絶神のエデュシエーター 絶対なる風 1
「うわっ、と!?」
叫び声が上がった。
声を上げたのは、黒いインナーと、左にもたれた厚い布地服を羽織った黄緑髪の少年。
軽快な足取りで遺跡を歩いていた少年は、道中の蔦の罠にかかりかけたのだった。
その身をもたげかけられたのをなんとか脱すると、その次にはまたも罠。
木槍が左右から次々と生い茂る通路を必死に抜けると、ようやく少年は一息をついた
。
「ぜぇぜぇ…畜生…あの爺…」
機神迷宮(テウアーズ・ミステリー)。
機神テウアーという存在がもたらしたという文明によって形作られた機構遺跡。
その仕組は遺跡ごとに違い、侵入者を阻むため、踏破できるものは限られる。
「なーにが自分の作った、だよ。殺す気じゃん」
大迷宮プルート。
世界樹の大賢者ユグドルが作ったという機神迷宮の一つ。
テウアーならざる一個人が遺跡を作れるというだけでも尋常ではない。
更には大迷宮の名を冠する構造と体積を誇る偉容。
どれをとっても、おおよそ普通とは言い難く、壮大な迷宮であった。
最も、少年はその世界樹育ちであり、大賢者ユグドルは育ての親なのだが。
『迷宮の踏破。ただし大迷宮以外は認めない』
少年が冒険者として独り立ちするにあたり、ユグドルの出した条件がそれであった。
大迷宮の踏破と急に言われても、本来ならば精鋭揃って尚阻まれるものである。
だが、無論少年にも勝算はあった。
大賢者ユグドルの庭である世界樹も、世界屈指の大迷宮として有名である。
そしてそこを遊び場として育ったこの少年——ゲイルも、迷宮踏破者に違いなかった。
当然、仕掛けもわからぬ初見の遺跡であれば新たな大迷宮の踏破は無茶である。
しかし、この大迷宮プルートは、あのユグドルが作った迷宮と本人が言っていた。
ならばある程度、罠の存在と仕掛けも読めようというもの。
しかし——
「途中途中ゴーレムばっかで大人気なさすぎぃ…って」
ゴーレムとは、テウアーズ・ミステリーに存在する自立起動使い魔——機人(ノイディアス)。
通常のものでも全長3メートルを越し、大きければ何十メートルにも達する存在だ。
大抵は通路を抜けた大部屋に決まって配置されている階層番なのだが…
つまり、ここはその大部屋であり。
つまり、決まってそのゴーレムが立ちはだかっているのだった。
「GOOOOOOOOOOO…!」
「居ないってことは無いよねぇ!」
ごしゃり。
即座にゴーレムから振り下ろされた拳骨を紙一重でかわし、距離を取る。
今回のゴーレムの全長は16メートル超。
ゲイル十人分の高さを誇るかなりの大物だ。
「通り抜けることは…出来ないか」
新たな通路に駆け込むことは死を意味する。
即座に発動するトラップを考慮に入れながら、同時にゴーレムの必殺の攻撃を躱す。
これが重なるタイミングは通路進入時の一瞬とはいえ、致命は致命。
それを許してくれるほどの甘さは、大迷宮にはない。
「なら——『転ぜよ!』」
神術。
神力と呼ばれる、生命に眠るエネルギーを引き出し、調律して結論を引き出す術法。
この世界ならば種別こそ限られど、誰もが振るうことの出来る力だ。
そうして亜空より手元に引き寄せたのは己が道具、己が武器。
ゲイルの身の丈に勝るとも劣らぬ、鋼鉄の大剣だった。
「倒すだけだ!」
先程力任せに拳骨を叩きつけたゴーレムは、とうに動きを変えていた。
対象の神術の使用と敵意を認め、羽虫から外敵へと認識を変えたのだ。
振るうは熊手による横薙ぎの一撃。
最初の力任せの一撃とは違い、腰の入った素早い攻撃だ。
当然、一般における素早いと、巨体における素早いとは次元が違う。
全長が膨らむごとに、身体はそれにふさわしい能力を身につけるもの。
16メートルものゴーレムの機能美から紡ぎ出す動きは強烈にして一瞬。
その剛撃、果たして、防げるものが居るであろうか。
「せぇえいっ!」
だが彼は防ぎきった。
否、ゴーレムのその横薙ぎを、大剣でもって受け流したのだ。
インパクトの瞬間に瞬時に構えを影上段に移行し、剣を斜めに受ける。
腰の『入り』を以て衝撃を地面へと流し、その一瞬後に拳を打ち払った。
それによって大地にヒビが入っても、少年には傷一つ見受けられない。
「いぃやっ!」
腰は落とされており、続けざまに最長の踏み込みが大地に刻まれた。
縮地とも目される身体移動術。
一説には達人の用いたとされるその動きは、瞬く間にゴーレムと少年の距離を零にした。
続くは斜め下からの薙ぎの一閃。
その一撃はゴーレムの左脛に深くまで切り込み、あまつさえ左足がねじり切れた。
「GOOOOOOOO!?」
ゴーレムの強みはあくまでその身が万全であってこそ。
強すぎる力に、大きすぎる肉体。
自立起動によるバランス感覚の限界。
深くまで足に切れ込みを入れてしまえば、あとは自重と遠心力でちぎれるしか無いのだ。
その巨体が倒れる衝撃にも少年はものともせず、次の攻撃の準備にかかる。
「おおおおりゃっ!」
横向きに寝転がったゴーレムの背後に周り、腰の脊椎部に切込みを入れる。
続けて肩口。
うなじ。
抵抗の可能性を最後まで削ぎ落としながら、やがて攻撃の手順は、強大なるゴーレムの解体作業へと移行していた。
「ふんっ!」
そうして解体を続けるうち、やがてゴーレムが活動を止めたことを確認する。
少年は一息をついた。
「ふー…」
「一発でも食らうと思うと息が詰まるなぁ」
何気なく簡単に自身の何百倍も重いゴーレムを斃したように見えたが、その戦いは一つ一つが死と隣合わせである。
ゲイルの扱える神術は力術、転術、撃術。
力術は運動力や物体強度の強化。
転術は大まかに空間操作。
撃術は一種の『予測』の類である。
このうち戦闘に最も頻繁に使えるものは力術。
ゲイルは呼吸ごとに力術を操作できる天賦の才が有った。
しかし、それを以てしてもゴーレムの一撃の直撃は致命。
力術なしでは、如何な体術の持ち主とて受け流すことすらかなわないと言えた。
「さーて、一旦休け…」
大剣を亜空に格納し、ゲイルは腰を下ろそうとする。
その直後、先程までゴーレムと戦っていた大部屋が震えた。
「な、なんだ!?」
あたりを見回す。
やがて気づいたのは、天井の揺れであった。
揺れの原因は、降下。
「——!?」
天井の降下である。
「や、やばっ!早く行かないと潰れる!」
ゴーレムとの戦いで消耗した侵入者を、もろともに押しつぶすギミック。
小丁寧に天井には棘も付いており、この目的は明白だ。
風穴だらけになるまいと全霊を振り絞ったゲイルは通路へと侵入し。
「ああああああああっ!」
「ワイヤーはやめてって!」
「ま、まきびしぃ!?側面走らないと…ってこっちに落とし穴!?」
案の定、通路の罠の洗礼を受けた。
「落ちるぅうううううううう!」
哀れにも。
落とし穴へと華麗に誘導された少年は、迷宮の深部へと突き落とされたのだった。
◆
ひどい目に有った。
ゲイルはやはり、そう感じた。
「いつつ…」
その感傷の原因は大迷宮の厳しさに寄るものか。
それとも育ての親であった大賢者ユグドルに慣れ親しまれた悪辣さに寄るものなのか、ゲイルは断ずることは出来なかったが、ユグドルのせいだと決め付けることにした。
子は親に似るというが、この大迷宮もあの爺ちゃんに似たのだ。
ただ俺はきっと似ていないに違いない。
少年は己をひたすらに甘やかし、駆け抜け落ちた迷宮の深部から這い出たのだった。
「さて…」
ここはどこだろうか。
迷宮もずいぶんと奥まで踏破した。
こうして落とし穴からも道が続いている。
普通ならば落とし穴というのは侵入者を撃退するためのものだ。
道が続いていたりはしない。
それがここまで長く道が整っているというのことは、きっと何かしらの隠し通路であるのだろう、とゲイルは決めつけた。
ならば後はこの道を最後まで行くのみ。
「何が待ってるかな」
最も、迷宮の奥地に必ず財宝が有るだとか、隠された何かがあるなんてのは断定するものではない、半ば幻想の代物だ。
少なくとも明るい理由で作られるものなんて偉大なる王の陵墓くらいのもので、大抵は後ろめたいものを隠すために、相応の代償が必要になったと言うだけ。
単純に金銀財宝を隠すなんてことよりも、そのために迷宮を作るなんていうのが費用対効果からして馬鹿げているのだ。
利益と労力が結びついていない。
なので、あまり期待はしないほうがいい…
というのは、やはりユグドルの談だ。
「ぜってー何か隠してるだろ爺ちゃん」
間違いない。
あの老人は自分に甘い厳しさをもち、言葉を言い繕う。
その言葉は的を得ているが、同時に皮肉と風刺に満ちた痛烈なものだ。
彼は自分を甘やかすために自分ごとすねた言葉を口にする。
それは長年あの老人を近くで見たゲイルが一番良く知っていることだった。
そうして自らの師の回想を繰り返しながら進むこと数時間。
通路の最奥と思われる場所に、巨大な扉が存在した。
立派な意匠によって形どられた如何にも、という扉である。
「さーて、これっぽいけど」
油断してはいけない。
扉を開けた瞬間、番人の不意打ちが待っている、なんてことも有りうる。
これまでの階層で戦ってきた数々の階層番の存在と意地悪さから、それも明らかだ。
更にはユグドルの悪知恵によって作り出された数々の通路は、世界樹の民でなければ容易く道を見失うに等しい踏破難易度を誇っていた。
現に、世界樹の民であるゲイルですら何度も追い込まれているのだから。
「よいしょ、っと」
ぎいいいい。
とびらをゆっくり、確実に両手で押して開けていく。
いつでも脱力し、その場から離脱できる準備を整えながら、扉を開けきる。
中を見やったゲイルは、今の時刻が夜であることを悟った。
「……」
天窓のように、天井が裂けた部屋。
玄室よりかはそれなりに大きいかといわんばかりの行き止まり。
その中で——
「…へ?」
「…あ」
裸の少女が、奥の蔦の葉の塊の上に、座っていた。
「わあああああ!?」
ゲイルは驚いた。
眼の前に砂浜のようになびく麗しい白き長髪。
純白の柔肌に、翠のまばゆい瞳。
羞恥のない双眸と身振りで、少女は少年に尋ねた。
「あなた、だれ?」
「げ…ゲイル!ゲイルだ!それより…」
「それより?」
「服を着よう!」
油断のなかったことが功を奏した。
一点の淀みもなく自己紹介から提案へと移行できた。
謎の誇らしさを手に入れたゲイルは、転術で外套を慌ただしく取り出すのだった。
「めいきゅうとうはしゃ?」
「うん。最奥の何か『証』を持ってきて、全部潜った証拠にするんだ」
迷宮踏破者。
冒険者という職業の中で最もリスキーなジャンルであり、最も功績の難しい存在。
『証』というのは一握りの金銀財宝であったり、最奥の最終番人の首であったり。
はたまた製作者の遺文であったりと、枚挙にいとまがない。
しかしそれは捏造が可能でも有り、故に潜りが多数存在する業種でも有る。
大迷宮の難易度の薄い箇所…浅層を潜り続け、大迷宮踏破者だと嘯くやからも存在するほどで、世間受けがあまりよろしくはない。
故に、大抵の迷宮踏破者というのは副業で、おまけだ。
大迷宮そのものを住処とするゲイル達『世界樹の民』や、迷宮踏破を本業に活動するものはそう多くはない、と言えた。
「あかし…面白いね」
「面白いんだ…」
これまでの短いやり取りで、少女が何らかの理由でこの迷宮に閉じ込められ、世間に疎いことはなんとなく察していたが、天然という方が近そうだ。
「でもそれ、たぶんわたしだよ」
「へ?」
「だってここ、わたしをとじこめるためにつくられたんだもの」
「そうなの?どうして?」
「わたし、がおーっ、てあばれちゃってたから」
「??」
どうやら、昔に一暴れしたから封印された、ということらしい。
少女が覚えているのはそれだけで、他は何も知らないと、そう告げられた。
この遺跡の構造も、きれいな夜空も、そこに浮いた黄色い丸いものも。
——そして、自らの名前すらも。
「なら——そうだな」
そういうことなら、親に倣うのが子の仕事だ。
彼女が封じ込められてた落とし子なら、あの爺ちゃんのように、世話をするのも一興だろう。。
それに口にはしないし、意識にもない。
けれど——
「君を連れ出すよ——『ルナ』」
「ルナ?」
「君の名前だ」
どうやら、恥ずかしいけれど、好みの女の子であるらしい。
やましい気分にはならないけど、ほんの少し男の子なら得な状況で。
正面から本音で、その言葉を口にした。
「あの夜空の、丸いものの名前。綺麗だから、君につけようと思って」
「きれい……」
少女は、少しだけ頬を赤らめて、その後に笑みを浮かべた。
まるで、それを望んでいたかのように。
その出会いを、自らの名前を、望んでいたかのように。
「ありがとう。だいじにする」
満面の笑みで、『ルナ』は自らの名前を、受け入れた。
「そうなれば…よっと!」
「きゃっ!?」
そうと決まれば行動は早い。
もっと綺麗なところで月を見るために。
この狭い部屋から脱出するために、彼女を抱えて部屋から連れ出した。
裂けた天然の天窓へと飛んで、迷宮の外へと。
「ほら——いい眺めでしょ?」
「あ——」
遺跡の外、岩肌の上で。
満面の星空。
欠けた視界のないよどみなき空に、満月の光がほのかに照らす。
はじめての彼女にとっての『外』でゆっくり見つめた、最初の光景。
「きれい」
「でしょ?俺もさ」
振り返る。
「最初はこうやって、育ててもらった人に、空を見せてもらったんだ」
「…そうなんだ」
淡い淡い、でも絶対に薄れない、最初の少年の記憶。
そこに理由なんていらないから。
ただこの光景が美しいと。
見つめて意味が得られたのだと感じれたならなら。
きっと誰だって、ずっと生きていける。
大賢者が、そして少年が大事にした、一つの原風景。
「…きれいだね」
「でしょ?」
にひひ、と。
悪ガキのように…現に悪ガキである少年ゲイルは、微笑ましすぎる企みが成功し。
満面の笑みを浮かべて、少女ルナを大迷宮から連れ出した。
【続く】
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