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松山と人生と仲間について

今年のGWは10連休を取らせてもらった
そこで愛媛県は松山市で医者をやっている小学生の時からの親友に会いに行ってきた
彼は医者として大学病院に勤めており、奥さんも医者として働いている
僕と同じラスト20代

コロナ禍となってから医者は行動制限がなされ、あまり移動ができなくなり地元に帰省も彼はできなくなったため、この休みを利用して松山まで会いにいくことにした

丸2日間ずっと一緒にいたため、たくさんの話ができた
行った場所としては徳島の秘境温泉や松山の道後温泉、松山の繁華街の2人で4万円した寿司屋、海沿いのカフェ、葉巻バーなど

主にお互いの仕事と僕らの仲間について語り合った
僕らは小学生の時の友達であって、もうすぐ30になる男としては如何せん不思議なくらいずっと一緒にいる
常に僕らの頭の中には小学校の時の友達がいるのだ
いまだに一番大切な友達は小学生の時の友達だと断言できるし
小学生の時の友達は特別なものだ

そんな事実を大人になってから知り合った他の人に伝えると、小学校の時の友達よりは中学高校の友達が仲が良いというのがほとんどみたいで不思議がられることも多い

人が誰かと仲間となる時というのは何かを共有している時だ
それは目標であったり、大切な思い出であったり、大切な子供かもしれない

僕たちの場合は、僕たちを強烈に結びつけているものは大切な思い出であり、一人の素敵な男の存在である

彼との思い出はあまりに美しくて、そしてだからこそ苦しくて、今まで真剣に向き合うということをどこかで避けてきた
それと向き合うことに20年経った今でも苦しさと抵抗を感じる
20年経った今、理性的になりつつある自分で、向き合い始めることが少しだけできるようになってきたんだと思う

向き合うことの抵抗は今までそこから避けてきた慣性が働いているのだと思う
だけど彼の存在が僕たちを結びつけていることは疑いのないことであるし、
彼に対して真摯な行為だと思うし
僕たち自身にとっても必要なことなんじゃないかと思う

もちろん人のその時の気持ちというのは振り返って完全に再現できるものではないし、ましてや彼がいなくなった時、僕たちはまだ10歳でその現実を理解することなどできていなかった
それから僕たちの心にはできるだけ蓋をしてしまった
何より大切だったあの美しい心を持った彼を失った思い出は言葉に出さずとも、当たり前に共有していた

真剣に向き合うことなどできるはずもなかった
理解を超えていたからできるはずもなかったし、それに挑戦することは僕たちの感情のキャパシティを超えることを本能的に察知していた

29歳の僕は松山に会いに行った友達と僕が小学6年生の時の下校の時のことを葉巻の煙をふかしながら僕たちは松山の葉巻バーで話していた
他の客はもう帰って僕らだけとなっていた

僕らは中学受験の勉強をしており、毎日早朝から学校にいき、学校が終われば、夜9時まで塾にいき、家に帰れば夜12時まで宿題をやり、土日は模試のため休みなくひたすら勉強をしていた
毎週成績が張り出され、成績が悪いと席が後ろに行き、クラスも成績順に変えられ成績が悪いものは晒し者にされる
家にいれば親からなぜこんな成績なのか?と問われ、塾にいけば先生になじられ、友達に哀れな目でみられる
周りの友達がゲームやらドッチボールなんかに興じる中で、受験をする僕らに当然そんな自由などなく、競争社会の中で毎日を必死に過ごしていた
そして学校の帰り道、11歳の僕らは太宰治の人間失格について語り合っていた
僕らはあの絶望的な主人公に共感を寄せながら、それでもこの苦しみの中でどうやって生きていくのかについて語り合っていた

医者になった当時11歳の松山の友達は帰り道の新緑の桜並木のしたで僕に言った
「あいつがいなくなってしまった。あれで僕は医者になることを決めた。僕は医者になって人を助けることにした。だからこの苦しみの中でもやってやるよ」
松山の友達の素行は学校では荒れに荒れていたが、あの苦しみと絶望の中でどれだけの大人たちが理解していたのだろう

僕たちは今29歳となってその話を思い出し、語り合った
僕らにとって彼がいなくなって20年間経った
僕らの仲間はそれぞれがそれぞれの人生を歩んでいる
当然それぞれ苦しみを抱えていて、理解することが難しい部分も多いだろう
だけど僕らには10歳の時いなくなった彼という存在があって、彼の存在がもちろん僕らの人生の選択をする時の大きな前提としてあって
そしてその人生のコンテキストの中で分かり合える部分が前提としてできていてそういう意味で彼の存在は生き続けている
少なくとも僕らの関係性が続く限りは、彼の存在がいるということだ

彼がいなくなったことは僕らにとって理解を超えたことだが、僕らの人生そのものなのだ
彼がいなくなったことは、彼が僕らと居続けることでもあり
また僕らが一緒に居続けることは彼がその場にいることと同義となる
だからこそ僕らがしてはいけないこともあるし、しなくてはいけないこともある

僕たちは個人的な生き物であると同時に死者と共に生き続け存在でもある
その上で僕たちはどうやって生きていくべきなのか
無意識に合わせて、理性でも考えて、感謝し
これからまた生かなければいけないんだと思った


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