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noteの記事をアクセシブルにするならこうして欲しい案


数日前にnoteでAltを入れる機能について話題になっていたので考えたことを書きます。乱文ですが一回出してみます。

Altとは

AltとはAlternativeの略で画像などのメディアデータが表示できない、あるいは表示されていても視覚機能によって閲覧が難しい人のために提供される、(この記事においては)主に「文字による代替要素」のことです。

書き手にとっての動機

書き手の視点では、アクセシビリティの視点でどうしたら書き手がAltなどを入れるようになるかは「読み手のことを想像できるようになる」しかないと思っている。

いったん障害者を対象にするならば、身近に障害当事者がいる状態が良いと思う。自分の場合はアクセシビリティ界隈の付き合いが増え、実際にスクリーンリーダーを利用する当事者とコミュニケーションを取るようになったのが大きい。自分の発した言葉が、この人(たち)にも読まれることを自覚し、その人達に読まれて欲しいという気持ちが芽生えた。

アクセシブルにする=読み手が増える、という感覚を持てば必然的に伝えるのに必要な手段は講じる気がする。

でも、実はこれは障害者に限ったことではなく、田舎のおばあちゃんにも伝えたいとか、ガラケーの親にもアクセスしてほしいとか、そういうことでもよいと思う。誰かに届けられるはずのものが、何らかか妨げになって届かないかもしれないという想像力なんだと思う。

ここのところだと地震や台風などの災害情報などでそういう気持ちになった人が少なからずいるんじゃないかと思う。

意味や文意をともなってこそのAlt

Altさえあればいいのか、というとそんな訳はない。

文章には文脈や文意があり、文中で図版や画像にもそれが存在する意図があるはずです。目が見える人でも文章を読む中で画像から読み取っている「情報」があるのであれば、文章におけるAltとはその「代替となる情報」ではないかと思う。

仮に猫の写真があったとして、それが「ペットショップの闇」みたいなタイトルで「罪もないのに殺処分されてしまった猫の切なさ」なのか、「猫カフェの来店レポート」の「人気No1の猫のかわいさ」なのか、伝えたい情報が全然違ってくる。

これはもはや「編集」という視点に近いもので、著者に「なんでここで画像入れたんですか?」という問いをもたらすような視点だと思う。
画像をいれるからには意味があっていれてるよな?それは説明すると何なのだ、という問いを感じる。

だからファイル名をいれるとかAIで内容を解読して単語を入れるとか、そういう機械的な処理でAltをいれるような「入っていないよりはマシ」という発想には少し違和感を覚える。

noteにやってほしいこと

・アクセシビリティの機能を活用することで、読み手が増えた、読者により届いたという手応えを与える仕組み。
・テキストモードのような画像が表示できない環境によせたプレビュー機能。

とくに2つ目の編集時にIA的な視点で画像をちゃんと意味付けできる仕組みはどこにもないと思うし、画像の部分で伝えたいことを考えるというは、書き手が言いたいことの解像度を上げてステップアップできる感じがしていいのでは、と思う。

べつにやらなくても評価が下げる必要がなくやった人がより成果をあげられればいいと思う。

あんまりやってほしくないこと

個人的には、Altいれると何かしらのスコアに優位はSEOと同様の副作用を伴いそうなので、入れることで多くの人に読まれ結果ランキング正しく成果がでるというほうがnoteのエコシステム的には正解な気がしています。

もし入れることで機械リーダブルになって賢く解析できることでスコアが向上するなら良いかもしれないですが。

サポートいただけたら美味しいご飯の足しにしてまた絵を描きたいと思います。よろしくおねがいします。