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私は私になりたかった。(「一セットの服で自分を好きになる」を読んで)


まずはじめに

まずはあきやさん、二冊目の出版おめでとうございます。

この執筆日記を読んでから、「がっぷり四つで組まなくては」と思うレベルでいくつもの夜を越えて作られて積み重なれた文字の集まりにドキドキとしていたのだが
実際に読んでみるといつもの優しいあきやさんの語り口で沢山の思いが綴られていた。

読んでいる間は心がふうっと柔らかくなってあったかくなる。
だが強い芯があって、ぐぅっと引きつけられる。
あきやさんの文章にはそんな不思議な力がある。

改めて、この本が上梓されたことに沢山の感謝を伝えたく、
深夜に目が覚めたので感想を綴りたい。

コンセプト作りは自分作り

第一章の冒頭から「なりたい自分」探しについて語られている本著だが、
私は結構難航した方だった。
最初に挙げた「照明アーティスト」は自分が諦めた夢を託した職業だったが
突き詰めるほど「黒Tシャツと黒パンツ以外ないな……」というシンプルさに
改めて『服装に凝る事が出来ない』ということを痛感したし、
一時血迷って「吟遊詩人」になった時は更に迷った。
現代にない職業が何の服を着ているのか想像がつかなかったのだ。

そこで最終的に絞り出したのが今の職業(の一部)である「先生」だった。
そこから『自分事』に変化したことによってするすると服を選ぶことが出来るようになってきた。
しかも「悪い先生」という冠詞をつけたことによって、一筋縄ではいかないスパイスをきかせた服選びが出来るようになった。

人生、振り返ってみると「先生」とは相性の悪い生活だった。
不登校や休学は中高大で経験しているし、なんなら高校は退学している。
だが大学の最後には私が突然調子を崩しても大丈夫なように、
研究室に予備の提出用の論文を用意してくれる担当教員とも出会うことが出来て
「○○さんはいざとなれば当日学校に来てくれさえすればいいからね!」と
私の体調の変化を先に読み取ってくれた優しい人だった。

だが自分が「先生」になってみると本当にその辛さと楽しさが分かる。
通じ合えて伝えられたときの嬉しさ、眠りこけられたときの無力感。
学んだことの可能性について貰えた質問のありがたさ。
「学生」ではなく「社会人」を相手にしている分、またちょっと普通の「先生」とは異なるが色んな経験をさせて貰っている。
ゼロからイチを作ることは苦手な私だが、「イチ」のタネを蒔いて発芽させることは得意ーーだと思っている。
それはまさに「先生」の仕事であると思っている。

コンセプト決めの紆余曲折や自分の人生やその時々の気持ち、服を手に入れたときの内容だったりはnoteに書き残して綴っている。

「ファッション」は実はなかなか複雑な表現方法です。自分の外見のこと、内面のこと、生まれながらの境遇や、そのとき置かれている状況、日々の暮らしのあれこれ、さまざまな条件が折り重なって作られています。
(中略)
そんなときに試して欲しいのは、まずは文章で「アウトプット」すること。自分は何が好きで、何を考えているのか。書けば書くほどに理解が進んでいきます。必ずしも人に見せる必要はありません。まずは自分が腑に落ちる言葉が見つかるまで、書き出していきましょう。

「一セットの服で自分を好きになる」P182からP183より

noteを100以上(現時点で130記事)書いて、音声配信(note上のラジオなら31本、それ以外にも不定期スペース実施)などを実施している私にとって、アウトプットは当たり前のことであり、
その時々の自分を振り返るための指標になってくれていたし、自分にとって辛いことも振り返っては掘り出すことを早々に済ませていたことによって
徐々に出来上がってきたのは「JJGのおだまきさん」という人格だった。
服をまとう肉体を持っているのは「本名の私」だが、SNSでアウトプットをして交流をしてくれるのは「『悪い先生』というコンセプトを掲げたJJGのおだまきさん」である。
自己のキャラクター化に成功したことによって、他の人から服を褒められたり勧められたりしたときにも素直に「ありがとうございます!」とお礼を伝えることが出来たし、「(本名の自分だったら挑戦しないけれど)おだまきさんとして着てみます!」とチャレンジすることも出来るようになった。

心の中のYAZAWAという表現があるがいつの間にか私の心の中にはODAMAKIが住み着くようになっていた。
「○○(本名)はいいけどODAMAKIはどうかな」
と言うとはたと気付く。
自分だけど自分じゃないもう一人が判断してくれることによって、自分が自分のコンセプトを背負ったスタイリストになってくれているということ。

私は私になりたかった

自分のことは好きでも嫌いでもーーいや少し嫌いだったかもしれない。
だが「おだまきさん」が選んできた服は私を色んなところに連れて行ってくれた。
行ったことのないホテルのアフタヌーンティ、行ったことのないブランドの路面店。
特別なときだけじゃなく「おだまきさん」の選んだ服はいつもの自分を盛り上げてくれた。
私はPC作業をしている机の後ろに鏡を置いているのだが、
疲れたときに椅子をくるりと回転させて服をチェックすると
「よし、オッケーイケてる」と確認が出来て気分転換になる。
外出先でも同様だ。メイクも含めて自分がきちんと成り立ってることに
「オッケー!」といってくれるのは誰でもない「おだまきさん」だ。

ああそうか、私は「誰か」になりたかったんじゃない。
「私自身」ひいては「今の私」になりたかったんだ。
と気づけたのはあきやさんの本を読み返して痛感したことの一つだ。

過去の自分は否定したことが山ほどある。だけどその積み重ねで今の自分が成り立っている。
結果として今「先生」という仕事を選択した私に私は満足しているし、
その結果自問自答して生まれた「おだまきさん」というキャラクターに私はとても感謝している。
「おだまきさん」は本名の私を「私」にしてくれるトリガーだ。

そうか、私は「私」になりたかったんだ。

他の誰でもない、他の職業でもない。
今の私の肯定として生まれた「おだまきさん」がいてくれる限り、私のファッションの指標はぶれることはないだろう。
今なら自信を持ってそう言える。

逆に「おだまきさんならこんな服着そう」とか「こんな服が似合っていた」というイメージ像をJJGの方々の中で共有して頂けるのは非常にありがたい。
Twitterでも書いたが「おだまきさんの二次創作」をしてもらうことによって、逆に「おだまきさん」というキャラクターは強固になっていく。
なのでどうか臆さずに色んなご意見を伝えて欲しい、し、イメージをどんどん肉付けして幹を太くさせて貰えると大変に助かる。

さすがに肉体を持っている本名の私もちゃんと意思を持っている+自分の身体を持っているので「これはnot for me」と判断をつけることが出来る。
そこはぶれることはないので、「おだまきさん」のイメージはどんどん一人歩きさせていきたいしチャレンジする人格として自分の中で持っておきたい存在である。

これからも「私作り」のために皆様のご意見を頂戴できると大変ありがたい。

これは余談ですが。

私には先生として尊敬している人物が一人いる。
元フィギュアスケーター、現國學院大學准教授(今春昇進!)の町田樹氏だ。
町田さんの演技の中で「継ぐ者」という演目がある。
「先生」という存在はまさに先達から伝えられたことを受け継ぐ存在であると考えている私にとってはこの演技は指標でもあると同時に、
今改めて見返したところでその力強く繊細な表現に見蕩れてしまった。

私の「好き」とテーマが詰まった演目です。もし興味があれば見て頂けると嬉しいです。

ところで「おだまきさんの心を満たす服」って何?

今年はCFCLのセットアップで決まりかな~と心の中では思っている。
しばらく部屋に吊り下げて飾るぐらい気に入っている服だ。
すでに沢山着用しているしこれからも多用していくことになるだろう。

洗濯可能というありがたさに甘えてこれからがんがんに着ていって、楽しみを増やしていきたい。


着る美術品と思っている

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