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血の轍最終巻感想

久しぶりに漫画本を本屋で買いました。6月にブランチラインを買ったのが最後だったので、漫画は3ヶ月から4ヶ月に1冊買うかどうかになりました。
私が中学生から高校生までは、やや大判の漫画が580円くらいだったのですが、今は770円になりました。買うまでのハードルが上がっているジャンルの一つだな、と感じました。
血の轍は、親子の母子癒着についての本を読んでいた際に、Youtubeを見ていて精神科医が出ているチャンネルで取り上げられているのをきっかけに、まんまと興味を惹かれて読み始めました。
最終巻で、やっとお互いの腹の底を開けて、素直に母親と主人公の思ってきたことを会話のシーンが、すっきりとした、裏のない人間関係の大掃除を終えた感じに思えました。綺麗言葉で終わらせないのが、生々しくて、説得力がありました。
会話に裏があること、他人の家庭や、個人の内側に土足で踏み込む傾向にある田舎の人間関係や、世間体と言われる田舎の狭くて小さな世界の中での調和を保たなければ拒絶される圧倒的な力が、現実的でした。
子供の母親の顔色を伺って、押し殺して、自分でも自覚しないうちに抑えて、それが自然体になって、他者に期待しないこと、心のうちを開ける人がかなり限定的で、打ち明けたとしても理解してくれる人は少なくて、という現実的な都合いいことが起きないところが、物語でありながら、救われたような気持ちになりました。
都合いいことばかりファンタジーで見ることが多くて、現実の辛いことから逃げる場としてはアニメや、漫画に居場所を見いだせなくなった人にとっての、避難所のような漫画でした。
大きな問題に対して、受け止めたり、許し、許されたり、忘れて行くこと、受け流すことに不可欠なのが、時間です。
数日や数年だけでは足りないこと出来事も、長い、自分の一生分の何十年という時間が経過していく中で、無慈悲に強制的に経過していく時間の中で、やっと消化されていくこと、昇華されていくものがあります。
たとえ、強く忘れないだろうと思っていても、忘れないで覚えていようとしても、記憶は自分の制御でどうにかできるものではありません。
自分自身ではどうしようもない部分が人にはあります。
それが腑に落ちて、自然と受け入れられるまで苦しむのです。
手放すことができたら楽だとわかっていることも、そうそう簡単に手放すことができないこともあります。意思だけではどうしようもなくって、付き合っていかないといけないこともあります。
主人公も、母親も、方法は異なるけれど、それぞれの個が最後解放されて、よかったと感じました。
また、この主人公のような生き方をする人がこれから増えていくようにも感じました。
私自身、家にいるか、図書館に行くか、かなり1人で過ごす時間が長くて、今後1人でどのように内側から充実して過ごせるかを考えていかないといけないな、と思いました。

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