エデュシエーター1-3_2_

絶神のエデュシエーター 絶対なる風 4

 闘神——エデュシエーター。

 勝利によって栄光をもたらすという絶対の戦士。
 他者を圧倒する力を持ち、誰よりも神術に長けるとされた存在。

 その一柱が——

『ひれ伏せ——愚かなる者共よ!』

 数十分前まで活気と人混みに包まれていたフラヌ街は、支配と恐怖による阿鼻叫喚に包まれた。
 力神アルマ。
 絶対なる戦士の一柱の降臨。

「アルマ……力の神か…!」

 十二の神術のうち、力術を治めるという闘神。
 闘神が人型であるとはにわかにも定められていなかったが、まさか巨大なる竜となって姿を現すなど、この場に居る者にとっては予想もしていなかったことだろう。
 誰が言ったか、闘神には災害としての一面がある。
 その具現と言っても吝かではない、人類への驚異となるものの具現だった。

「皆、逃げて!ルナも!」
「ゲイルは!?」
「俺は——やるだけやってみる」

 その言葉は、普段の自信に満ち溢れたゲイルの言葉とは違う、かろうじて絞り出したものだった。
 敵わないかもしれない——否、敵うということを信じるしか無いという藁にもすがる思い。
 その願望を、自らの行動に見出したということだけだった。

 端から逃げれるとは思っていない。
 だが、勝てるとも思えない。
 ただ周囲の人々を逃がせるなら、もろともに逃げるより立ち向かったほうが良い。
 少しでも時間を稼げるなら、試行した価値がある。

——敵わぬと悟ったならば、まずはすべてを置いて逃げ去れ。

 そのようなことを述べたのは己の師であったか。
 残念ながら、その行動に値するだけの非情さを、生来よりゲイルは持ち合わせていなかった。
 その上で、後悔なきようにあの老人はゲイルにそう述べたのかもしれなかった。

「ゲイル…」
「行くんだ…行け!」

 ルナに強めに行って聞かす。
 この場に残すことは自殺行為も良いところだ。
 ためらいながらも、やがて振り向かずにその場から離れたルナを見やると、ドラゴンは大きな口を開けて言い放った。

『遺言は済んだか?』
「ああ…ただし」

 額には冷や汗。
 武者震いなどせず、全身には戦慄による震えが目立つ。
 だがやらねばならない、どれほど保つ?
 転術で大剣を取り出しながら、そう一人思い。

「お前のなぁ!!」

 疾風が、はぜた。
 怒涛と共に追随し、駆け抜ける様は文字通りはやてのごとし。
 常人ならば、その勢いに呑まれる反射能力。
 そこから全身全霊を以て踏み込まれ、一撃が放たれる。
 だが。

『くだらん』
「!」

 竜の鱗には、その勢いを以てした攻撃すらも通じない。
 袈裟斬りが弾かれ、その勢いを利用し後方へと転じるゲイル。
 見上げるほどに強烈にすぎる存在の、その瞳を見つめる。
 そこには、敵対するには矮小すぎる人族を見つめる、傲慢さに満ちた視線があった。

『その程度か!』
「くおっ…!」

 侮蔑の言葉が咆哮となって吹き荒れる。
 それは遊戯にもならぬ存在価値の蟻に向けて放たれた咆哮。
 明確なる失望の宣告だった。
 そして、その咆哮を受ける中で、ゲイルは気づいた。

 力術が、使えない。

 不調による不発か…否、そんなことはありえない。
 不発ということは、そも戦う心構えすら出来ていないということだ。
 呼吸によって力術を操る才を持つゲイルにとって、その状況は死にも等しく、故にありえないと断ずる他無かった。

 ならば、どういう理由で力術が使えないのか?
 思えば、ドラゴンの鱗へ攻撃するときにも、根こそぎ手応えというものが取り除かれた。

 敵は“力神”。
 力術を司る神——まさか!

「こいつ…俺の力術を…っ」
『ほう、力術使いだったか。道理で弱すぎると思えば、もう片無しであったと』

 この力神…アルマドラゴンは、対峙する存在の力術を封殺している。
 これは己のみが対応する神術を操れるという絶対の証明にほかならない。
 となれば、これが闘神の絶対なる能力ということか。

 勝てない。
 自らの基本にして最大の手札を剥ぎ取られた以上、一矢報いる機会も失われた。
 このドラゴンに敵う手段というものが、見つからない。
 このまま諦めるしか…無いのか…?

 「いや…まだだっ!」

 そう、まだ鱗に攻撃が通じないとわかったのみ。
 力術なしでも戦える鍛錬というものは一通りこなしている。
 今が術を封じられた状況なら、それ用の呼吸へと切り替え、瞬発する。
 まだ、攻撃が効く可能性のある箇所は残っている。

 あの双眸だ。

 こちらを失望し、一切の本格的な攻撃を向けず、傲慢に包まれている奴の瞳。
 そこにあまりにもつけ入る隙がある。

「おおおおおおっ!」
『ふんっ!』

 爪、前足により大地を踏みにじる動作。
 一瞬の静止運動から側方へと力を逃し、これを躱して駆け抜け、その前足に飛び乗る。
 そして岩のごとくに硬くざらざらとしたアルマドラゴンの鱗上を、ゲイルは駆け上がった。

『痒いわ!』

 咆哮。
 しかしその衝撃はもう見た。
 最も強烈な先端を大剣を向けて切り裂き、あとは空気の隙間を変わらず駆け抜ける。
 空気抵抗の合間に体を任せることで風に乗り、さらなる勢いをもってアルマドラゴンの上を、その肩口まで駆け上がる。

「ふっ!」
『!』

 正面に、竜の、その巨大な首から上を見捉えた。
 大きすぎる瞳はゲイルを見据えてこそ居るが、その動きに体が僅かに追いついていないらしい。

 …?
 自らの身体に、慣れていない…?

 ともあれ好機である。
 これならば幾らでも隙につけ入ることができよう。
 ゲイルは飛び上がった。
 現在進行系で見せているその隙へ向かって。
 竜のその眼孔へと。

「らぁあああああっ!!」

 がきんっ。

『?』
「……!? なっ」

 弾かれた。
 相手が瞼を閉じるより早く撃ち抜いたはずのその攻撃は、しかしそもそものこと、瞳を撃ち抜くだけの攻撃力を備えては居なかった。
 竜の眼孔は、硬すぎたのだ。

 隙と傲慢というものは、その絶対的な自らの能力、それに対する驕りによって生まれるものだ。
 例えそうでない隙があったとしても、どちらにせよ竜の性能を突き崩すには、ゲイルの一撃では足りなかった。
 そう言い切るしか無い。

『その程度か』

 竜のあぎとから風が溢れ出した。
 咆哮を受けきれず、高高度から大地へと不時着する。
 受け身をなんとか取るが、万全のものではなく、体にはダメージが響き、いくつかの骨が折れる感触が響いた。

「ぐ、あっ…!」

 肋骨のいくらかと、左腕の骨がやられた。
 もう全身全霊の攻撃を放つことは出来ない。
 痛みは脳内麻薬によって動ける程度に麻痺しているが、肉体を突き抜ける違和感に抗うことこそ至難の業だ。
 鍛えており、自らの肉体の負傷箇所が理解できる腕前が有るからこその当たり前の違和感。
 その違和感に抗いつつ、なんとかゲイルはその場から立ち上がる。

「く、そぉ…!」
『愚かだ。やはり愚かにも程が有った。』

 見上げた先には、あまりにも大きすぎる竜が居た。
 先程は大きさを意識していなかったが、絶望に満ちた現状では、その実感が大きくのしかかってきた。
 16メートルのゴーレムを大きく越え、更にその二倍以上の体躯を誇る肉体。

 何故、敵うと思っていたのか。
 何故、攻撃が通じると思っていたのか。

 恐怖という深い闇がのしかかり、支配する。
 迫りくる死の感触という恐怖。
 ここで滅びるのだという生命としての恐怖。
 食物連鎖によって滅びるのだという当たり前の、自然の摂理。

 その恐怖にも負けず、絶望を払いのけようとし。

「まだ…」
『もう飽きた。死ね』

 尾によるなぎ払いが炸裂した。
 大剣でこれを受けるも、剣ごと叩き切られ、その傲慢なる威力の証明へと使われる。

「あ」

 無残にも。
 ゲイルの肉体、その上半身と下半身が分断された。

 ぐしゃっ。
 そうして、冒険者ゲイルは、その短い命を終えるのであった。
 それを。

「あ、ああ…」

 物陰から、逃げては居なかったルナが見つめていた。
 ゲイルの勝てる可能性を信じていた、ルナが。

「ゲイルぅううううう!」

 肉体が分割されたゲイルの元へ、ルナが駆け寄る。
 アルマドラゴンは、既にこの場にいるあらゆるものへの興味をなくしていた。
 故に、ルナがゲイルだったものの元へとたどり着いたときには、既にドラゴンはその場から飛び去っていた。

「ゲイル!しっかりして、ゲイル!」

 返事はない。
 もはやゲイルはただの屍だ。
 血まみれになりながらも、ルナはゲイルが起きてくれることを信じ続けた。
 信じ続けて上半身を揺さぶり、臓物の溢れた様など気にせずに、何度も何度も呼びかけて。

「うわぁあああああああああ!」

 そうして、その命がもう元には戻らないことを知った。

 ◆

 この光景は、なんだろうか。
 山が他人事のようにひしゃげ、砕け散り、塵となって空に解けていく。
 連鎖する破壊の渦はしかし、ゲイルがよく知る人物によって停められた。

『爺ちゃん…?』
「ここまでとはな」

 大賢者ユグドル。
 幾多もの円陣を待機させ、全身全霊で戦闘を行うその様子は、とてもゲイルが知る普段のユグドルではなかった。

『これは、一体』

 その光景を、ゲイルは目にしている。
 誰かの視点から、追体験していると言ったところか。
 おぼろげな幻、一夜の夢のごとく。
 しかし、誰の視点なのかがわからない。

 ユグドルは憐憫の眼差しを、視点の主に向けていた。

「だが、そこまでだ」

 その言葉とともに、機械片と植物の蔦が山だった場所から這い出し、視点の主を覆った。
 まるで赤子をあやすように作られし方舟、慈愛の一手。
 ゆりかごは視点の主を覆い尽くし、やがて新たな山となってそのものを包み込んだ。

「運命の螺旋に魅入られし少女よ、そこで眠るが良い。次の戦いまで」

 少女…?
 運命の螺旋…?

 何もかもわからぬまま、すべてが暗闇に閉ざされる。
 ああ、そういえば、自分の体はどうなったのだろうか。
 真っ二つに裂かれてそのまま死んだのなら、ここは死後の世界で、誰かに乗り移りでもしたのだろうか。
 そんなとりとめのないことを考えながら、暗闇の中でうずくまっていると、やがて光が降り注ぐように降りてきた。

「………ル…」

 どれほどの時間が経ったのか。
 どれほど、ここまで暗闇に身を浸していたのか。

「…ゲ…ル…」

 この視点の主は、この虚無にも等しい時間を、どうしてここまで無機質に過ごせたのか。
 それがたまらなく寂しくて、悲しくて。
 ああ——

 もし、その視点の主に出会えたなら。
 俺は、この世界の広さを、美しさを教えたかった——

「ゲイルっ!!」
「!!」

 いつの間にか、目の前にルナが居る。
 ドラゴンは近くに居らず、二つに裂けたはずの己の体も…

「きがついた?」
「…ルナ?俺、なんで、生きて…」

 それは、ありえない結果だった。
 服こそ裂けているが、肉体には損傷が何一つ残っていない。
 ルナはただただ埃にまみれてこちらを伺っており、おそらく真っ二つになっただろうゲイルの血が付いていることもない。
 まるで、自らの死亡そのものが、なかったことになったようであった。

「ゲイル、ないてる」
「…!ほんとだ」

 なぜだか、涙が溢れ出してきた。
 先程見た夢の影響だろうか。
 もう殆ど何を見たかは覚えていない、忘れ去ってしまった。
 だけど、どのような思いを描いたかだけは、覚えている。

「ルナも、泣いてる」
「…あ」

——そうだ。俺は彼女を悲しませた。

 悲しみに包まれたルナの『何か』を見たのだ。
 だから、そこにゲイルとルナの何らかのつながりを得たのかもしれない。
 ゲイルは泣きじゃくるルナの瞼を人差し指で拭き取り、尋ねた。

「…もしかして、これって…ルナの力?」
「わからない。気がついたら、ゲイルが、ひとつに…もどってて」

 一つに、戻った。
 やはり二つに裂けて死んだと見える。
 これはきっと、何らかの奇跡の結果なのだ。

「でも、たぶんもうおなじことは…できない。いのちは…にどと、もどらないから。きっとそれは…くつがえらないことだから」

 それがルナが、この数日で気づいた、一つの真実。
 あの時、失われた命を見た時、ルナは謝った。
 それがどういう意味で発せられた謝罪だったかゲイルにはわからなかったが、今ならば分かる。

 彼女は、命を失わせてしまったかつての自分の愚かさを、嘆いたのだ。
 世界を葬るような力。
 その力を扱うものには、理由と意思が必要だ。
 それがどんな些細なものだったとしても、もう振り返った過去を戻すことは出来ない。
 そう在ったと、納得するしか無い。

 では、それすらも出来なかった者は、かつての愚行をどう思うだろうか。

 ゲイルは、その思いに掛ける言葉を見つけることは出来なかった。
 ただ、ルナを呼び留めて、告げる。

「ああ、きっと覆らない。だけど…だけど、俺は今ここにいる」
「ゲイル?」
「君に助けられたんだ。この命がどれくらい保つかはわからないけど…この命は、君のために使う」

 その誰かを悼み、己を嘆く気持ちは、無駄ではない。
 ただ、君が一人で、その後に前に向くことが出来ないのならば。

「俺が——君とともに歩むよ。世界の美しさを、命の美しさを、共に見るために。君が君として生きていたいと思うまで、ずっとここにいる。そう決めたんだ」

 ルナを抱きしめる。
 その行為に意味はない。
 ただ、そうしたいと思ったからそうした。

 きっと、それだけでいい。

 焼けただれた町並みには、いつの間にか大粒の飴が降り注ぎ、騒ぎの終焉を告げていた。

お金があると明日を生きる力になり、執筆の力に変わります。 応援されたぶんは、続きを出すことで感謝の気持ちに替えられればなと思っています。 自分は不器用なやつですが、その分余裕の有る方は助けてくだされば幸いです。