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ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2022「プラネットフォークス」南相馬公演を観て

人生の分断期とも言える世界的パンデミック、コロナ禍が始まって早3年が経とうとしている。それまで自由に気ままにライブハウスに通っていた私にとってそれは青天の霹靂と言わざるをえない出来事で、医療従事者にカテゴライズされる自分には自由がなくなった。

振り返ってみると最後にライブ会場に足を運んだのが2019年2月のナンバーガール仙台公演。奇跡的に当選したそのライブは、パンデミックが世界中に暗い影を落とし始めた頃。ライブ会場もマスク姿の人が多く見られ、私も始終マスクを外さなかった。それからの世界と日本の動きは誰しもがご存知の通り、誰も彼も自由に外出が出来なくなった。私の仕事はリモートで出来るものではないのでフル出勤であったが、世の中はステイホーム一色となり私が住む田舎の街中も心なしかひっそりとしていた。

そんな2年半を通り抜け、私はすっかり生の音楽から遠ざかっていた。だからアジカンのツアーが発表された時、福島の文字に歓喜した。遠征しなくてもアジカンに会える。

だけれど、自然は残酷だった。3月の地震影響で予定されていた福島市の会場が使えなくなった。公演は未定に。心の折れる音がはっきりと聞こえた。

それでもアジカンは福島を見捨てなかった。南相馬での振替公演が決定。安堵した。これでアジカンに会える。嬉しくてたまらなかった。

そういうわけで私にとって特別な意味を持つライブになった今回のツアー。17時開場、18時公演。序盤から飛ばしっぱなし。

オープニングはDe Arriba。このアルバムのアンセム的な曲だと思う。メンバー登場で流れるバックミュージックからギターのイントロ。ゴッチの伸びやかな歌声。ライブで演奏するイメージが湧かなかったが、見事に昇華されていた。

そして流れるように2曲目のセンスレスへ。ここで私の脳汁が爆発。なぜか同時に涙腺も崩壊。これまでの様々な想いが蘇ってきて、ライブの興奮と感動が相まって自分でもよく分からない複雑な感情。

世界中を悲しみが覆って 君に手招きしたって
僕はずっと想いをそっと此処で歌うから 
君は消さないでいてよ
闇に灯を 闇に灯を 心の奥の闇に灯を
闇に灯を 心の奥の闇に灯を

ゴッチが歌うことで、この暗い世の中に一筋の光を灯してくれる。大げさかもしれないけれど、そんな気がする。

センスレスからの流れは圧巻。Re:Re:の安定感と電波塔の意外感。個人的にダイアローグの心地よさは聴いていて空中に体が浮いているような、水の上に浮いているような感覚。浮遊感。これはライブ曲だと思った。

意外性と言えば今回のセトリにマジックディスクから多くの曲が入っていたこと。

『ラストダンスは悲しみを乗せて』『ソラニン』『新世紀のラブソング』

私はこの世の全てのアルバムの中で「マジックディスク」がいちばん好きだ。そして全ての楽曲の中で『新世紀のラブソング』が好き。このアルバムを上回る作品は私の中で今後も現れないのではないかと思う。それだけ思い入れのあるアルバムだ。

この南相馬という地で、この世界の片隅で、遠い誰かのことを思う。名も知らぬ人を思う。この言葉はなるべく避けたいのだけれど、きっとこれは「エモい」ということなのだろう。

本当のことは誰も知らない
あなたのすべてを僕は知らない
それでも僕らは愛と呼んで
不確かな想いを愛と呼んだんだ

無限グライダーからマーチングバンドまでの流れが非常に美しかった。果てしなく広い空をグライダーが進んでいく様から美しいイントロのマーチングバンド。ハーモニーが折り重なって、会場を包んでいく。今ここは、なんて幸せな空間なんだろうと感じた。

その後のMCでゴッチが福島との不思議な縁を話していて。ゴッチの浪人時代の友人が福島出身で、その方がゴッチに様々な洋楽を紹介したエピソードは過去に何度か話していたので知っている方も多いと思う。今回はそれだけでなく、横浜の大学に入学した経緯まで話してくれた。ゴッチが大学でメンバーに出会えたのは、友人が音楽を紹介して、同じ大学に誘ったからで。アジカンファンとしてはその友人にグッジョブとしか言いようがない。

ゴッチによる青春が語られた後に、出町柳パラレルユニバース。私は経験できなかった青春というものを想像させてくれる曲。『四畳半タイムマシーンブルース』の挿入歌であり、最新シングルからの演奏。盛り上がりも大きかったように感じる。この曲は王道のパワーポップでありながら、曲が進行するほどに印象が変わっていく。Aメロで青春の苦々しさを表したかと思えばサビで君らしく踊ればいいと励ます。Ride the big surf!と鼓舞する。まさに喜怒哀楽の青春そのものを表しているようだ。間奏での喜多さんのステップには思わず破顔してしまった。

荒野を歩け、解放区とセトリが進んで解放区の前にゴッチが一言。

「辛い時には俺たちの名前を呼んでって曲です。」

なるほど、これは今まで気が付かなかった。「僕の名をそっと呼んでくれよ」の僕はゴッチまたはアジカン自体だったのかと。何だか腑に落ちてしまった。

アジカンの全楽曲はラブソングだとゴッチ自身が語っていた。だからこの”僕”もきっと男性を表していて、辛い時には呼んでくれという女性への願いを表現しているのかと勝手に想像していた(もちろんジェンダーレスに感じる方もいるはずで、それはゴッチが言う自由に自分らしくということなのだろう)。

解放区は私にとって特別な曲だ。仙台でのホームタウンツアー初日。解放区が新曲として初めて披露された。初公開を生で聴けた感動と、この時のアンコールから撮影OKになったことなど様々な思い出がある(中学の同級生にひとりでライブに来ているのを見られたのは想定外だったが)。

解放区で解放された会場の雰囲気は、興奮と緊張からは大きく変わって、多幸感に満ちた空間となっていた。

メンバーがステージから捌けて、アンコールの手拍子。再登場とそれからの4曲。特に、SNSでも多く触れられていたけれど、海岸通りは感動的だった。ゴッチが特別な感情を抱いている福島の南相馬でこの曲を演奏すること。そこに込められた想いは誰しもが感じ取ったはずだ。2019年に同じ南相馬で開催された追悼復興花火の際にも演奏されたこの曲。復興の想いがひしひしと伝わってきて、アジカンが好きで良かったと心の底から思った。

最後にメンバー全員が揃って肩を組んでお辞儀する光景を目に焼き付けて、この幸せな空間がいつまでも続けばいいのにと思う。そう願ってしまうけれど、また明日からの日常を少しだけ頑張って生きてみよう。そしたらまたアジカンに会えるような気がする。

会場を出て、小さな星がたくさん輝いていて。プラネットフォークスという意味を考えながら帰路に着いた。


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