日韓W杯中国代表メンバーのその後

中国代表が初出場果たした2002年日韓W杯から早20年以上が過ぎた。
当時の監督・ボラ・ミルティノビッチが中国を訪れた際の写真がアップされ多くの反響を得た。当時の選手たちも40.50代で歳をとるのは当然なのだが
もう23人全員が揃うことがない」ことを実感したのだった

後列左から3人目がミルティノビッチ、他全員の名前が分かればあなたは中国サッカー検定1級!

というわけで、栄光の(?)23人のその後について


#1 安琦(An Qi)

 81年遼寧省大連出身。01年ワールドユースで活躍し同年A代表デビュー。当時所属の大連実徳でトップチームデビューしておらず、所属クラブより先にA代表でデビュー。本大会は2ndGKで出番なしも、当面代表の守護神は彼で安泰と思われたが、以降彼のキャリアは急降下。02年12月が最後の代表キャップとなった(Aマッチ通算9試合0得点)。
 04年パフォーマンス低下で2部へレンタル.開幕戦で0-9惨敗→05年遠征先の南京で強姦容疑で事情聴取(その後釈放)→08年靭帯断裂→10年現役引退。
引退後職を転々とし、SNSで道端で果物を売る様子がアップされ話題になったことも。現在は2部石家庄功夫でGKコーチを務めている。
 怪我などでパフォーマンス低下→ピッチ外の問題でキャリアを台無しにする良くあるパターン。02年頃はプレミア移籍も噂されたのに。。指導者としてのキャリアに期待。

現役時代 01年
18年頃、桃を売っている様子が拡散される
「確かに私だよ、でもそんな辛くないよ、家族のために頑張るよ。あとそこまで太ってないよ!」

#2 張恩華(Zhang Enhua)

73年遼寧省大連出身。本大会では控えCBで出番なしも、96年から02年までAマッチ62試合7得点。大連実徳と代表を支えた名CBで00年リーグMVP。
00/01シーズンにはイングランド2部相当のグリムスビー(GrimsbyTown)に在籍し17試合3得点と活躍。W杯後代表選出はなく、天津泰達、サウスチャイナ(香港)へて06年引退。
引退後2012年スペイン・ビジャレアルで下部組織のコーチに就任、その後2年半欧州各地で指導者として修行。16年帰国し深圳のコーチに就任。指導者としてのキャリアを歩んでいたが、21年4月に自身の誕生会翌日に心筋梗塞で急逝(享年48歳)。飲みすぎが原因か不明だが残念。

大連実徳時代、多くの試合でキャプテンマークを巻いた
享年48歳、RIP

#3 楊璞(Yang Pu)

78年北京出身。キャリア通じて北京国安一筋で、09年の引退後は国安のスタッフ入りし現在育成副総監を務めている。現役時代は左DF兼左MF。呉承瑛の控えだったが、本大会では馬明宇に代わり左MFでブラジル戦途中出場、トルコ戦先発出場。代表は04年まで34試合出場。選手、指導者として割と順調なキャリアを過ごしている。

ブラジル戦、ジウベルト・シルバと

#4 呉承瑛(Wu Chenying)

75年上海出身。上海申花、上海国際(その後解散)とずっと地元上海でプレイ。不動の左SBで本大会も全試合先発出場。96年から02年までAマッチ52試合2得点、96.2000と2度のアジアカップにも参戦。日韓W杯前にはイタリアへの移籍話も。06年末の引退後去就が不明だったが、クラブや協会の職には就かず、香港に移住したり、起業してコーチをしたりしてるらしい。

現役時代、女性人気高かったらしい

#5 范志毅(Fan Zhiyi)

69年上海出身、2001年に中国人選手初のAFC年間最優秀選手に。98年孫継海と共に英国に渡りクリスタルパレス、ダンディー、カーディフでプレイ。クリスタルパレス時代01年チーム年間MVP。後年リバプールからオファーあったと本人は言っている。CBの印象が強いが若いころはFW起用され、上海申花時代1995年にリーグ得点王を経験。06年引退後は指導者やったり、芸能人・ご意見番枠でよくトークショーやインタビューを受ける。
日韓W杯予選ではPKやFKで4得点挙げ初出場に貢献も、本大会ではコスタリカ戦で負傷交代し、その後2試合出場できなかったのは悔やまれる。
上海閥のリーダーと評判で、遼寧閥の某10番と犬猿の仲と噂された。

現役時代
2013年ホームでタイ2軍に大敗後のインタビュで「このままではタイ、続いてベトナム、ミャンマーに負け、負ける相手も無くなる!」「脸都不要了」は流行語に
22年アジア最終予選でベトナムに負けた、次はミャンマーか・・

#6 邵佳一(Shao Jiayi)

80年北京出身、北京国安で育つ。日韓W杯では左MFで起用され2試合途中出場も、トルコ戦で1発退場し批判された。大会後03年ドイツに渡り1860ミュンヘン、コットブス、デュイスブルクでプレイ。ドイツ1部通算67試合4得点、2部含めると168試合に出場。188CMと長身だがその技術や精度高いFKで代表通算40試合8得点。12年北京国安で国内復帰し15年引退。
引退後年代別代表のスタッフ入りし、先般U20アジアカップではU20中国代表の領隊として参戦。W杯では戦犯扱いも、その後の活躍で評価覆した。

ハイライトはむしろ04年アジアカップの頃か

#7 孫継海(Sun Jihai)

77年遼寧省大連出身、大連実徳皮切りにクリスタルパレス・マンチェスターシティ・シェフィールドと英国で長くプレイしプレミア通算130試合出場。帰国後39歳まで現役続け、引退後実業家、指導者としての活動は過去のNoteを参照頂きたい。
 代表は17歳でデビュー。しかしシドニー五輪予選で審判に執拗に抗議し1年出場停止、代表最後となった08年もベンチ外から執拗な抗議で退場、と代表では負のイメージも多い。日韓W杯初戦コスタリカ戦前半17分で相手のタックルを受け、負傷交代。このケガで残る試合を欠場し彼のW杯は17分で終わってしまった。このケガが無ければ・・と思わざるを得ない

元々老け顔ではあった
アスリートの面影なく、普通の中国人のおじさんって感じ

#8 李鉄(Li Tie)

1977年遼寧省瀋陽出身。スタミナ豊富な守備的MFで日韓W杯では予選からほぼフル稼働。大会後モイーズ率いるエバートンに加入し1年目はレギュラーとして活躍。しかし04年代表合宿の負傷で英国でのキャリアは実質終了(以降4年間で公式戦出場1試合)。08年帰国後成都→古巣遼寧で11年に引退したが最後の出場は前年とと大ケガが無ければ。。引退後広州恒大でアシスタントとしてリッピに学ぶ。15年河北を昇格させ、19年武漢長江で躍進、同年末にリッピ退任後の代表監督就任しカタールW杯予選を指揮。
、、しかし2022年スキャンダルが発覚し大変なことに。詳細はNote
当分表舞台どころかいつ娑婆に戻れるのか・・

エバートン時代
前髪を吹く姿が評判になり、特集動画も
https://www.bilibili.com/video/BV1E34y1m7KC/


#9 馬明宇(Ma Mingyu)

70年重慶出身。日韓W杯時はキャプテン務め主に左MFで起用されたテクニシャン。代表通算85試合12得点。キャリアの大半を地元四川で過ごし、00年ペルージャに加入。中国人初(今のとこ唯一)セリエAプレイヤーとなったが通用せず半年で公式戦出場ゼロで退団。03年引退後四川省でサッカー学校を運営(既に閉鎖)、その後四川省サッカー協会副主席や中国サッカー協会で職を得つつ、現在はサッカー中継配信事業を行っているとか。

キャプテンを務めた。MFだけど9番
いかにも中国のオジサンって感じになっている。元々老け顔だったが

#10 郝海東(Hao Haidong)

70年山東省青島出身。中国代表通算106試合39得点は歴代最多得点。現役時代「亚洲第一前锋(アジアNo1FW)」と称された。日韓W杯では10番背負い全試合先発。04年アジアカップで包帯巻き奮闘した姿は印象的。クラブでも大連実徳全盛期を支えた。06年英・シェフィールドUにコーチ兼で加入しその後引退。
 引退後も頻繁にメディアに登場していたがスペイン移住後晩節を汚してしま。中国内のネット上で彼の名前は検索不可。過去の試合を紹介する記事でも彼の名前は抹消されている。高確率で2度と中国の土を踏むことは無いだろう。中国歴代最高のFWが中国社会から抹殺されたのは非常に残念

#11 于根偉(Yu Genwei)

74年天津出身。日韓W杯予選では4試合出場、攻撃的MFかFWの控え。祁宏の出場停止で唯一先発したオマーン戦でW杯出場決める決勝点を決めた。中国版岡野雅行。本大会では2試合に途中出場。代表通算22試合2得点
地元天津泰達でキャリアを全うし06年引退後コーチ陣入り、天津津門虎に名称変更した現在監督を務める。まさに天津サッカーの象徴。
因みに93年U17ワールドユースに出場している、おかしいな93-74=…

そんな変わってない?

#12 宿茂臻(Su Maozhen)

72年山東省青島出身。186CMの長身生かしたストライカーで代表通算53試合27得点記録。日韓W杯はコスタリカ戦に途中出場したのみ。同年30歳にして現役引退するまで山東一筋。
10代の頃マンチェスターUのトライアルに参加し契約の可能性あったが負傷で実現せず。引退後当時の関係生かし英国で勉強へて指導者の道へ。山東下部組織のコーチ、北京五輪代表アシスタント、U19代表監督へて、故郷青島のクラブの監督やクラブ幹部を歴任している。

マンUのレジェンド、ボビー・チャールトンと

#13 高堯(Gao Yao)

78年山東省青島出身。現役時代は地元山東一筋で代表通算6キャップ。09年引退後李鉄のアシスタントを長く勤め、19年昆山FC監督。
日韓W杯メンバー入りしたが出番なし、CBと守備的MFに対応する実力者だが予選出場ゼロ。大会後代表召集もなく、なぜ彼がメンバー入りしたか不思議がられた。最近、前述李鉄の事件に連座して事情聴取を受け拘留されている模様。

W杯直前のウルグアイ戦にて

#14 李瑋峰(Li Weifeng)

1978年吉林省長春出身。日韓W杯予選ではCBながら4得点、特にアウェーカタール戦ロスタイムの同点弾は語り草。本大会でもフル出場。
日本的には鈴木啓太に喉輪かました選手、実際血気盛んで06年には直近1年余で6回退場し代表キャプテン剥奪。08年は加入したばかりの武漢光谷での3試合目で退場&相手と揉めて長期出場停止→クラブが抗議してリーグ脱退、、と無駄な武勇伝が多い。しかし代表歴代最多キャップとプレイ面では歴代屈指のDFであることは間違いない。日韓W杯後李鉄と共にエバートンに加入(公式戦2試合出場)キャリア末期には韓国の水原三星でプレイ。15年引退
 引退後は指導者の道は、22年途中から広州城監督に就任し最下位だったチームを残留に導き評価を上げた。

ロナウドと
意外と監督として成功している。

#15 肇俊哲(Zhao Junzhe)

79年遼寧省瀋陽出身。満州族。日韓W杯予選では未招集も大会直前に定着し、本大会ではボランチでブラジル・トルコ戦にフル出場。ブラジル戦ではポスト直撃の惜しいシュートも。その後も代表の主軸として08年までAマッチ71試合2得点。クラブでは16年の引退まで遼寧一筋のバンティエッラ。引退後は遼寧監督、解散後広州城へて今年滄州監督就任。選手としても指導者としても堅実なキャリアを歩んでいる。

若い

#16 曲波(Qu Bo)

81年天津出身。前年のU20ワールドユースの活躍から若くして代表入り、W杯本大会も全試合途中出場。スピードを生かしスーパーサブとして印象的な活躍を見せた。大会後イングランド・トットナムと合意するも労働許可証が下りず破断。その後も欧州移籍の話は何度も再燃するが、怪我もあり調子を落とす。07年5年ぶりに代表復帰し、13年まで代表通算77試合18得点。復活したものの怪我が無ければ、英国行きが実現していればと惜しまれる。
クラブレベルでは青島、貴州人和、天津に在籍し、17年に現役引退。
現役時代そのスピードから「追風少年」と呼ばれ、引退後青島で追風少年足球運動倶楽部を創設し、青少年の育成に携わる。

ブラジル戦、ロッキジュニオールとロべカルをぶち抜きGKと1対1に
老けたなあ、、

#17 杜威(Du Wei)

 82年河南省鄭州出身。187CMの長身CBで、安琦、曲波と共にU20代表の活躍でA代表入り。本大会では范志毅の怪我でブラジル戦、トルコ戦に出場。上海申花、杭州緑城、山東、河北、貴州智誠でプレイし18年に引退。代表では通算71試合4得点、高洪波監督時代はキャプテン務めた。(なお05/06にセルティックにいたことは本人の名誉のために無かったことにしておく)
 引退後特にどこかの指導者になったとは聞かず、たまにサッカー関連動画をアップしている。

"4R"に4失点、荷が重かったか
ルックスの良さで映画出演経験も

#18 李霄鵬(Li Xiaopeng)

75年山東省青島出身。現役時代山東一筋で代表39試合3得点。日韓W杯予選は最終予選で台頭し右MFのスタメンで本大会もフル出場。04年アジアカップも出場したが、05年30歳で現役引退。現役時代退場や出場停止ゼロのクリーンなプレイヤーだったが、彼も于根偉同様93年U17ワールドユースに出場しており、当時年齢詐称していた可能性高い。
引退後女子代表監督、山東などの監督や、クラブ幹部を経て指導歴を積んできた。20年11月に李鉄退任後代表監督就任し、初の男女両方の代表監督経験者に。カタールW杯アジア最終予選4試合指揮(1分3敗)、その後監督退任も代表スタッフには残っている。

22年カタールW杯予選・日本戦を指揮

#19 祁宏(Qi Hong)

76年上海出身。上海申花などずっと上海でプレイし、06年怪我の影響で30歳で引退。ボランチかトップ下で起用。前線への飛び出しでアジア最終予選でチーム最多3得点挙げ「最終予選のMVP」に推す声も。本大会ではボランチに肇俊哲が台頭したこともあり、ブラジル戦のみトップ下で出場(66分交代)代表通算39試合11得点。
引退後育成に携わり、2010年に女子代表のアシスタントコーチ就任。
しかし12年江津.申思.李明(小)らと共に八百長収賄容疑で逮捕。上海国際在籍時の03年リーグ最終戦でわざと負けて200万人民元ずつ受取ったとされる。その後罰金&収監へて16年出所後、申思と共に上海で育成事業に携わる。

01年最終予選
そりゃまあ老けますわ


↑祁宏らが逮捕された疑惑について英語Wikiがあったので参考まで

#20 楊晨(Yang Chen)

1974年北京出身。北京国安で育ち、98年ドイツ2部・マンハイムへて夏にフランクフルトへ加入。中国人初の欧州5大リーグ加入だった。98/99シーズンは8得点でチーム最多得点者になるなどフランクフルトでは通算94試合21得点。1部リーグ通算16得点は中国人選手最多。活躍が認められ長谷部誠らと共にブンデスリーガレジェンドに選出されている。
2部ザンクトパウリへて深圳、厦門でプレイし07年に引退。日韓W杯では郝海东と2トップの1角として2試合先発。トルコ戦ではクロスバー直撃の惜しいシュートも。04年まで代表通算35試合11得点。
引退後指導者のキャリアを歩み、いくつかのクラブでアシスタントコーチなど経て年代別代表入りし現U17代表監督。6月のU17アジアカップに臨む。

W杯コスタリカ戦

#21 徐雲龍(Xu Yunlong)

79年北京出身。16年の引退まで北京国安一筋、引退後フロント入りし商務部で勤務中。マルチロールでGK以外全て対応、90年代はFW、02年は右SB、04-07年は中盤、引退時はCBだった。代表通算72試合7得点。
日韓W杯1次予選では孫継海を抑えスタメンで3得点記録。最終予選は出場ゼロも、本大会では孫の中盤起用もあり右SBでフル出場。個人的には同大会中国のMVPで、ブラジル戦ではロベルト・カルロス相手に健闘した。

ロべカル、ロナウジーニョと
レジェンドなんだけど如何せん地味だ
ロべカルをぶち抜く

#22 江津(Jiang Jin)

68年上海出身。日韓W杯当時不動の正GKで代表通算51試合。198CMの長身、八一(軍隊系チーム)、天津泰達へて故郷上海に戻り07年引退。兄の江洪も代表歴あるGK。
しかし引退後、前述祁宏らと共に八百長収賄で逮捕、収監された。出所後はプロサッカー界出禁のためアマチュアで指導してるらしい。
たかだか数百万元で何ということをしたのか・・

川崎麻世に似てる?
髪も白くなりますわ

#23 区楚良(Ou Chuliang)

68年広東省広州出身。92年代表デビューしAマッチ69試合出場も、02年当時は第3GK。地元の広東宏遠、上海申花、雲南紅塔、重慶へて04年引退後指導者へ、年代別代表や北京五輪代表、A代表のアシスタントコーチを歴任。その間河南建業のGKコーチや地元・広州日之泉の総経理(GM)も経験。22年から女子代表のスタッフ入り。指導者として順調な歩みを続けている。
祖父の区寿年は日中戦争時の師団長だったらしい。

メンバーの中でも年長だが、50代半ばでも若さを維持してるのは立派



・雑感

他国と比べてどうか分からないが、やはり引退後も育成などサッカー業界に残る者が最も多い。そんな中で23人中犯罪行為5名、反政府行為1名は残念
彼らの知識や経験を中国サッカー界に還元することが敵わなくなってしまうことが惜しい。
(犯罪行為 #1 #8 #13 #19 #22 反政府 #10)
また物故者1名(#2)も含め、#10や#8は永久追放ものであり、いろんな意味で2002年のメンバー全員がまた一堂に会することは不可能となった。

なお冒頭の写真の答え合わせ。祁宏と江津の老けっぷりは、、まあ仕方ないね 申思はアジア予選で活躍も本大会直前に落選している。

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