「私がやりました」:嘘の殺人の告白から始まる人生好転コメディ。イザベル・ユペールの怪演ぶりが心地よい。

<あらすじ>
1930年代、パリ。映画プロデューサーとして名高い男が自宅で殺害され、売れない新人女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)に殺人の容疑がかけられた。マドレーヌは、プロデューサーに襲われ、自分の身を守るために撃ったと自供。親友で駆け出しの弁護士であるポーリーヌ(レベッカ・マルデール)はマドレーヌに台本を用意し、正当防衛を主張するよう指示した。法廷に立ったポーリーヌはその演技力と美貌を活かして人々の心を揺さぶる陳述を披露し、裁判官や大衆の心をつかみ、見事無罪を勝ち取る。そしてマドレーヌは悲劇のヒロインとして一躍時の人となり、大スターへの階段を駆け上がっていった。そんなある日、二人の前に往年の大女優オデット(イザベル・ユペール)が現れ、プロデューサー殺しの真犯人はオデットであり、マドレーヌたちが手に入れた富も名声も自分のものだと主張。彼女たちは犯人の座を賭け、駆け引きを繰り広げ……。

KINENOTEより

評価:★★★☆
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

フランスの鬼才フランソワ・オゾンによるシニカル・コメディ。「すべてうまくいきますように」(2021年)、「グレース・オブ・ゴッド」(2019年)と重たい感じの人間ドラマが近作では続いていたオゾンではありますが、2000年代初頭の「8人の女たち」(2002年)や「焼け石に水」(2000年)などブラックユーモアたっぷりなコメディ(それも女性を上手く使った)本流を楽しんでいる僕にとっては、久々にオゾンのコメディドラマの持ち味を十分に楽しめる本作は眉唾ものといっても過言ではありません。ナディア・テレスキウィッツ、レベッカ・マルデールの主演二人の演技が素晴らしいのもありますが、やっぱり本作の見ものは年相応というか、ベテランの味を上手く出してくれるイザベル・ユペールの快演というか、怪演に惹きつけられる以上のものはないでしょう(笑。主演二人が物語をリードしながら、最後の最後でユペールがいい味を出してフィナーレに味わいを添える。お話自体はコンパクトにまとまっている小品ではあるものの、見ごたえある作品に仕上がっているのは、オゾンが上手く彼女の味を出してくれているからなのだと思います。

一年ないし、二年のペースで作品を輩出しているオゾンは多作な部類の監督さんではありますが、その作品の振り幅が非常に多種多様。でも、どの作品にも共通しているのは、社会を非常にシニカルに斜め見をしつつ、その社会からはみ出るような行為を起こすキャラクターを愛すべく描いていることだと思います。それは前作「苦い涙」(2022年)の映画監督ピーターに然り、「すべてうまくいきますように」(2021年)で安楽死を望むアンドレであったり、「Summer of 85」(2020年)のアレックスとダヴィドのカップルであったりと。それぞれのキャラクターが持つ、こうしたいという生きる欲みたいな部分と、恋であったら思うようにいかない想い人の行動であったり、また対社会であったら自分の人生を自分でコントロールできないもどかしさであったりする部分が、周りを取り囲む人との間のドラマで大きな波紋を広げていく。逸脱する行動は「グレース・オブ・ゴッド」のように社会悪になれば、正義の鉄槌を下さないといけないところもあるかもですが、昇華されない部分は、苦悩しながらそれぞれの人生の中で取り込まれてくる。それははた目から見ると醜い行動に映るかもですが、それも含めて人間という動物なんだと見せつけるオゾンはやはり僕にとっても虜にさせる監督さんの一人になっています。

<鑑賞劇場>京都シネマにて


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?