叱る大人の攻防が見せ所で、それゆえにしつけ暴力のバリエーションが求められたのでしょうが、ホームコメディとなったことで、しつけ暴力描写は「クレしんっぽさ」を演出する要素になっていったのではないでしょうか。 

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