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大学卒業とわたしの4年間

数日前、働きながらずっと通っていた通信制の大学を卒業することが確定した。

仕事の休憩中に確認したメールで知って、すぐさまオンラインで成績を確認して、「卒業見込み」「取得単位126」という文字を何度もなぞった。

実感がないまま、とりあえずおばあちゃんに報告しなきゃとLINEをして、画面越しにおばあちゃんが泣いたのを知って、今すぐ会いたくて、せめて電話したくて仕方なかった。

そのあとはニヤける顔をマスクの下に隠して、ここ最近の繁忙期の様子からは考えられないほど上機嫌で仕事をした。

仕事終わり、1本目の信号で直ぐにおばあちゃんに電話をかけて、そこから2時間わたしたちは時に涙ぐみ、時に笑いながら、この4年間を振り返った。

おばあちゃんとはほぼ絶縁状態の10年間を過した。おばあちゃんは父方の祖母。父のDVが原因で離婚した(と法的にはなってる)ため、父方の家族は皆、わたしが成人して、自ら会いに行けるようになるまでは警察から居場所や連絡先を隠された状態だった。
17歳の時、一度だけ母方の家族に内緒で父と祖母に会いに行ったことがある。唯一覚えていた小学校の名前と、祖母の家の近所にある公園の名前を頼りに、祖母の家に行った。
祖母は、訪問してきたわたしを見て一瞬固まり、わたしが自分の名前を言った時、今までの思いが弾けたように泣いた。
9歳で母と役所の人に連れられて家を出てから、一度も会えなかったから。もう忘れられてたら、迷惑がられたらどうしようと不安だったけれど、そんな不安を吹き飛ばすほど、おばあちゃんは温かく迎え入れてくれた。

その後、父との関係が悪化し、母や弟との関係も悪化。20歳で家を出る直前は警察沙汰にもなり、全部全部「わたしが悪い」とされた。その頃、バイト先のおばちゃんや、元バイト先のお姉さん、親友に支えられ、わたしは天涯孤独、家族との絶縁を決意して家を出た。

本当は父と関わるつもりがなかったけれど、働くには身元保証人が必要だった。元バイト先のお姉さんに説得されて、父に連絡を取った。そこから、父方の家族との交流が始まった。

初めは酷く不安定で、おばあちゃんの前で泣きながら父や母、弟の話をすることが多かった。あの頃はフラッシュバックが多くて、些細なことで過去を思い出しては、ひとりで泣いて、人の前でも泣いて、仕事中でも泣いていた。

何度も家族の距離感に悩んで、こっちでできた友達にも何度も相談した。わたしが本当の意味でおばあちゃんを、人を信用できるようになるまで丸2年はかかった。3年目からやっと少しづつ、体調もメンタルも落ち着いてきた。

この間、おばあちゃんはずっとずっと変わらない愛情をいっぱいいっぱいくれた。いつもわたしに寄り添ってくれて、話を聞いてくれて、そばに居てくれた。自分を追い込む悪い癖をひとつずつ良い癖に変えてくれて、やりたいことがあれば一緒にやってくれて、勉強は誰よりも応援してくれて、頑張ったらたくさんのご褒美をくれて。ありのままのあなたが大好きなんだよと、あなたと一緒にいることが何より幸せなんだよ、だからおばあちゃんがあなたから沢山貰ってるんだよと、何度も伝えてくれた。

生んだこと、育てたこと、学校に通わせたこと、物を買ってあげたこと、話を聞いてあげたこと、全てに見返りを求めてきた母や父とは違って、おばあちゃんはわたしの存在を丸ごと愛してくれた。こんな幸せなこと、ないと思う。

おばあちゃんに伝えきれない感謝を伝えておやすみと言ったあと、わたしはお世話になった人たちに連絡した。

叔父さん叔母さん、高校時代の担任の先生、高校時代の親友、元バイト先のお姉さん。家を出る前にお世話になった人たちには、本当に久しぶりの連絡になってしまって、「覚えてくれているかな?」という気持ちもあった。

そうしたら、みんな、みんな覚えててくれて。LINEの文面から、あの頃たくさん助けられたその人の温かさを久しぶりに感じて、泣きそうになった。

みんなは、わたしがどんな思いで、どんなふうに生きてきたか、どれだけ地道に努力を続けてきたかを、知ってくれていて。
みんなの「卒業おめでとう」には、その文字通りの意味だけでなく、「本当によく頑張ったね」という気持ちが沢山詰まっていて。
卒業できた!という実感が湧くよりも先に、みんなの思いで気持ちがいっぱいになった。

本当に、素敵な人たちに支えられて、わたしはここまで生きてきたんだ。こんなに素敵な人たちに、よく頑張ったね!あなたが頑張ったから出来たことだよ!と言ってもらえるなんて、本当に幸せだな。そう思うと、嬉しくて、わたしはわたしでよかったんだって思えて、ちょっぴり泣いてしまった。

最近は、こっちでできた人間関係も上手くいかないことがあったり、大事にされなかったり、できなかったりして。過去のわたしのポリシーを歪める、というか。みんなに優しくありたいと思っていたのに、一種のあきらめから、「優しい人にしか優しくしない!」と決めて、ちょっと人間に対して雑になっちゃったりしてたんだけど。

これからは、プライベートで関わる人は選ぶし、もちろん自分を大事にしていくけれど、あの頃のわたしみたいにみんなに優しくあろうとする自分も大事にしていきたいなって思った。

「この世の全てに中指を立てて生きてる」と言ってた20歳の頃から、すっかり大人になってしまったけれど、今も昔も、大事に思ってくれる人がそばに居てくれること、そしてそれがとてつもなく幸せなことを知った。

大学を卒業出来たことも嬉しいけれど、素敵な人たちと出会えたこと、今も想ってくれてることが本当に嬉しい。

家庭環境は最悪だったし、中高まともに学校に通えてないし、大学受験失敗したし、貧困だった。
真っ直ぐすぎるところが、真面目なところが、純粋で直ぐに人を信用するところが、諦めないところが、折れないところが、そんなお前が悪いと。夢に向かって努力することが強欲だと、母から言われ続けてきた。
わたしが生きてるだけで金がかかると、これまで散々、歯の治療費も入院手術も、小中の部費も、受験(ほぼ自費)もお前のせいで金がかかったと言われてきた。
わたしが母の、弟のケアラーだったからその役目を背負っていただけなのに、家族関係が上手くいかなくなると、全部わたしのせいにされた。
わたしの未来は、夢を追うならわたし一人で生きていくか、夢を諦めて家にお金を入れるかの2択だった。

そんな扱いを受けてもね、家庭内で人権なくても、学校にまともに通えなくても、挑戦したことに全部失敗しても、頑張り続けたら、素敵な人たちが応援してくれて、寄り添ってくれた。その人たちのおかげで、わたしはわたしを見失わずに、人を自分を信じることが出来て、ここまで来たよ!!

あの頃、中卒、未経験、資格なし、ヤングケアラー、田舎の実家で死にかけてたわたしが、
この4年間で好きなだけ好きな学問を勉強できて、大卒も、自動車免許も、認定心理士の資格も取って、メンタルも体力も復活して、一人で生きてく力もついたよ。

毎日泣いてたあの頃が嘘みたいに、今は安心できる場所で、好きな人たちとだけ一緒にいて、好きなように生きてるよ。

だからね、今しんどいみんな、今がどんなに上手くいかなくても、どんなにしんどくても、そこで終わりじゃないよ。その先に、絶対報われる時が来るよ。これは本当に!

わたしも、20歳の時に言われて、本当かな?ずっとしんどいままなんじゃないかな?って思ってたの。でも、本当だった!それに、これからどんなことがあっても、どんな辛いことがあっても乗り越えていけるっていう自信もついた。

だからね、大丈夫。今生きてることが、何よりあなたが逞しいことの証明なんだよ。

今、すっごい頑張ってると思う。死と生の狭間で揺れ動いて、苦痛にもがいて、それでも何とか息して、今そこにいると思う。
もう死んでしまいたいことも、消えてしまいたいことも、そもそも生まれなければよかったのにと思うこともあるかもしれない。
この世の全てを憎んで、自分の目の前も後ろも真っ暗闇で、どこに進めばいいかも、どうすればいいかも分からなくて、身体中の水分が抜けるほど泣いてるかもしれない。

そんな自分を、どうか責めないでね。無理やり前を向かなくていい。悲しみに思う存分浸って、この世を憎しみ尽くして、自分を無下にする存在にも環境にも怒りまくっていい。自分を大事にできないことを責めないで。

ただ、必ず、どんな時も、あなたを想ってる人がそばに居るはずなの。わたしも、もうわたしはひとりだ!って何度も思った。でもね、今振り返ると、見守ってくれてた人も、寄り添おうとしてくれてた人も、ずっと居たの。

だから、もし、もし良かったらなんだけど、その差し伸べられた手を一度握ってみて。不安だと思う。また傷ついたら怖いし、心の底からはどうしても信用できない気持ちもあると思う。
わたしもそうだったし、今も本当に疲れてる時はこの世にひとりぼっちで、誰も信じられないんじゃないかって疑心暗鬼になる。

いざその手を握っても、頼りすぎかな?重たいかな?自分の存在が負担じゃないかな?って思っちゃう。でもね、大丈夫!だってあなただから!あなただから、相手は手を差し伸べてくれているから。大丈夫。不安になってもいいし、その気持ちを抱えたままでもいい。人のことを信用出来なくてもいい。

それは、過程だから。あなたがあなたらしく生きていくための、過程だから。どんな感情も、どんな出来事も、全部全部そのままでいいの。

いつか夜が明けて、眩しいくらいの光に包まれて、その光に恐れながらも浴び続けていたらいつの間にか慣れて、陽の光の元で安心して生きていくことができるから。ここに、わたしが証明するからね。

だからどうか、その苦しみが自分のせいだと思わないで。むしろ、あなただから、こんなに辛くても生きていけてるんだよ。

わたしは、わたしだからここまで生きてこれたし、これからもきっと上手くいくって信じてる。わたしを見守ってくれていた人達も、何よりわたし自身が、わたしがどんなふうに生きてきたかを知っているから。

本当におめでとうわたし。本当にありがとうみんな。

あと、ちょっぴり、ちょっぴりね。これまでわたしを散々傷つけてきた人達や、苦しめてきた人達は、この喜びを分かち合えないなんて、なんて残念なの!とも思ってるよ😉
わたしの人生の主人公はわたしだからね、こんなに素敵なわたしの人生の節目を一緒に分かち合えないなんて、残念だこと!って主に父と母に思ってるよ😉
わたしに寄り添ってくれた人達とわたしにしかわからない感動がここにあって。たとえ親がどんなにこの輪に入りたくても、入る資格もなければ、感じることもできないからね。

これまで、散々な態度だったくせに、良いとこ取りだけしたがる親にとっては、これからわたしの人生の素晴らしい節目に関わることが一切できないのは、一番の仕打ちかなと思うのです。
わたしの人生を、わたしの頑張りを、全て自分の手柄のようにしてきた両親が、初めて何も言えないのがこの卒業なんだ。初めて、わたしが親元を離れて、親の力は一切借りずに、純粋にわたしとして頑張って来たことだから、自信もってそう言えるのが本当に嬉しい。

これは、わたしに寄り添ってくれた人達がいてくれたことと、わたしが頑張ったから見えた世界だから。わたしと、わたしを支えてくれた全ての人に拍手を!

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