彼女のやり残した仕事

昨年11月6日。
最愛の愛犬が亡くなりました。
一緒に歩いているとよく笑顔が素敵ねと声を掛けられ、その度に鼻先をこちらに向けて得意げな表情をする、とびきりチャーミングな自慢の妹でした。

わたしは、彼女が壺に落ち着くまでの一部始終を日記帳に詳細に描写した後、その事実を閉じ込めたまま過ごしていましたが、最近暑くなってふと、彼女が発つ前に伝えてくれた幾つかのシグナルを思い返すことが多くなりました。

先週、ある本に衝撃を受けました。

象徴言語には二種類あります。言葉によらない象徴言語と、言葉による象徴言語です。…ひとたびこの言語を習得しさえすれば、憶測や勘にたよる必要がなくなり、死の床にある子どもやおとなは一人残らず、死が迫っていることを-意識的にではなく無意識的にということもありますが-知っているのだということが理解できるはずです。そうすれば、彼らが分かち合いたいと願っているただ一つのことを、あなたと分かち合えるはずです。それは、やり残した仕事です。
『「死ぬ瞬間」と死後の生』エリザベス・キューブラー・ロス 著 / 鈴木 晶 訳

彼女の最期のしるしの数々は、やり残した仕事を成し遂げるためのわたしに向けた象徴言語だったのだと気づきました。涙がこみ上げ、何度も本を閉じかけながら、読み終えました。
はじめてのお盆に、彼女を心からの笑顔で迎えるためにも、まっすぐに彼女の死の瞬間とメッセージに向き合おうと決めました。

昨年の夏の暮れ。
彼女の体力ががくっと落ち、病院での精密検査で全身に癌が広がっていたことがわかりました。体内の血を作る力が弱まっていたことで貧血が進み、はぁはぁとお腹を上下させて息をしていました。食べることと歩くことが楽しみな彼女のため、ステロイドを飲ませて痛みを和らげ食欲を増進させて少しでも鉄分を摂らせることくらいしかできませんでした。わたしは毎月彼女に会いに帰省することにしました。

9月。彼女はわたしが声をかける前にてくてくと歩き、坂道を登った先、林の丘のある公園まで連れて行ってくれました。信じられないほど軽やかな足取りの彼女を見ながら、ここにふたりで来るのは最後かもしれないと何となく感じました。今思えば、彼女のやり残した仕事のひとつだったのでしょう。

そこは13年間、数えきれないほど通った私たちの大好きな場所です。
彼女もわたしもまだ小さかった頃、ふたりで林の中を駆け下り、靴も手も鼻の先も泥だらけになって笑い転げたのを覚えています。
暑い暑いとはぁはぁ言いながら、ある日は雪の上をひょこひょこ歩きながら、または急な雨に、帰りたくないと嫌嫌をする彼女を引っ張って帰ったこともありました。
ふたりが少し大きくなると、学校で友達に習った歌を歌って聞かせながら、一緒にスキップをしました。ぼーっと考え事をしていると、決まって湿った鼻先で私の足をつんつんして、ねぇねぇ私ここにいるんだけど?ほら、行くよ、ってお姉さん面した彼女に宥められました。
家を出て彼女と一緒にいる時間がぐっと減ってからも、帰省すると必ずふたりで林の丘の公園に遊びに行きました。都会のスピードから解放されたわたしにとって、彼女の横を歩く時は何より、素に戻ることのできるのんびりとした幸せな時間でした。その度に、いかに彼女が大事な存在かを感じました。

その日は穏やかな秋晴れで、公園の一角の桜の木々の下をゆっくりと歩きながら、私は彼女に「いつもパパとママと弟をそばで見ててくれて本当にありがとう」と言いました。ここで私は失敗をしました。続けて彼女に、「来年また一緒に、綺麗な桜見られたらいいね」「元気に長生きしようね」と伝えたのです。彼女は穏やかににこにこと微笑んでいましたが、内心自分の死期が迫っていることを感じながら、それを私が理解する準備ができていないと知って少しがっかりとしたことでしょう。彼女にとっての仕事をひとつ増やしてしまいました。

10月。もう彼女に林の丘の公園まで歩く体力はありません。家から20m歩いて小さな公園を訪れるのがやっとでした。家の中で彼女の跡を追いかけて、写真や動画を撮るわたしを、彼女は時折振り返って不思議そうに笑っていました。
別れ際、彼女をくしゃくしゃに撫で、鼻をすり合わせてほおずりしぎゅっと抱きしめました。彼女は立ったままじーっとしていました。

11月5日。
母親から、彼女がおやつを食べた後、ぼーっとした様子で、程なくして立つことができなくなったと連絡がありました。
夜、眠りにつくと、彼女が夢にでてきました。

11月6日、朝。
会社に向かう電車の中で、急に彼女が我が家にやってきた時の光景が脳裏に浮かびました。それから次々と、いわゆる走馬灯のように、彼女との思い出が浮かんでは消えました。彼女は大好きな笑顔で、全力で地面を駆けて走っていました。無意識に涙が出ました。

彼女が母親に抱かれ、息を引き取ったのはちょうどその時間だったと、後から知りました。

夜。わたしが彼女に触れた時、黒白茶色の毛はツヤツヤふわふわで、お腹も肉球もぷにぷにして、でも身体はひんやりと冷たくぴくりともしませんでした。彼女はもういませんでした。

わたしは彼女の死ぬ瞬間に隣にいなかったにもかかわらず、なぜか夜から旅立つ瞬間までずっと一緒にいたかのような心地がしました。泣き疲れるまで泣きました、が、後悔はありませんでした。
今、その理由がわかります。
彼女がやり残した仕事として、わたしを気にかけてくれたのです。彼女の死をちゃんと受け入れられるように、彼女が我が家で幸せな日々を過ごしたことを疑わないように、私たち家族が大好きだったことを伝えてくれました。

父も母も弟も、悲しみましたが後悔はなかったようです。彼女は最期まで私たちへの思いやりにあふれた、素晴らしい自慢の妹でした。

お盆休みの帰省では、彼女の壺の前に湯がいたささみ肉とさつま芋と、チーズをたっぷり置いて、そして、のんびりとお気に入りの歌を口ずさみながら林の丘の公園を歩きたいと思います。平成最後の夏を彼女と過ごします。

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